見出し画像

〝夢〟とは



周りの同年代は、職場で本格的に活躍しだし、結婚する知人もじわじわ増え始めた。


この歳になると夢って本当に難しいと思う。


私は、韓国に留学に来てから、夢について考えることが3度ほどあった。

1回目は、バイト先の店長から仕事中にいきなり「夢はなに?」と聞かれた時。2回目は、語学堂の授業で、先生から夢について問われた時。3回目は、つい最近、記憶に新しい2週間前のことだ。


小学生の男の子(韓国人)と話す機会があったので、何か会話を続けなければと思い、「日本人と話すことって中々ないと思うけど、気になることとか、何かありますか?」と聞くと、思いもよらない難題がきた。

その子はまっすぐな瞳で私に聞いてきた。


「夢がありますか?」と。


この手の質問は、何度が受けたことがあったが、それは全て大人からだった。そんな時、私は毎回、内心ちょっと焦る気持ちがありながらも、自分の夢を話した。でもそれは、本当にやりたいことなのか、それとも、「あ、この子は将来のことをちゃんと考えているんだな」と思われたいがゆえの夢なのか、はたまた、自分の中で安心できる理由をつけるための夢なのか、正直分からない。


でも、相手は小学生だ。相手を納得さたり自分の評価を気にする必要もない。だからこそ、私にはそれが逆に難しかったのだ。


〝夢〟の解釈は色々あり、「海外のプレミアリーグで、世界的に有名な選手のプレーをこの目で見て、何万人ものサポーターで埋まったスタジアムの熱気を肌で感じてみたい」というような“一生に一度はやりたいこと”も私にとっては大切な夢であるが、現実的に私は「夢=やりたい仕事」と考えている。やはりお金がないと生きていけないし、100%楽しいだけの仕事がないとするなら、どうせだったら自分がやりたいと思える仕事をしたい。その仕事で報酬をもらえるならなんて幸せなことだろうか。


でもいくらやりたい仕事とはいえ、前職のように、仕事が終わらず終電で帰ったり、海外旅行中も社用携帯を気にしたり、心が無になり通勤中の電車で涙が止まらなくなったり、そんな思いはなるべくしたくない。

うーん、、、難しい……(笑)


ただ、そんな私にも、建前としてではなく、憧れの会社や、興味のある会社、いつかこんなことできたら素敵だなと思う仕事がある。それは、昔付き合っていた彼氏や親、先生、友人など、いろんな人との何気ない会話から発想をもらったものも含んでおり、人と話すうちに、自分の知られざる想いが見えてくることもあるんだなと思う。



私が幼い頃、母は「いつか自分の文庫をひらいてみたい」と言っていた。その頃の夢を、今も抱いているだろうか。自分の好きな仕事に就き、休日も仕事関係のイベントに赴き、疲れているであろう平日の夜にもその日の仕事の話を楽しそうにしてくれる母のように(それは本当に聞いていて気持ちのいいものだった)、私もいつかなれるだろうか。