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心が滲む豊かさを

今週の夕景は、しとやかな移ろいを毎日のように魅せてくれて、心が滲んだ。

写真を撮っている時の僕は、『自然になりきること』を大事にしている。

水が映った風景が多いのは、水になりきることが多いからだ。

その目的は、『同感能力』を研ぎ澄まし続けることにある。

もし自分が水だとしたらどんな動きをするか?ということを、観想しながらしっとりと考えているんだ。

僕ら人間は、自然との触れ合いや他者との思い出の共有など、感情を回復させる体験がないと、だんだんと感情が劣化してしまう。

「今、自分がどう感じているか?」が、分からなくなってしまう。

もしも、そうした体験が全くなくなってしまえば…

自分が見たいものだけ、自分が感じたいことだけに流されて、他者から見えているもの、他者が感じていることを、共に感じきることができなくなってしまう。

相手の目線に立てなくなり、あの人のために何かをしてあげたいという気持ちがなくなり、『損得勘定』だけしか、行動の指針がなくなってしまうんだ。

だからこそ何かに『なりきる』という時間が必要で、その対象は、虫でも動物でも、海でも川でも、星でも空でもかまわない。

自分以外の、目の前にいる相手がどう感じているか?を知ろうとして、痛みを共に感じ心を滲ます時間は、とても尊いものなんだ。

その尊さは、僕自身が『波になりきる時』によく感じることでもある。

波が重なる瞬間のフワッという揺らぎはまるで、人と人が深く繋がった瞬間と同じよう。

例えるならば、互いに感じていることを同感し合って、心のどこか奥の方で何かが繋がった音を共に感じ、共鳴し、ここではないどこかへ行けたような、そんな感覚と似ている。

波には周期があって、そこが合わないと、たとえ波が重なっても、互いをむしろ弱め合ってしまう。

しかし周期が重なれば、互いを強め合ってより大きな波となり、うねりを巻き起こす。

僕ら人間も、ライフステージの近しい人と波長が合った際に、今立っているここではないどこかへ行けるような力が、内から湧き上がってくるはずだ。

そうした揺らぎを待ち侘びながら、ただ待つだけではなく、波打つように自らの情を震わせている。

…時に僕は『光になりきること』もある。

低い場所に冷たく沈む水面を鮮やかに照らし出す、太陽の光。

それは、いつかの僕が水のように下の方を漂っていた際に、光を照らしてくれて、共に輝こうとしてくれた人がいたことを思い起こすからだ。

そうした温かな記憶があるからこそ、冷たい水になりきるだけでなく、温かな光になりきろうとする、そんな気概が芽生えるのだと思う。

高いところから低いところへ流れる水のように、流れに身を任せることで満たされる自分も好きだけれど、太陽のように熱情的に光輝いて、誰かの彩りを照らし出す瞬間も、魅力的だ。

水と光で共に輝き合えると信じられるのは、きっと、水になりきった経験があるから。

心が冷たく沈んだ時にどんな光が差し込めば浮き上がるのか?を、体験を通じて知っているから。

心の中に何度もしずくを落とし、色んな形の波紋を浮かべた末の共感にこそ、温かみが宿るのだと思う。

独りで光っていても、つまらない。

相手の中に入って、共に輝き、心を滲ます瞬間を作っていこう。

そう自分に言い聞かした1週間だった。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするフォトエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

社会心理学の観点から、感じたことを綴っています。

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています!

ゆらりときらめく水鏡のように
他者の魅力を鮮やかに彩る存在でありたい






















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