無印良品が生まれたワケ

text by やなせ

今回は前回に引き続き、今更ながら私がどハマりしている、
「無印良品」についてつらつらと書き綴らせていただきたいと思います。

前回は「無印良品が無印良品である理由」ということに
スポットを当てて書かせていただきましたが、
今回は、そもそもなぜ無印良品が生まれたのか、
何のために生まれたのか、ということにスポットを当て、
本を読んで感じたことを書き綴らせていただきます。

それではさっそく…

堤清二(つつみ せいじ)について
無印良品は1980年にSEIYUのプライベートブランドとして生まれました。

今で言う、AEONのトップバリューのようなものですね。

創業者である堤清二さんは実業家、小説家、詩人、
かと思えば、共産党議員という肩書きまで、
あらゆる活動をされている方だったそうです。

堤さんは西武百貨店代表取締役社長としてだけでなく、
百貨店そのものを変えようと、
「脱百貨店」を目指し、活動を続けてきた人物でもあります。

そして、渋谷PARCOやファミリーマート、
それぞれの生みの親である堤さんは、
様々な方向から流通産業と関わり、
支え続けてきた人物でもあります。

しかし、その中で絶えずあったのが、
「自分自身の活動に対する否定」だと言います。

経営者として流通業界のトップで戦い続けながらも、
詩人としての一面、共産党議員としての一面を持つ堤さんは、
何を思い、何を願い、「無印良品」を生み出したのでしょうか。

無印良品のうまれたワケ

無印良品は、消費社会に対するアンチテーゼから生まれた
企業であると言えます。

当時の流通産業の成り立ち(流通業と生産業との対立など)に対して、
疑問を抱き続けていた堤さんは、生活者にとって役に立つ、
生活者の視点に立った商業、流通業のあるべき姿を
実現させようとしていました。

そこに生まれたのが、「無印良品」なのです。

1980年代、より高価なものやブランド力のあるものこそが
価値のあるものとされていた時代。

そして、流通業と生産業が生活者の発想から外れ、
供給者としての発想、利益を第一に商業活動が行われていた時代に
堤さんは「生活者にとって必要な商業」というものを
模索し続けました。

ノーブランド、品質が良いもの
無+素材を選ぶ+印+工程を省く+良+包装簡略化+品
無印良品が生まれた瞬間です。

素材を選ぶ、工程を省く、包装簡略化。

無印良品の基盤となるこれらの考え方は、
無印良品の商品開発としてだけでなく、接客応対の軸ともなり、
「無印らしさ」を表現する上で今でも大切にされ続けています。

ここで重要となってくるのが、
田中一光、小池一子、杉本貴志ら率いる
デザインコミッティー(現:アドバイザリーボード)の存在です。

この仕組みもまた無印ならではの面白い構造なのですが、
その話はまた次の機会に、、、

率直に言うと、今の無印良品の脳みそとなっているといっても
過言ではない集団と捉えてもらって良いのではないかと、、、

そんなこんなで、このような思想のもと
無印良品は誕生しました。

今回は「無印良品の生まれたワケ」を、
創業者である堤清二さんと照らし合わせながら
書き綴らせていただきました。

自然と。無名で。シンプルに。地球大。

現在の無印良品が大切にしているキーワードです。

これらのキーワードの裏には、
堤さんを代表する、無印良品を創り出す多くの方々の
強い思いが込められているように感じます。

そして、そのようなあらゆる一面を持ち、自分自身の活動に対して
否定と肯定を繰り返しながら人生を送られてきた
堤さんの思想を表現したものこそが

「無印良品」といえるのかもしれません。