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矛盾、相反、共存

さや香を好きでいて何より思うのは、ごく短いスパンで常に自分の考えが移ろい続けている、ということです

さや香の漫才を見て、ありったけの二人にしか展開できない世界を目の当たりにしたときには、これさえあればもう他には何も求めることなどないと強く思う
互いへの信頼を垣間見たときには、どれだけ言葉少なでも、二人の間に生じる会話がたとえば喧嘩ばかりでも、一向に構わないとも思う

今この瞬間、これが私の揺るぎない率直な思いだと思っている

なのにその反面で、二人の目が合うと、相方の言葉に笑い声を上げる二人を見ると、相方に言及する姿を見ると、どうしようもなく嬉しくなる自分がいる
それどころか、本人たちが気にも留めていないような些細な言葉や行動の一端を捕まえて、憶測の風呂敷を際限なく広げてしまっている

二人に昔のように仲良くいてほしい、
二人がさや香で在り続けるなら
どんな形でも良い、
相反する二つの感情のうちどちらか一つを、
私の中で選び取れずにいる

せめてその二つの思いの均衡が取れていればまだいいものの、そのバランスがいつも50:50であってくれるのかといえばそうでもなく
解散以外は花、のスタンスでいようと決めた次の日には、ハイキック寄席の二人の空気感に当てられているし、冷静になってまた悟りを開いてみたり

自分なりに結論を出しても、別の意見を目にして揺らいでしまったりすることが、ざらにある

でも好きでいる対象が生身の人間である限り、彼らの感情やそれに付随する関係値には波があるのは当然で、当事者ではなく傍観者である私たちには尚更、その変化のきっかけすら分からないのだから振り回されるのは当然なのかもしれないと、一周まわって今は開き直っています

明日はまたどうか分からないけど
新山さんの等身大パネルに抱きつく石井さんを見て今でも叫びそうなくらいだし、それでいて結局はとにかくさや香がずっとこの世界にいてくれればそれでいいかなとも思ってるし
乖離が激しくて収拾がつきません

形あるものを愛し続ける以上、それらの矛盾とは共存していくほか無いのかなと思います
どんなに真反対に思える感情も深い根底は同じで、地続きにあるはずなので
そして、冷静になって振り返ったときにその振れ幅すらも愛おしいものだと思える限りは、苦しい期間があっても好きでいられるのだと思います

兎にも角にも、できるだけ長くさや香を好きでいられたらいいなと、それだけは一貫して思っています


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