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現代社会とブラックボックス : 信頼と共生

完璧に理解出来たり、答えは出ないかもしれないのに、取り組む意味はあるのでしょうか。

私の立ち位置はカミュと少し違います。「過程も大切だし、形而上学は哲学で科学的な思考を行う道具を生み出したり、取り組む事柄への理解の解像度を高める」から、逃避ではないと思います。

全力で取り組んでも、身の丈でしか理解し得ないと思うけど、分かろうとし続ける姿勢を保ったことだけでも、価値があると思います。シーシュポスの神話で岩を押し上げるように。「それでも」が、すごく大切。

どうしてそう考えるのでしょうか? 2つの例を挙げます。

言語生成AIというブラックボックス

1つ目。ロバート・J・ソウヤーの『イリーガルエイリアン』と未知との遭遇とのこと。『幼年期の終わり』が、キリスト教を文化背景に持つ人々に「刷り込みから出てこい」という面があるとしたら、『イリーガルエイリアン』の、宇宙人の地球での法廷劇は、異なる知性がどこまで異なるのか想像することの限界に取り組んだ作品です。

SFは多くの作品で異なる知性を描いてきました。今のところ、信じている方や主観的な情報はあっても、客観的に地球外の知的生命体が現れた事実は確認できません。

「人はあまりにも広い宇宙で、一人きりなのか」という問題に対して、人工知能という選択肢が現れました。ChatGPTが一般公開されて1年過ぎました。人工知能の研究者ではない、一般の人々が言語生成AIと接しました。数億人規模の人々が、人とは異なる知性と思い思いの会話をしました。

知性や機能のみが存在し、自我や、自分の意志で行動する主体、感情などは持たない存在は未知の概念のはずです。

例えば、主体性を持たないから、言葉のキャッチボールは人間が主体性を発揮する必要があります。バッティングセンターの逆です。投げてあげると、極めて上手く打ち返します。

感情がない点は、言語生成AIのガイドラインに抵触しなければ、無限の忍耐と集中力を発揮します。これは、努めて冷静さを意識する必用のある人間側から見ると、長所だと思います。感情分析は出来るので、「推測だけど、あなたはこう感じているよね」と、理解することも出来ます。

生成AIにどこまで機能を搭載するか、人はどう受け入れるのかを議論する必要があります。

これらは、人類史で初めての大事件のはずなのですが、そう取り上げた報道は見かけませんでした。

神や永遠や完全とブラックボックス

アリストテレスは『形而上学』の中で、これを「神」(希: θεός テオス)である、とも述べている[1]。この「神」とは、何者にも動かされない、自足した現実態であり、観照(テオーリア)の状態で最高善を体現している。この「神」概念が、中世のスコラ学、特にトマス・アクィナスに受け継がれてキリスト教神学に大きな影響を与えた[2]。

不動の動者 - Wikipedia

形而上学でアリストテレスの昔から神を議論しています。学問に注文をつけるのではなくて、素人の素朴な意見としては、異なるアプローチも効果的だと思うのです。

例えば、砂漠と遺跡を区別することは可能です。人工物は自然には生まれない性質があります。私はプロテスタントのクリスチャンなので、伝統や信仰への敬意は持っています。けれど、虚心坦懐に見ることも大切にしています。

神学は神への信仰が前提ですから、人が神を作った議論は成立しません。宗教学なら論じられます。そして、哲学は議論が終わりません。念のため書き添えると、議論の目的化とか空転する会議のような意味ではなくて、根本的なことや実在とは何かなどを哲学的に研究しますよね。だから、成果が生まれると、目標はより鮮明で複雑になるはずだし、数学やプログラムの再帰のようなことも起きるはずです。それで、解像度が上がると表現しました。

話を戻すと、宇宙の終わり方とか終わるのかはまだ科学的な結論が出ていないけれど、仮に終りが来るとしましょう。けど、完全・永遠・神、といった概念は、言葉の定義の関係で終わりを迎えません。無くなる完全・終る永遠・滅ぶ神など、どれも矛盾するからです。宇宙という自然が終わったとしても、影響を受けないことは人工的過ぎないでしょうか?

