戦争も、戦争の終わりも、全て「日常」の中にあったのだと刻み続ける徹底ぶり(「この世界の片隅に」第八話レビュー)

最終回に向けての舵切りが、不自然とは言わないまでも、どうしても透けて見えるのが残念に感じた回だった。シンプルに話数が少ないというのもあるが、「終戦、そして最終話」という繋ぎ目的な役割を感じてしまった。これまでの展開の繊細さや緻密さがあるからこそ、終戦から一気に明るい方面へ転換するタッチに少々の違和感を覚えた。

とはいえ終戦そのものの描かれ方に疑問は全く無い。そのリアリティについては想像するしかないけれど、ラジオが上手く繋がらない、そろそろ脚が痛い、長い、など若干深刻さを欠いたシチュエーションの中で、あっけなく終戦が言い渡される強烈な日常感。戦争も、戦争の終わりも、間違いなく日常の中にあったのだと刻んでくる。一貫して、ある種「しつこい」くらいに全ての出来事を日常として描く徹底ぶりを感じた、とても真面目なシーンだと感じた。

終戦を受け入れられないすずの葛藤、息子に気付けなかった母親の嘆き、それぞれの戦争と終戦が語られつつも、物語の終わりに向かって光が強くなっていく。暗く描けとは思わないし、むしろこの物語の人々の強さを私は愛しているけれど、やはりちょっと急すぎるのではと思ってしまう。テンポの良さ、明るさを取り戻す人物たち、映像の光、全部が揃わなくても良かったのでは、と。どこかで聞いた「戦後の方がよっぽどしんどかった」という言葉がちらつく。もちろん、それぞれの捉え方があるのだろうと思う。ただ、空襲という恐怖が無くなったとしても、食糧難という生命に関わる災難は同じ程度に深刻なはずである。ドラマで描かれるほど、一貫して明るく乗り越えられるものかどうか、疑問が残った。

第一話から今回に至るまで特に触れてこなかったのだが、最終回手前になっても現代パートの意義がいまいち見えてこない。いつか見えてくる、いつか見えてくるはず(今回ではない)と思っているうちにここまで来てしまった。邪魔とまでは思わないが、さして強い意義が感じられない時間が定期的に挟まれてくるのは作品として勿体無いのでは、という気持ちになってくる。そして毎回必ず思ってしまうのが榮倉奈々と古舘佑太郎のスタイル差。ちょっとこのキャスティングは意地悪すぎやしないか、と思ってしまう時間は確かに作品の邪魔かも。彼氏っぽいけど弟分、という役回りなのは分からないでもないが、強烈にキャラクター性を打ち出す時間がない中で二人が並んでいても、その関係性よりもスタイルの差が強調されてしまうように思う。どうにも落ち着かない。


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