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日常に木漏れる温もりを求めて

日常はすぐに過ぎ去り、時に冷たく、せかせかと流れてしまう。

だからこそ、ぬくぬくとした心持ちで、ゆったりと過ごす時間を少しでも持つことを、僕は大切にしたい。

『己の感情』や『自然の風情』といった、"情の移ろい"を、しっとりと汲み取りたい。

日々の移ろいを潔く受容しながら、日常の速さに流されるのではなく、自ずから流れゆく心意気で。

僕は、観想する時間がスキだ。

『観想』とは仏教用語で、特定の対象に向けて心を集中し、その姿や性質を観察することを意味する。

毎日写真を撮っているのも、僕にとっては観想の1つ。

海や空や花を眺めながら、ずーっと観想している。

夕陽が沈む時間や朝陽が昇る時間に合わせて、1日の予定をスケジューリングしているくらいだ。

写真を撮って抱いた感想を、水に関する漢字だけで表現するという制約をかけた時期もあった。

写真を通じた観想は、光や水、木や花といった自然対象に己の感情を照らし合わせ、自身の魅力を探索する時間。

僕が撮る写真の多くは『光』を切り取っていて、日常の中から、温もりを感じる瞬間を見つけ出す大切さを表現している。

一緒に『水』を写すことが多いのは、低い位置に沈むその水面を『僕らが抱える闇』に喩えて、「光に照らされることで僕らの魅力が輝きだす」という意味を込めているからだ。

たとえ「水溜まり」のように停滞していても、光が差し込むことで美しく映えるし、「波のうねり」は激しく移ろう僕らの感情とそっくりで、光と重なることで艶やかになる。

同じように、「木」や「花」にも意味を注いでいる。

変わらずそこにあり続ける凛々しさや、瞬間的な注目の果てに枯れゆく儚さ、そして、奥深い余情を表現している。

・・・たとえ、心が沈んで日常に流されそうな時があっても、温もりを見つけ出すことで、僕らの魅力は輝きだすはずなんだ。

僕の写真には、『闇から光への移ろい』というテーマを潜めている。

現代は、スマホで誰でも何となくいい写真がとれて、ガチのカメラで撮る価値が薄れていると感じる。

だからこそ、僕の写真はすべてスマホで撮っていて、これを見たあなたが「自分でも撮れるかも…撮ってみよう!」と感じてもらえたら、それが幸せだ。

僕らの心に温かな光を差し込むのは、明日も日が昇る太陽の役目だし、太陽のような情熱で包み込んでくれる他者の役目。

そこは、頼っていい。

けれど、その光を見つけ出すのは"自分自身の役目"だから。

自分で空を見上げ、光に視線を向け、己の視点を捉え、写真として切り取ることでしか回復できない感情があるんだ。

Netflixの『フォロワーズ』にて、「写真でしか回復できない感情がある」という表現がとても素敵だったので、引用させて頂きました。

・・・僕は、日常を心豊かに過ごしたい。

『心豊かに』とは、『平穏に』とは少し違う。

感情のうねりがあってもいいし、闇の中から光を見つけ続ける作業が必要なんだ。

それは、移ろいゆく自然や社会の中で、自分自身の行動をゆるゆるっと変化させ続けてゆくという、主体的な営み。

僕らは、周りの環境が変化する幅よりも、自分自身が変化する幅の方が相対的に多いと感じた時に、充実感を得る生物だから。

そうして自身自身の役目を全うすることが、心の豊かさに通ずるのだと僕は思う。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするフォトエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています!

ゆらりときらめく水鏡のように
他者の魅力を鮮やかに彩る存在でありたい



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