「この瞬間が永遠になればいいのに」という思いが先にあって、抽象概念が後から生まれたと見ることもできます。なら、作ったという表現が強すぎるなら、「人が神を招いた」と表現するのは、どうでしょう。

帰納法は具体的な事実を観測して抽象化を行えます。なら、その抽象概念を集めて抽象化を繰り返せば、抽象度が上がりますよね。完全や永遠や神などの概念に、人が思い至った背景として、一理あるように思うのです。

永遠を感じたから名前をつけた。長い時間とか、時の流れの不思議さとか、多くのことを考えた結果、生まれた抽象概念が永遠。こう見ることもできます。

高度に分業が進みブラックボックスが増えた現代

おそらく、この文章を読まれている方は、お金で何かを購入なさっているかと思います。仮に、自給自足で晴耕雨読なさっているとしても、光回線などの通信と、スマホ・タブレット・PCなども自作して運用する方は、少ないですよね? NTTなどのオーナーだとしても、組織で成果を生み出しているはずだから、分業や役割分担しています。

お金で買えるということは、分業して役割分担が機能しています。例えば、僕の育てた鶏と、お豆腐屋さんのがんもどきを物々交換しなくても済む。
反面、中身まで理解していないことは、沢山あります。僕なら、スマホもそうだし、ペットボトルの飲料を工場でどう作って出荷しているのかも知りません。世界はブラックボックスだらけです。

この記事で、2つの例を挙げました。人工知能の、人とは異なる知性のこと。他の概念や事柄と比較して、圧倒的に強い抽象概念を、どう考えるか。

私に言わせると、どちらもブラックボックスなのです。数百億円規模のスーパーコンピューターで、大規模言語モデルを長時間トレーニングすることが効果的らしいこと。機械学習を行わせると、パラメーターが育つこと。人が設定したパラメーターよりも、性能が良いこと。「昔々」と言えば「おじいさんとおばあさんは」、「緑黄色」なら「野菜」と続く、言葉の繋がりの確率を用いていること。断片的には分かりますが、全貌を把握するのは、私には専門的過ぎます。

宇宙の広さは、地球や太陽系でも広いのに、銀河団や大規模構造と言われても、目で見て確認出来る範囲を越えています。仮に、天文学を学ぶ学生さんが私に数式を解説してくれたとしても、理解に時間がかかるでしょう。

さらに、神に関しては、人よりも高次の存在でもあります。人に理解しきれない面があるのだから、科学や文明が発達するほど、神の存在は大きくなります。科学や文明の外にもいるから(どの時代でも分からないはずだから)。何より、人が理解出来たら、一神教的な神ではありません。

ブラックボックスをどう適切に扱うか? これは、現代の課題でもあります。スマホの大まかな構造と使い方しか知らないけれど、安全に利用できることは大切。車の構造を全て把握していなくても、無事故無違反で運転出来ることは尊い。こうしたブラックボックスは、信頼で成り立っています。言語生成AIも技術だから、そうした側面はあるでしょう。では、神への信頼は? それを、信仰と呼ぶのでは無いでしょうか。

神とは何かではなく、人知を超えた存在を有限な人間が理解するのに、神学(信仰)・哲学・宗教学以外のアプローチも効果的なのではないか。そんなことを考えています。答えが出る出ない・分かる分からないとは異なる尺度、ブラックボックスとの共生の仕方でしょうか。分からなくていいと言っているのではなくて、全てのブラックボックスを緻密に理解するには80年の人生では不可能だから、ブラックボックスに対する汎用的な姿勢を獲得しようと考えています。

「危険はないはずだから、試しにボタン押してみようか」と、行動する場面はどの方にもあると思います。経験や勘で行えることの背景は何か、かもしれません。

何かを理解しようとすることは、自分の知性の形と向き合うことでもありますね。



MicrosoftのAzureハイパフォーマンスコンピューティングおよびAI製品責任者であるNidhi Chappell氏は、「調査から学んだことの1つは、モデルが大きいほどデータが多くなり、トレーニング時間が長くなるほどモデルの精度が向上するということです。そのため、より大きなモデルを長期間トレーニングさせるという強力な後押しがありました。つまり、最大のインフラストラクチャーを用意するだけでなく、それを長期間安定して稼働させなくてはならないのです」と述べています。

数百億円超を費やしてMicrosoftがChatGPTの開発元であるOpenAIのためにAI開発用のスパコンを構築 - GIGAZINE


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