GRRL3

〈アントワネット〉のロッカールームは女装子たちの休憩室の役割も果たしており、それぞれが思い思いに暇な時間を潰しているのだが、平日は個室の〈客〉も少なくて、暇な時間が多くなり、毛布にくるまって寝ている者、ケイタイをいじっている者、漫画や本を読んでいる者、お喋りをしている者など様々で、わたしはと言えば、寝るほど心に余裕はなく、ケイタイ嫌いで、読みたいものもなく、話を聴いてくれる相手もなく、部屋の隅でうつむいていた。
大学に在学していた最後の年、24歳の時にネットの掲示板で知った〈アントワネット〉に出入りするようになって、2年が経過していた。2年も通えば、友達ができないまでも、他の女装子との横のつながりが生まれてもよさそうなものだし、そういうつながりを期待して、わたしは2年前に女装系の掲示板を一生懸命に調べて、女装子たちと出合えそうな場所を探り、出向いたわけだが、現実は期待を裏切るものだった。
友達は一人も出来なかった。その一方で、個室の〈客〉たち何人かとは顔なじみになり、わたしを目当てにやってくる〈お得意様〉もいた。他方で、女装子たちはお互いにとってライバル同士であるということもあることが、お喋りする友達ができない原因なのかもしれないが、思い当たることとしては、〈アントワネット〉でデビューした時、わたしは女装に関して理論は強めでも、実践に関しては素人同然であり、それはメイクアップする際のこなれていない仕草や仕上がりを見れば一目瞭然だったのだけど、ナルシズムを恐れず(恐れる理由なんてないのだが)、断言するがわたしは〈美人〉で、多少謙遜して言えば、わたしはすっぴんでも女性に間違われることが日常化している女顔の持ち主であり、したがって、下手くそなナチュラル・メイクでも十分に美しく、〈アントワネット〉にやってくる純男たちのなかには、若くてかわいい子が好きで、とにかく若い〈女〉が抱ければなんでもいいという本音すぎる連中が多かったので、わたしはデビューした途端に人気者となり、たくさんの男に抱かれたのだが、それが嫉妬と羨望に塗れた他の女装子たちの反感を買ったのかもしれない。
その日も、〈アントワネット〉の平日はたいてい暇なのだが、わたしは手持ち無沙汰で、雑誌などが置かれた低いテーブルに視線を落としていた。空虚な目で、何も見るとはなしに、他人の視線を避けるように、ぼんやりとテーブルを知覚していた。テーブルの上には、〈交流ノートNo.55〉と表紙に黒いサインペンで書かれた薄汚れた大学ノートが放置されていた。確かに、このテーブルにはずっと前から〈交流ノート〉はあった気がするし、それはNo.54だったのかもしれないし、No.53だったのかもしれないが、わたしはそれをはっきり存在として掴んだことがなく、と現象学的に記述してもあまり意味はないが、要するに〈交流ノート〉はわたしの定位置である部屋の片隅から下を向いていれば、テーブルの上、視線の先に常に在ったはずだが、今まで手に取ったことも開いたこともなければ、ほとんど認識すらしていなかったのだ。

ふと、〈交流ノート〉を手に取って、ページを捲る。

あまりに退屈だったためか。たぶん、違う。今までと今、昨日と今日とで何が異なるのだろうか。分からない。衝動とは意識化されない欲望である。動機なんて分からない。人間の行動は、そのほとんどが、意志せざる偶然の偶々。コンティンジェンシーという様相。賭けあるいはチャンス。骰子一擲。
言葉が無意味化するほどに極限までいった偶然の線が交錯するところに〈運命〉がある、と言いたくなる出来事が、しかし、稀に生起する。「これは、もはや運命なのだ」と。

〈交流ノート〉は、ほとんどが便所の落書きと聞いて想像するような代物だった。気持ちが悪い。だが、一箇所だけ、美文字と呼ぶにふさわしい筆跡でびっしり書き込まれた黒々としたページを、わたしは発見してしまった。〈発見してしまった〉のだ。

見出しには(そう、文章に見出しがついていたのだが)、

《天使学リサイクル 中世哲学研究会〈プネウマ〉メンバー募集》

と書いてあった。何かが、文字の美しさも含め、わたしの心の琴線に触れ、わたしはほとんど何の前置きもない、スピリチャルのようでもあり、厨二病を予感させるようでもある〈哲学〉を標榜するその文章を読みはじめた。

《天使が現実に存在するのかどうか、天使が存在するとして天使の言語なるものが存在するのかどうかは、問題ではありません。むしろ、天使の言語の考察が私たちにもたらす〈智慧〉こそが重要なのです。天使学をリサイクルし天使主義に抗うための〈智慧〉です。天使主義とは何でしょうか。研究会にご参加頂ければ、詳しくご説明致しますが、ここでは簡略に「天使のような純粋無垢で穢れなき存在に成りたいという願望・欲望」としておきます。このように定義された意味での天使主義は、端的に天使という存在、天使という概念への誤解にもとづいています。このような意味での天使主義は害悪です。もっと問題なのはそうした天使主義が完璧なまでに私たち人間の肉体の機能を誤認していることなのですが、今は措きます。なぜある種の天使主義は害悪なのか。答えは〈プネウマ〉で待っています。右記までご連絡ください:090-××××-××××》

私はケイタイに手を伸ばした。

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