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「好き」を言わない告白の瑞々しさと、高笑いのリアリティ (「anone」第8話レビュー)

様々な「二人の関係性」に焦点を当てた第8話。中心には「ハリカと彦星」「持本とるり子」「亜乃音と玲」、その外側に「彦星と香澄」「亜乃音と花房」。特に前半三組にはかなりの尺を使っていたのが印象的。それぞれの関係性に大小様々な動きがあり、それらがいよいよストーリーの最後の歯車を回転させ加速させていく、最終章に向けた序曲のような回だった。

何よりもまず、ハリカと彦星の電話シーンについて語らずにはいられない。最初から最後まで、一度も「好き」という言葉を使わない告白シーンの美しさと瑞々しさ。言葉になるよりも前の「・・」「(息を吸う)」「えっと」「あ、」に乗った気持ちが少しずつ声だけを通してお互いに届いていくさまは、本当に坂元裕二脚本でしかなし得ない素晴らしさだった。坂元裕二氏が著す小説『往復書簡 初恋と不倫』で初めて文字化された台詞を目にしたが、「言葉になる前の言葉」のやりとりの再現性に心から驚いた。『anone』の電話シーンも、まさにあのメールや手紙のやりとりに通じるものがある。そして広瀬すずの繊細極まる表現力。『カルテット』にてアリス役を演じた吉岡里帆の表現をあえて借りれば、「1ミクロンほどの人間の感情を伝えていく」をまさに体現しているような演技であったし、それを求められるのが坂元作品だということを改めて示したシーンでもあった。「周りのベテラン俳優に押され気味」などという下馬評に何の意味もなかったことを間違いなく証明したシーンだったと思う。

「好きになってしまったなら仕方ないね、応援するからけじめだけはつけなさいね」という言葉を育ての母である亜乃音に期待し裏切られ、「やっぱりお母さんじゃなかった」と言い捨てる玲の姿はどうみても本物の「娘」そのものだ。母親としての責任感と、娘からの親への期待が思いっきりすれ違うさまは、言ってしまえばありふれた「あるある」な母娘の姿であり、それは少しも二人の偽物性を語らない。当人たちの頭からどうしても離れない自分たちの偽物性に対して、外部のハリカが「今すごくお母さんだったよ」と真実性を伝える、そしてそのハリカと亜乃音もまた一つの擬似母娘であるという構図が複雑でありながらも美しい。

彦星と香澄のストーリーは、「病気とお金」「お金と命」「命と心」という大きなテーマを持っている。「僕の命を助ける代わりに、気持ちを買うってこと?」「そんなにしてまで生きたいと思わないよ!」と少ない台詞の中で重いパワーワードが乗ってくる。本来3話くらいかけてフォーカスして然るべき、もしくはこの部分だけ切り取ってもドラマ一本になるようなテーマではある。ただ少ないシーン数の中でも二人の微妙な関係性が感じられるような布石を台詞の合間合間に落とし込み、最終的には表情さえも映されないにも関わらず、彦星の言葉で香澄の心が壊れる音までも聞かせてくるところに凄みを感じた。

ドラマと同じ構成でついつい最後に名前を挙げたくなる癖がついてしまったお馴染みの中世古。ただ今回の笑いの演技には触れておきたい。ドラマや映画の中で悪役はしょっちゅう高笑いをするものだが、今までそれをリアルに感じたことが一切ない。水晶玉で相手に呪いをかけ苦しむさまを見て「あーはっはっはっは!あーはっはっはっは!(笑いはたいてい2度同じトーンで繰り返される)」という描かれ方が一体いつから主流になったのか教えて欲しい。少なくとも私は悪いことをして高笑いをする人間を見たことがないし、どちらかと言えば見たことがない人の方が多いと思う。人をいじめて喜んで笑う人を見たことはあれど、それもやはり映画やドラマで見た高笑いとは異なる。前置きが長くなったが、初めて高笑いをリアルに感じたのが今回の瑛太演じる中世古。「やっとできたんすよ…」「やっとですよ…!」とボルテージの上がるさま、椅子から転げ落ちるさま、彼を見つめる戸惑いの目、全てが何故だかリアルで腑に落ちた。悪い目標を成し遂げた人がきっとする笑いがこれだと思った。

瑛太に関しては擬似家族の平和を壊す汚れ役として、当然こちらも嫌悪感を持って見ることになるのだが、1回2回と作品を見続けるうちに不思議と変に心惹かれてしまう。瑛太が他作品では見せることのない不安定な色気に満ち満ちており、第7話の作業場でハリカに殴られながら彼女を見下す目線は殴りたくなるほど最低なものであっても、説明のつかない色気があったように思う。

ついに現実世界に向かって「偽物」があらわになり、安定が壊されることが予想される次回。息が止まるほどの緊張感で観ることになろう。

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