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2018.12.9〜10日記「創作を一切やらなかった一年間」

9日

朝:なし

昼:ピザポテト

夜:チョコレート

10日

朝:朝バナナ

昼:サラダ、サラダチキン、タンスティック

夜:ラーメンとチャーハン

日曜日、外に一切出ずにお菓子を食べていた。ピザポテト一袋と板チョコレート一枚しか食べてないのであんまり健康に良くない気がする。故に翌日ラーメンを食べた。

何でそんなことをやっていたかというと、迷惑メッセージの人とやりとりをしていたから。なんか先日もそんなことやってたな

この日も迷惑メッセージ業者の人とのやりとりは盛り上がったのだけど、それを上回る本質的な伏線回収は翌日である12/11に行われたので詳細は明日の日記に回すとするのである。今日の日記を明後日に書くとこんなことも起こるので、もうよく分からなくなるな。


上記とは全く関係ないんだけど、突如私の話をすることにしよう(なぜならここは私の日記なので)。

実のところ私は2017年の7月くらいにとあるソーシャルゲームのシナリオを脱稿してから一切の創作活動ができなくなっていた。ここら辺から一年間くらい他人の創作物を読むことは困難になり、wordなんて開くことすら苦痛だった(本業のお仕事にすら支障が出た)。

当時の呟きのひとつ

その間に多少入ってくるシナリオのお仕事は全て断らざるを得なくなり、以前はちょくちょくプロットを送っていた担当編集さんにも連絡をすることはほぼ無くなった(なぜなら全くプロットが浮かばないので)

当時は本当に意味が分からなかったのだけど、今になって思うと、お父さんが病気になったことが結構大きかった気がする。

私は自分のことを並行作業をそこまで苦にしない人間だと思っていた。でもそれは2つまでであって、3つ以上の並行作業が極度に苦手なのであることを、この時初めて知った。

仕事、創作だけならまだできる。だけどそこに私生活が入ってくると私は何もできなくなるのである。

当時はそんなこと知る余地も無いので「何で私はまったく創作できなくなってしまったんだ!?」と意味が理解できず、延々と焦燥感に駆られ続けていた。

私は創作をする熱意も才能も枯渇してしまったのだと半ば半狂乱になり、泣きながら友達に連絡をした記憶がある。たった一つしかない支えを失った人間は酷く脆いのだと改めて知った。

今は別に他人の創作物を読むことが苦では無い。もう私生活は落ち着いてしまったから。そんな今だからこそ分かる。あれは単に自身のキャパシティオーバーだったのだ。

創作より高額医療費還元方法や税金の問題を調べたり、毎週末病院に行き、運転免許を取得したりする優先度の方が高かっただけなのである。

本当にただそれだけであったことに気付いて、お父さんには申し訳ないとは思うけど、今では少しだけ安心している。

この日記はびくびくしながらリハビリとして始めたのだけど、今は日記以外のコンテンツ内容を考える余裕すらできてきた。書きたい物語もようやく"浮かぶ"ようになってきた(以前は書けない上に、書きたいと思える物語が頭に浮かぶことすら一切無かった)。少しずつだけどリハビリは上手くいっている気がする。

私は私が上手く生きていけるように、日記を書き続けるのである。

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