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美人への大いなる壁

私は、太っているし、一重だし、眉毛は繋がっていたし、顎は出ていたしで、悲しいことに小さい頃から「不細工」であることを自認していたよ。
それを証明するかのように、「変な顔で太ってて喋らないから」と英語教室や、登校班でちょこちょこいじめられたりした。でも、友達も周りにいてくれたし、クラスで毎日いじめられて…という過酷な経験はしなかったからまだよかったの。神様、いい具合に調整してくれてありがとう。

でもね、こうして小さい頃から不細工側でいるとね、大人になってお化粧などで多少マシになっても「不細工な自分」という鎖からは逃れられずに、褒められてもなんかひねくれちゃうというか、余裕がない振る舞いをしがちだなぁと。
それに気づいたのは、ザ・容姿端麗な旦那とお付き合いを始めてから。今日はそんな話を自虐的に綴っていこうと思うよ。

容姿端麗人、褒められても余裕

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旦那は、中学時代可愛過ぎて、おじさんに誘拐されそうになった(⁉️)ぐらいの美少年。そのまま大きくなって、容姿端麗なまま、徳永英明さんみたいなおじさんになった。
体型もスリム(だった、けど太っても可愛い)で文句の付け所がない。私はそんな旦那の造形美を褒めまくるのだが、その際の振る舞いがマジで余裕ある振る舞いなんだよね。

私は外見を褒められたら、「そんなことないよ〜(謙遜)」とか言いつつニヤついちゃって、帰り道に「あの時の私、ダサかったなぁ」などど一人反省会しちゃうんだけど、そういう余裕のなさは一切ない。
「ありがと。」(笑顔) もしくは、「そだね。」(笑顔)で終了。
もう余裕たっぷりの御礼。言われ慣れている感じがビシバシ伝わってきますとも。

自ら不細工の沼に突っ込んでいく私

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そんな旦那、とにかくなんだかお年寄りにモテまくる。旅先で小さなペンションなどを選ぶことが多かったのだが、そこで夕食を共にしたお年寄りに「いい顔だねぇ〜ハンサムねぇ〜」と褒めまくられる。ちょっと困った顔で「ありがとうございます」と答えるのも好感。
そんな姿を私はニコニコして見守っているのだが、お年寄り達、私には一切言及しない。
帰り道、「旦那がチヤホヤされている間、一切触れてもらえない私はやっぱり不細工なのね〜」と嘆いていると、「そうだったのー?不細工なんて言われてないじゃん」といった返答が。
確かに、旦那がチヤホヤされているだけのことで、私は不細工だねぇ〜と言われてはいない。
多分私は、不細工である前提で生きているから、過剰に旦那を持ち上げて、自分を過剰に卑下してしまっているんだと気付いた。

例えるなら、勝手に汚れた沼に飛び込んで、あぁ、私ってやっぱり汚い…。って言っているだけだなあと。やだぁ!それもダサい!!

本当に容姿端麗になりたいのか?

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不細工という前提で生きると、人からの褒め言葉も素直に受け取れないし、虚勢張っちゃうし、なんか惨めな思いするし、いいことない!
でもおそらく、整形したり、外見をよくしようとどんなに頑張っても、少しひねくれた性格が邪魔をして、美人だねって言われても正直に受け取れないと思う。
そう、美人の条件は、容姿端麗だけではなく、美しいと言われて素直に受け取れる心が必須。
よぉーし、まずは言われたことを素直に受け取るように心がけよう!…

と思うのだが、実際、容姿端麗ではないことに、ちょっとオイシイと思っている自分もいるんだよね〜。
ぽっちゃりでスカート入らないとか、顎のスペース余りがちとか、こうやって自虐的にnoteに書くのも好き。私は、綺麗な人〜!って拍手されるより、笑われる方が好きみたい。

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というわけで、今後も美人は目指さない方向で生きていこうと思います。よく考えたら、自分が綺麗だったとしても、鏡がないと常に美しい自分を鑑賞することはできないしね。そう考えると、美人な友達、可愛い旦那、綺麗なアイドルを鑑賞しながら生きていく方が満足度高かったりして。違うか。

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