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そろそろフロントエンドエンジニア一年目が終わるのでこの一年を振り返ってみる

初めまして。
からくれ178と申します。

高校は美術科に進学して彫刻をメインで学び、大学では生命科学を専攻し、大学院では情報学専攻していただいぶ狂った人間です。

去年の春フロントエンドエンジニアとして新卒入社し、一年目が終わるのでどんなことがあったのかプライベート含めて振り返ろうかと思います。(結構専門用語多め)

4-5月:わくわくと恐怖

フロントエンドエンジニアとして、新卒で広告制作会社に入社しました。
一切業界研究していなかった業界・業種だったので最初は業界のルールや仕事の流れを知るのが結構面白かったです。

入社前からお世話になっていた尊敬する上司の下で働けることがとてもわくわくしていたけれど、大学院の二年間で上の人間に対する恐怖心を植え付けられた影響でひどく恐怖を感じていた時期でした。

プライベートでは、趣味のクリエイティブコーディングの作品投稿を始めた時期でした。

6月:趣味が充実していた

minacodingという、クリエイティブコーディングを毎日投稿するイベントに参加して完走するなどしていました。

仕事では研修がメインでしたが、エンジニアで初の勉強会を開くとのことでweb上で三次元表現ができるライブラリであるThree.jsに関する内容で登壇する機会がありうれしかったです。

この勉強会をきっかけに社内にもくもく会が発足したので、何事にも物怖じせず挑戦してみるものだと学びました。

Three.jsを真面目に触るのは初めてだったので、processingで作ったアルゴリズムをThree.jsに書き直す形で勉強していた。

7月:自分のウェブサイトの計画を始める

学生時代にプログラムは触っていたものの、web制作に関して業界研究をしておらず、ほぼ未経験ということもあり覚えることが多すぎてパンクし始め
た時期でした。

覚えることが多すぎるのでキャッチアップのためにも、どれくらい自分自身ができるようになったのかの可視化のためにもウェブサイトを作ろうと計画を始めていました。

8月:病む

仕事では特に負荷のかかるようなことはなかったのですが、プライベートでトラウマ再びなイベントがあり、二週間ほど病んでいました。
未だに完全回復できていないので、一回壊れると元には戻らないなぁと常々感じています。

それでも泣きながら作品作っていたり、布団の中でコードを書いていたりしました。

振り返ってみると思った以上に作品を作っていた。

9月:モックの作成開始他 

仕事では特に記憶に残っているイベントはないです。ずっと研修をやっていた記憶だけあります。もくもく会でおすすめされていたReact three fiberというライブラリを一瞬触ったことは覚えています。

プライベートではウェブサイトに載せるアニメーションのモックアップの作成を開始し始めた時期でした。
メンタルに関しては落ちたり戻ったりで安定しなかった記憶があります。

モックとして作成していたアニメーション。
結局自分のウェブサイトには組み込まなかった。

10月:初案件!締切不安と不眠

それまでは案件に関われる機会が中々なく、実装者としてようやく関わった時期でした。研修では基本的に一人での開発だったのでチームでの開発が初めてでルールがわからず非常に戸惑ったことを覚えています。
また、よりにもよって開発初日から数日は三か月以上前から計画していた新婚旅行とかぶってしまい、チームの流れを理解できずに案件稼働が始まったためパニックになりながら開発していました。

それ以外だと実装力が全くないので締切不安で一時的に不眠になっていました。

振り返ってみるとそれでも新しい技術を触れていて、その気力はどこから?と思うなど。寝れなくて暇だったからだろうか。

11-12月:二個目の案件!二回目の勉強会登壇

最初の案件が終わった数日後に新しい案件にアサインされました。
今回の案件では自分が一番得意としている領域での実装だったため、締切不安はそこまで悩まなかったのですが、さっさとタスクを終わらせたい思いと、実装における興奮で不眠になっていました。

また、この時期から少しでもストレスがかかると夜寝るタイミングに上半身だけ蕁麻疹が出るようになりました。

12月には、この案件で使用している技術の勉強会を開きました。
人前で話すのは嫌いですが、登壇することでより一層自分の知識定着に役立ち、技術布教にもつながるので今後も登壇できる機会は狙って登壇しようと考え始めた時期です。

プライベートではクリエイティブコーディングのハッカソンに参加して賞を取れたのがすごくうれしかったです。

実際に賞を取った作品。半年間で実装したパターンをふんだんに盛り込んだ。

1-3月:暇すぎるがゆえに病む

仕事では案件がほぼ終わってしまい、ひたすらに暇でした。一人で学習を続けていましたが余りにも暇すぎて再び病んでしまい、後半泣きながらコードを書いていました。

この時期から、メンタルを安定させられない特性とストレス耐性の弱さからエンジニアとしては長く続けられないだろうと思うようになりました。

暇な分、もくもく会ではReact three fiberやrapier.jsなどめったに業務では使わないライブラリを研究・紹介していました。

その他に、大学院時代のトラウマからいろんなものが心の傷になっていることを認識してしまい生きづらいなぁと感じています。

  • もくもく会で紹介した内容(一部)

React three fiberと物理演算ライブラリrapier.jsでのできること紹介。

  無料の3DCGソフトウェアであるBlenderのpython scriptを組むだけでも結構いろんな表現ができることを紹介。

  • 心の傷1気持ちのいいアニメーション
    無限プチプチのように、何度も繰り返し触ってしまいたくなるアニメーションがダメになりました。フロントエンドエンジニアとしては若干致命的な気がするので、早く傷が癒えることを期待しています。
    参考例:https://drams.framer.website/

  • 心の傷2個性あふれる技術が絡んだデザイン
    技術とアートが現実世界でまじりあったものがダメになりました。特に人体に関連するとNG具合が増します。
    参考例:https://ja.takram.com/projects/shenu-hydrolemic-system
    そのうち趣味のクリエイティブコーディングもできなくなりそうで恐怖を覚えています。

プライベートでは、自分のウェブサイトを完成させたり、エンジニアのコミュニティに入ってみたり、外部LTに登壇したり結構いろんなことに挑戦していました。

実際に作成したウェブサイト。7月から計画を初めてだいぶかかってしまったが無事リリースできた。

今:案件稼働開始

現時点では案件稼働が開始しており、不眠と蕁麻疹におびえながら実装を始めた状況です。

メンタル自体は落ち着き始めたので、暇なのがダメだったんだと認識しました。

一年目を振り返ってみて

この一年ちゃんと振り返ってみると思った以上に色んな事に挑戦して、習慣化していったことがわかりました。

また振り返って改めて考えると、ストレス耐性が恐ろしくない代わりに何を言われなくても、メンタルが病んでいたとしても常に技術を触り続け、作品を作り続けていることがわかりました。

そのため二年目は技術を伸ばすでも、案件に触れられる回数を増やすでもなく、

とにかく潰れないこと

を目標として頑張っていこうと思います。


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