淡々と好きな脇役について(2003年版「白い巨塔」感想)

2003年放送、フジテレビ開局45周年記念ドラマ「白い巨塔」がどうしようもなく好き。山崎豊子による原作小説、1978年放送の田宮二郎主演版の評価の高さを耳にしつつも、92年生まれの私にとって最も身近で強烈にのめりこんだのは唐沢寿明主演版ドラマ。軒並み20%を超える高視聴率を記録し、名作ドラマとして人々の記憶に残ったこの作品の素晴らしさをあぶりだすべく、全21話に通底する「良さ」を数回に分けてあぶりだしたいと思います。

第一話、順々に画面に映し出されていく脇役たち。その表情を追いながら、彼らがじわじわとこの「白い巨塔」で起こる事件に巻き込まれていくさまが脳裏によぎる。西田尚美扮する看護婦、亀山君子。この頃まだやせっぽちの伊藤英明。その同期、佐々木蔵之介。そして真面目で少々頑な奥田達士演じる金井講師。

第一幕、財前(唐沢寿明)の教授選に巻き込まれる医局。その中で上手く立ち回れない金井講師に最も同情するし、共感する。私があの医局にいたら間違いなく「金井くん」の立場だっただろう。教授への意見は許されない中で、正しい意見を主張しようと試みる。封じ込められる。板挟みになる。佃(片岡孝太郎)のように犬のような忠誠心は見せられないが、反旗を翻すような思い切りなどはない。財前が教授となり、権力を持っていくにつれ金井が表す財前への不快感や疑心が少しずつ靄がかかり始めるのもまた見所。地味ながら一番可哀想で、心の動きや葛藤を垣間見せる演技は医局というベースを描く上で非常に重要なファクターだった。

医局で巻き起こる事件の中、唯一の女性として描かれる亀山君子(西田尚美)。小柄な看護師、男性が席巻する医局の中で決して目立つ存在ではない。そんな存在でありながら、最終的には明瞭なしたたかさを持って再登場する、その姿が凛々しい。

今や言わずもがな主演級の人気俳優、佐々木蔵之介が演じるのは柳原(伊藤英明)の同期、かつ里見(江口洋介)のもとで働く竹内。どこか軽薄な新米医師役がよく似合う。理想を追求し続ける里見を横目で見ながら、現実的で冷酷な判断をさして苦しむこともなく下せるタイプの人間。友人としては信頼できるが、どこか捉えどころのない、でも凄く普通の人間として描かれる。よく考えると、この人が一番「普通」に近いかも知れない。財前やその周辺のようなえげつないハングリー精神もなく、かと言って柳原のように罪悪感に苛まれるほどの理想もなく、他人に嫌われないくらいの諦観を持って淡々と生きていく。だがそんな竹内が、大学を辞めて出ていく里見に見せる一面にはぐらっとくる。「先生みたいな馬鹿な人を雇ってくれるところなんてありませんよ」「できませんよこんなこと」里見に、そして自分自身に激しく苛立つ佐々木蔵之介の感情を爆発させながらも抑えを効かせるさまが良すぎてぐらっときた。

二人の若さもまた注目で、「何者にもなれない」一新米医師役として激しく揺れ動く感情を演じる様子が非常に良い。マッチョイズムまっしぐらな伊藤英明は個人的に全く好みでないので海猿とかどうでもいいのだが(見てないのにごめん)、まさに子犬のような、酷く未熟で頼りなくてぐらぐらしている伊藤英明は大変良いと思う。何というか、二人ともまだ地に足がつかない、体幹が安定しない佇まいだ。実際の身体性もまた「新米医師」感を醸しているように思う。物語が深刻さをきりきりと増す後半、稀に入る竹内の若者らしい台詞が新鮮だ。薬局の社長令嬢を財前に紹介された柳原に対して、「逆タマ!?なにそれふざけんな!」と絡みつく竹内が可愛らしい。酷く深刻なシーンしか無い後半においてこれだけ砕けた物言いが何だか懐かしい。一瞬の緩みでしかないものの、何となく印象に残っている。

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