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自分がアセクシャルである理由を考えてみる

はじめまして。アセクシャルの某女です。
ここでのアセクシャルは広義的な恋愛感情も性的欲求も持たない人とします。

アセクシャルだったのか、アセクシャルになったのかわからないけど、このノートではなぜ自分がアセクシャルなのか自分の頭の中を整理するために記す自分探しの自分語りである。
このノートを見て「私はこんな理由なのかも」というコメント待っています。

自覚するまでの経緯


アセクシャルという言葉は知っていたがしっかり自認したのは最近である。恋ができないことに対して理想が高いだけ、きっと出会いがあると思っていたけど花のJK、出会いのJDでも何もなかったのでもしかしたらアセクシャルなのでは...?と思ったがこの先恋愛しないとは限らないし名乗っていいものなのかと悩む。死ぬまでアセクシャルじゃなくてもいいという某御方の言葉に納得し、アセクシャルと自認するという感じである。

何故私はアセクシャルなのか?


理由としては以下の3点が考えられる。
①元々恋愛に興味がない
→恋バナが苦痛
→「好ましい」という感情に恋愛がない
②人間を人間として好き
③恋愛によって友情グループを壊された

①元々恋愛に興味がない

私は、恋バナというものに興味を持つことができない。他人の恋バナを聞くのは(興味がないから)苦痛であるし、AさんとBさんがくっついった別れただの正直どうでもいいのである。フィクションとして恋愛ものは摂取するが、リアルの人間となると一切合切どうでもいい。他人に強い関心を示さないからだと思われる。

また「好ましい」という感情に「恋愛」という分類がなく、自分の中にないから興味を持ちづらいのだとも思える。

脳内メーカー

懐かしき脳内メーカー風に表すとわかりやすい。「好き」や「好ましい」という感情は敬愛や友情、母性、尊いなどに分解することができる。しかし私にとって恋愛という分類は存在しないか他人より領域が小さい可能性がある。そのため、すっごい好きという感情は、他人は恋愛に分類するかもしれないが、私にとってはそうはならない。

②人間を人間として好き


私は他人をジェンダー関係なく、人として好きになる。性格が考えが仕草が趣味が合うところなどなど、所謂「あなたの性別が何でも好きになっていた」ということである。身体的にも性自認的にも女であるが、他者に対してそこはどうでもいいのである。こういう事象?事柄に名前ついてないのかなと思う。

③恋愛によって友情グループを壊された


過去2度、恋愛によって友情グループが壊された経験がある。今でも少し恨んでいる。いままで友情として成立していたものをひっくりかえしてまで恋愛をしたいのか?と思ってしまう。

まとめ


自分語りをみるのが苦痛な方は、こちらを見ればいいと思う。
私がアセクシャルである理由は、『①「好き」に恋愛という分類は存在しないし、②人は人として好きだし、③恋愛自体ちょっと恨んでいるよ』である。
今回は恋愛感情に絞って書いているのは、私は恋愛と性的欲求を抱くことはは地続きだと考えているので(リアル限定)、恋愛感情がわかなければ性的欲求もわかないためである。


以上、私の思考溜めでした。



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