お金のはなし?

お金ってなんでしょうね。

お金はエネルギー、と近年思ってるんです。でも、受け取るのが苦手だった。出すのはできるんだけど、人からいただくのがとにかく苦手。交渉事も苦手。相見積を取るのも申し訳なくて心を痛めてました。だって、それ失礼じゃない?その人を信じてないみたいじゃん、て思ってたなぁ。業務でしかなかったし、決定権が私にあったわけでなかったのにな。何かもう色々ごちゃごちゃだったんだな。

給与テーブルがあって、そこに乗っかって段階的に上がっていくという、昭和な感じは楽だと思ってました。ずっと雇われて働いているんだけど、さて、実際その階段式の給与テーブルに乗っかってみると、あれ?納得できないものがありますよね笑。

同じ仕事してるのに、給与違う、とか。それは学歴の違いだったり、雇用形態の違いだったり、性別の違いだったり。じゃあ、無期雇用(=正社員)&学歴高い人のが仕事量多いのか?ていうと、そうでないこともあったり(もちろん、仕事も責任も給与も全部多い人もいらっしゃるのは存じております)。そもそも、無期雇用の人が全く仕事できないとかやらないとかで、有期雇用の人いれてたり。そんなとこばっかりみてた。

お金=給与。になっちゃってたなーと思います。親もサラリーマンだったし。そして、給与=評価、と思ってたから、バブル崩壊後の給与テーブル自体の地盤沈下や、ベースアップ廃止、能力主義という名の単なる思考停止、などなどの要因も絡んで、全く給与も賞与も上がらない自分の状況に、自己否定を重ね続けて、ついでに、周りの人たちの【お金ない】【(モノやサービスが)高い】とかの声に過剰に反応してた気がします。

うちの母親が【お金ない】っていう人だったんです。小学二年生の私は、【お母さんに私のお金をあげる】って当時の私の全財産2,000円を差し出した記憶があるのですが、母はそれを受け取りませんでした。私は大ショック!お母さんを助けたくて全財産渡そうとしたのに受け取ってもらえない…涙。これ、だいぶハートが痛い思い出です。

大人になってから、母の立場だったら受け取れない理由もわかるかも、と思ったけど…。今はそこまで物分かりよく納得してない私もいるなぁ笑。母は23で私を生んだので、当時は30歳あたりですね。私の30歳の時とは環境も経験も情報も時代も、なにもかも違うと思うけど、30歳の私を今の私が振り返って未熟だったなぁと思うから、当時の母もまた未熟だったんでしょうね。私自身も今も勉強中だし。未熟が悪ではない!

私はいくつか転職をしたり、業務で他の会社さんに行くことがあったり、なんだかんだ経営者の人の話を聞く機会があったり、様々な立場の人たちとお会いしてお話しする機会が公私ともにあったりして、世界はいろんな人がいていろんな考え方がある、を体感している方だと思います。ちゃんとやってる人が報酬を受け取るのは当たり前だし、有り難いことです。それが真っ当な社会(集団意識)になったらいいと思っています。

そして、今年に入って【お金をたくさんもらっている人は、たくさんの人を喜ばせている人なんだよ】ていう概念が私に追加されました!やっとインストールされたのかも?

お金持ちの中に「既得権にあぐらをかいて、上から目線で搾取しまくるひと」みたいなのがイメージに入ってたけど、それは【私の世界ではない】と境界線をひくことにしました。

私自身が「私のお金は、私が生き残って欲しいと思う、大事なヒトモノコトに使う」と決めて使うようになって、もう10年くらいは経ち。ねえ、そういう循環でいくと、私が支払う先は私を喜ばせてるよね?と自分と脳内円卓会議。

(余談ですが、自分と脳内円卓会議には、いろんな自分が参加します。拗ねてるのも、子どもの自分も、大人の自分も、まあいろいろ。自分のことが自分は一番わからないもんだなーと思います。それが人生を面白くしているのかもしれません)

そんなわけで、私の【お金=給与】の思い込みをどんどん外していこうと思います。

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