からだのシューレVol.13「恋愛の哲学ーなぜ、私たちは恋をして生きるのか」

バレンタイン前夜に開催された13回目のからだのシューレ。
今回も多くの方にご参加いただきました!

テーマは「恋愛の哲学ーなぜ、私たちは恋をして生きるのか」。

講師に、福岡大学人文学部准教授で哲学者の宮野真生子さんをお迎えし、恋愛の当たり前について「思想史」と「哲学」の観点から考えていきました。

●恋愛とは


皆さんは「恋(恋愛)」と聞くと、どんなイメージを持つでしょうか?
宮野さんは、いくつかの婚活サイトを例に挙げ、キャッチコピーに
「恋愛結婚」
「良い恋愛」
といった言葉があるところから、なぜ恋愛でなければならないのか、そのイメージを考えました。

恋愛経験のない人を「喪女」、
結婚していない人を「負け組」
と言うことがあるそうですが、
このことから
「恋はしている方が良い」
「恋をして当たり前」
というイメージに繋がっていくのではないでしょうか。
また、恋は理由なく無条件に相手の全てを受け入れる(愛されている)ことで、承認欲求を満たしてくれるものでもあるようです。

私たちは、自分の人生を自分で作れる時代に生きています。
婚活サイトは、相手に求める条件・求められる条件の合う人を探してくれますが、他力であり、「条件」を受け入れてもらったということになります。

「恋愛」と付けることで、
「自分の力で恋愛(結婚)する」
「無条件に受け入れてもらえる」
という安心感や余裕のようなものを与えているのかもしれません。

●「いき」とは


現代の恋は
「遊びは良くない。あなただけを真剣に。」
これが一般的ですが、ブレーキがかからず突っ走ったり、相手や周りのことも見えなくなってしまう危険性があるそう。
うん、思い当たる節あります(笑)

この危険な恋の仕方から、上手に相手とのやり取りが出来る理想の形として示されたものを
「いき(粋)」(関西では「すい」と言うそう)です。

『「いき」とは、「媚態」(アプローチ。二元的動的可能性)を基本構造とし、「意気地」(自己を守る強さ)と「諦め」(他社を受け入れる態度)という二つのストッパーをつけて恋心の暴走にブレーキをかけ、安定を図るもの』

私は、この言葉がとてもわかりやすいと感じました。
恋愛だけでなく、日々の人間関係にも言えそうだなと。
恋愛に情熱的になりすぎているとき、様々な情報に振り回されているとき、自分のルールに縛られているとき…
意気地と諦めを持って、余裕や冷静さを失わないこと、大切だなぁと思います。なかなか難しいですけれど。

長らく恋愛からは遠ざかっていますが(笑)
今回学んだことを踏まえて、もう一度恋がしてみたいなぁと思ってしまいました。
……なんてことを考えていたら、主人に渡すチョコレートをすっかり忘れていたので急いで用意します!

鈴木真美

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参加者様の感想

・恋は周辺環境(雑誌、ドラマ、恋は良いもの、しない人はおかしいといった刷り込み)に決めさせられている・自分で決めている気分になっているところがたくさんあると気づいた。

・恋愛という感情的・情熱的・直感的なものと、理性的にどう向き合うか大きなヒントになった。

・恋愛がこんなにあおられている社会について改めて考えた。自尊心との関係からも考えてみたい。

・自分の力で選択出来ることが理性的だという思い込みによって恋愛に追いたてられていて、その状態は誰にとっても理性的でないと感じた。

他にもたくさんの感想をいただきました!
ありがとうございます!

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