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表と裏を回ることで奥へと続く道が見つかる

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【軟水のたそがれ】
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毎週日曜日の夜に更新しています!

この【軟水のたそがれ】は、

僕がTwitterで毎日更新している「#軟水のつぶやき」を、深掘りするエッセイ。

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)

・・・本日取り上げるツイートは、⇓コチラ!

さっそく深堀っていきましょー!

■表を取り繕うから裏ができる

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「あの人の裏の顔は実は・・・」

「この人は裏表がない」

「何事も表裏一体だよ」

などなど、表と裏に関して様々な言い回しがある。

『裏』とは、いわゆる”秘密”や”隠し事”の表現で使われることが多い。

裏表のない人は、自分を偽らずに全てをさらけ出しているイメージがある。

・・・では、自分が「裏の顔を持っているような人だ」と周りから見られないようにするためには、自分の全てをさらけ出さないといけないのか?

マジシャンのカードマジックのように、「表も裏も何もおかしなことはありませんね?」と、清廉潔白を示さなければいけないのか?

それはけっこう、生きづらいんじゃないかと思う。

全てをさらけ出せない自分もそうだし、他人の裏側ばかりを気にしていると、自分の裏側を守るために表を取り繕うとしてしまうから。

・・・秘め事や隠し事は、きっと誰にでもあるもの。

それを『自分の裏』と捉えていると、見られないように、ますます隠すようになる。

表面をなるべく綺麗に見栄えよく取り繕っておけば、もし誰かに見られても困らない裏面をお見せできる。

まるでその秘密は「隠してしまうような”ダークな裏側”ではなく”クリーンな裏側”なんですよー!」といわんばかりに。

それでも表を取り繕うから裏に秘密ができるし、その秘密をクリーンに保とうとして、ますます表を取り繕うという悪循環になりうる。

・・・ではここで、自分が周りに気やすくさらけ出したくない秘密や隠し事を『自分の奥』と捉えてみたら、どうだろうか??

■僕の奥には熱狂と孤独がある

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ちなみに僕自身のことを話すと、表には「やわらかさや温かさ」があるように思う。

どんなことも肯定して、自分なりにやわらかく受け止めていくからだ。

・・・その一方で、僕の『奥』には「熱狂と孤独」がある。

僕はやわらかくて温和な姿勢を大切にしていて、自ら熱く語ることは少ないし、聞き手に回りたがるので、「沈黙」が多い印象を持たれがちだ。

「沈黙」とは「熱狂」の対義語であり、僕の表だけを見ている人は、まさか熱狂的な一面があるとは思わない。

だけれども、僕は心の中で静かに熱狂している

ちなみに、僕がどんなこともやわらかく肯定するのは、かつて身の回りの人間関係が「不和」で溢れていたからだ。

身近な親戚同士が争い合ったり、誰かが誰かをいじめるというような現場を周りでたくさん見て、その度に「不和」の心地悪さを感じていた。

だから僕は、どんなこともまずは否定しないと堅く決めている。

人間関係をやわらかくして、そこに「和」を見出すために、静かに熱狂している。

「なぜやわらかさを大切にしているのか?」の『奥』を辿っていくと、こうした熱狂が見えてくるし、これは僕の魅力だと思う。

・・・さらに、僕の『奥』には「孤独」もある。

僕が色んなことを肯定するのは、僕自身がかつて否定されて、孤独を感じてきたからだ。

厳密には、「自分は否定されている」「受け入れてもらえるわけがない」ように感じていただけかもしれない。

他人と違う自分や、世間の常識から外れてしまったことに対して、「自分は普通じゃない」と感じてしまうことも多々あった。

けれど、そんな時に自分を肯定してくれる人の存在は、必ず力になる。

だからこそ、僕がかつて抱いてきたような「孤独」を周りに感じさせたくないし、他人を肯定して、やわらかく人と繋がることで、僕の孤独も和らいでいく。

・・・このように、僕には「熱狂と孤独」という『奥』がある。

しかしこれを『裏』だと捉えてしまうと、「自分の孤独を埋めるため」に周りとやわらかく接したり、何でもかんでも肯定するだけのイエスマンになってしまう。

実際、昔の僕はそうなってしまっていたと思う。

「僕は実は孤独なんだ」という事実を裏側に隠して、「孤独じゃない」という偽りの表を、取り繕ってしまう。

そうやって表面上どれだけやわらかく周りと接しても、表では自分を偽り、裏の孤独を隠そうとして、ますます孤独を深めるだけだ。

・・・取り繕わない表があるからこそ、奥に入ろうとしてくれる人が現れるのにもかかわらず。

表玄関から入ろうとしたら、その玄関は実はハリボテの薄っぺらい壁で、奥に入る余地もなく裏側しか見えないということになってしまう。

■【さいごに】自分を偽らない奥ゆかしさ

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なんだかんだで最も大切なことは、「自分を偽らないこと」だと思う。

偽るからこそ、それが裏に回ってしまい、表として何かを用意しなければいけなくなる。

そしてその表には、偽りが混じってしまう。

・・・ただただ自分に誠実なことを表に出しておけば、あとは周りが勝手に裏を想像していく。

その表にはどんな奥深い理由があるのか?」という疑問を、裏しか見ていない人は抱かないが、表と裏を回っているうちに、奥への道を見つけてくれる瞬間が訪れることもあるかもしれない。

その時に裏と表はひっくり返って、改めて表から入り直そうとしてくれるし、奥を探り出すだろう。

奥へと道が続いていることに気づかない人もいるだろうけれど、表を偽ってしまったら、その道の存在に自分自身ですら気がつけないから、まずは嘘偽りのない表をこちらからさらけ出してみるしかない。

・・・自分の奥を、全ての人に見せる必要もない。

表を見てもらったら、次は玄関、次はリビング、さらに冷蔵庫と、順々に見せていけばいい。

そういった姿勢が、「控えめさ」でもなく「あざとさ」でもなく、『奥ゆかしさ』となって、魅力がより深く伝わっていくんだと思う。

ではでは、本日は以上です。

読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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