かけうどん232円

香川出身のマーケターとして丸亀製麺に対して複雑な感情がある

香川県出身のマーケターとして丸亀製麺に対して複雑な感情を持っている。

もともと丸亀製麺は香川の会社でもないし、丸亀となんの関係もないのに「丸亀」を名乗って「讃岐うどん」を提供しているのもちょっとなぁ、と。(丸亀製麺は第一号店を2000年に出店した12年後の、2012年に初めて香川に出店し、その後に数店舗だしたものの閉店が相次ぎいまでは2店舗しか残っていないとか。2019年9月 公式web情報)

マーケティング活動の一環としてどこかの名前を使うというのはよくあるけど、関係ないのにやるのはよろしくないよね。しかも由来あって「丸亀」を名乗る店に内容証明まで送って邪魔するのはさすがに度を過ぎている。

今年に入ってから目立つようになったのは調理方法とかを価値として訴求する方法。これもマーケティング手法としては古くからやられているものなので手段としてはありがちなものなのだけれど、中身があまりよろしくない。

例としては

「ここのうどんは、生きている」
「すべての店で、粉から作る」
「打ちたて、茹でたて」

みたいなコンセプトを掲げている。

「すべての店で、粉から作る」ことと「打ちたて」は別においしさを必ずしも担保しない、「茹でたて」てうどん食べるなら当たり前では。むしろ茹でたてじゃないうどんを出すお店のほうがレアでは。

「間違ったことは言っていないけど、よく考えるとおかしくね」麺通団団長がこのあたりの事情も含めて歴史的な経緯まで完璧に書いてくれているので是非ご一読を。

(「ここのうどんは、生きている」のキャッチコピーがここ(丸亀製麺)以外のうどんは生きていない」というニュアンスがほのめかされているという指摘には笑った)

団長の言葉を借りると、丸亀製麺の問題は「讃岐うどんへのリスペクトがない」の一言に尽きる。

いや、マーケターとしてとても妥当なことをやっていると思っています。「嘘ではないけれど、知っている人からするとおかしい」といったコンセプトやキャッチコピーは悲しいかな多くのマーケティングで使われている(個人的にはマーケティングの嫌いなところでやらないようにしている)。

特に最近は「讃岐うどん」の名前に乗っかるのみならず、自分たちが「讃岐うどん」を代表しているかのようにをわが物のように扱い始めたのはさすがに待てと言いたい。

自分にとって面倒くさいのが丸亀製麺のマーケティングは別にマーケティング的に間違っていないというジレンマがあるからだ。

今回の丸亀製麺のマーケティングには森岡毅さんというUSJを立て直した功労者が携わっている。

マーケターとしての自分にとって森岡さんは尊敬の対象で、彼の著書や記事は全部読んだし持っている。データを使った戦略的な計画の立て方には学ぶところが多い。

やや成長に陰りが見えてきた丸亀製麺に森岡さんがマーケターとして参画したのは2018年の秋(正確に言うと森岡さんが代表を務めるマーケティング会社「刀」との契約)からでそこからリブランディングが始まった。

その一環として前述のキャッチコピーなんかが出てきた。他の施策も色々やっていて、その成果は確実に出ているようです。

世の中の多くの人に広く知ってもらうために、ある程度話を簡単にしたり組み替えたりするのはまぁ、許容できる。「マーケティングとして」は間違っていない問題はその文化を軽んじていること。

丸亀製麺が「丸亀」も「讃岐うどん」も掲げずに普通の「うどん屋」として展開しているならこんなことは思わなかった。

ビジネスとして19年で国内外で1,000店を超えるほどにも拡大したのは素直にすごいと思う。ただ、長く親しまれてきた文化に乗っかって成長し、恩返しどころかその文化をまるで自分たちのもののように扱うのはさすがにおかしいんではないですかね。

まぁ、ほとんどの人にとってうどんの粉からの作り方とか、それにまつわる話なんか知ったこっちゃないだろう。

自分だってうどん以外のものを「できたてのおいしさ」です!とどや顔で出されたら、「わー!」と受け取ってしまうだろうけど、子供のころから親しんでいて、故郷の大切な文化を土足で踏みにじられているのはいい気がしない。

せめて自分はマーケターの矜持としてかかわるモノ・サービスとその文化へのリスペクトは持っていたいなぁ。きっと効率を落とすことになるんだろうけど。

面倒くさいこと書いてきましたが、そんな風に思ってしまうくらい大事な存在なのです、香川にとって「うどん」というものは。

あと、ついでに言っておくとマーケティングも自分は大好きです。日の当たっていないモノやサービスを世に広げられる素晴らしい手段なので。使い方は要注意だけど。

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