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北川けんいちさんのライブに行って、思い返す日常のこと。#111

「北川けんいちさんと、似てるとこあると思うよ。」

って、所属するコミュニティ「コルクラボ」のトークイベントに遊びに来てくれた、歌詞の北川けんいちさんのトークが終わったあと、同じコミュニティの人に、言われた。

もしこの世に生を受けるタイミングで、イケメン成分と、歌唱力成分が自分にちゃんと混ぜ込まれていたら、もうわずかくらいは、似たかもしれない。

けれど、誰のなんのいたずらかも分からないまま、気づいたときには、ぼくには、どちらも入ってなかった。

それでも、そんなお世辞かどうかも分からないささやかな知り合いの言葉にのせられて、昨日、渋谷のライブハウスで、北川さんのライブを聴きに行った。

小さなライブハウスの中にこだまするファンの人たちの大きな熱量に対して、それほど北川さんの歌を知らない自分の体を、申し訳なくならない程度に縮こませながら、歌を、聞き始めた。

北川さんの歌詞の中には、いろんな歌の歌詞に出てくる、自分にはいつも重すぎて、取り扱いにこまる「夢」も「希望」も「愛」も、ほとんど、登場しなかった。

かわりに登場してくるのは、毎日の中に繰り返し表れては、ほとんどが気づかないまま消えていく、取るに足らない日常の連続だった。

でも、連続する日常が、北川さんの軽快なトークと、やわらかみのある歌声と混ざり合って、なんだか歌詞にのると心地よくて、ふわりとゆるやかに耳の奥を伝って、心に響いた。

読んでくれた方、ありがとうございます。強い言葉と感情に引っ張られては、繰り返す日常のありがたみを脇に追いやろうとする自分を、いまいる日常に、少しだけ、連れ戻してもらった気がした。

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