とある議員のヤギさんの扱いで思ったこと

先日、とある議員が選挙活動にヤギさんを連れていて、選挙に当選した後は東京に連れていけないということで里子に出すということをTwitterで見つけた。

その後、批判されたことで里子に出さずにそのまま飼育することに方針転換したのだが、どうしても個人的にはもやもやの残る部分が多かった。

個人的に、生きものを飼うということに対して甘く見ていたとしか思えない事象であり、いくら保護された猫を飼育しているとしても生きものを軽く見ていたとしか言いようのないことであった。

現在の動物愛護法では、以下の点が重要視されている。

1:基本原則
すべての人が「動物は命あるもの」であることを認識し、(中略)動物の習性をよく知ったうえで適正に取り扱うよう定めています。
環境省:「動物愛護管理法の概要」 より抜粋

飼い主の方へ
守ってほしい5か条
1:動物の習性等を正しく理解し、最後まで責任をもって飼いましょう
2:ひとに危害を加えたり近隣に迷惑をかけることのないようにしましょう
3:むやみに繁殖させないようにしましょう
4:動物による感染症の知識を持ちましょう
5:盗難や迷子を防ぐため、所有者を明らかにしましょう
環境省:「飼い主の方やこれからペットを飼う方へ」 より抜粋

小型のヤギさん(ピグミーゴートさんかと思われる)とはいえ有蹄動物であるので、蹄に負担のかかる環境にしないようなことが求められる。しかし、飼育環境はお世辞にも良いとは言えない状態であった。

平らで排泄物や食べ残しなどを掃除するのがしやすそうな地面であるが、アスファルトなどで地面が固いと蹄に負担がかかりやすくなり、そこが傷つくことで病気にもなりやすくなる。

全体を見渡せるようなツイートは見つからなかったが、簡易的な柵で駐車場の一角を囲っているように思えるので、良い環境であるとは思えないような状況であった。

ヤギさんなどの種類(家畜動物)とネコさんのような生きもの(愛玩動物)とでは、法的な扱いが異なる。家畜動物は病気が広がるのを防ぐために飼育には届け出が必要になる。それだけでなく、ヤギさんは草食動物(クジラ偶蹄目ウシ科ヤギ属)で、食肉目ネコ科ネコ属のイエネコさんとは全く違う生き方をしている。はっきりと言えば、同じような感覚で飼育できるような生きものではないのだ。

いくら家畜種で人に慣れやすいとはいえ、選挙活動中に長距離移動や政治宣伝に利用しているという点も、個人的には疑問に思うところである。

ヤギさんを外に出すのは運動させるという面ではよい部分もあるが、選挙活動では大きな音や多くの人といったたくさんの強い刺激が伴う。そういった状況にヤギさんを連れていくというのは、ストレスになることも考えられる。それだけでなく、生きものを政治利用し、「カワイイの搾取」ともいえる状態になっているのではないだろうか。

生きものの搾取を減らすというのは動物愛護というよりも福祉や倫理にかかわってくるとはいえ、このように利用することは動物愛護を訴えていくという状況ではむしろ真逆のメッセージを主張しているようにも見受けられる。

動物愛護法と向き合って時期が浅いというのは仕方ない部分はあるかもしれないが、基本原則である「習性を理解した上で適切に飼養する」という部分や、「最後まで責任をもって飼養すること」を無視したような扱いをすれば、それは動物愛護ではない。利用するだけして最後まで責任を果たさないというような状況だったからこそ、動物愛護とは逆行している言動であった。だからこそ、批判されている。

そして、個人的に懸念しているのが、「無理に飼育を続けることでヤギさんに負担がかかってしまうようなことになるのではないか」ということと、「きちんとした環境を整えて飼育できるのか」という点だ。

そういう意味では、批判されていたとはいえ、「飼えない」という判断を下して里子に出そうとしたというのは、ある意味ではヤギさんのことを思っての行為であるとは理解できる。だが、それを撤回してヤギさんを飼育し続けるというのは、批判されたからやめますというような浅慮としか言いようがない。本当にそのヤギさんのことを考えているとは思えず、利用するだけしてあとは野となれ山となれというような感性でしかないというのを示しているとしか思えないのだ。

また、最初の時点でそうなることを予期せずに飼養してしまったという点は、あまりにも短絡的であるとしか言いようがない。

生きものを最後まで責任をもって飼育するというのはとても難しいことである。簡単にできるようなことではないからこそ、きちんとした要件を法令で定めるべきである。しかし、「生きものを救うヒーロー」という状況を演出して名誉を得ることが動物愛護精神あふれる人である、というような状況になりやすいからこそ、「適正飼育」という点を無視してこのようなやり方をしたのは、生きものを甘く見ていたとしか言いようがない

わかりやすくいえば、「動物愛護の基礎」を無視しているのに動物愛護を訴えているという、いびつな構造であるということだ。自分が当選できるような手段としてしか動物愛護を利用していないというような感じでは、本当に生きもののことを守れるとは思えない。

動物愛護の基本的な部分は、いくら動物愛護法にも穴があるとはいえ、「適切に取り扱うようにすることが大切」ということである。確かに「かわいそうな」命を救うことも大切ではあるが、目の前の命との向き合い方があまりにも雑としか言いようがないやり方では、その口で動物愛護を語るのは欺瞞ではないかと思う。もしも本当に生きもののことを大切にしたいのなら、目の前の命ときちんと向き合うべきであると思う。

長々と書き連ねたが、願わくばこのヤギさんが幸せに暮らすことができるようにと願っている。他人に言われたからというような理由で続けるのではなく、最後まで責任をもって命と向き合う。これが一番基本となる動物愛護の考え方だからこそ、このヤギさんと真正面から向き合って大切にしてほしい。それが、「命を扱う責任」なのだからこそ。

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