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Into Animation No.8 「髙橋克雄特集・ 立体アニメーション映画への模索」 を振り返る その3 前編

《上映作品》

『シスコン王子』 『進めシスコン』
うた 伴久美子とビクター少年児童合唱団
オープニングと本編予告編の素材映像(無音・本編6話より)


Twitterでの表示回数が上がって嬉しい悲鳴!藤子不二雄ファン&日本アニメーション協会の底力。この熱意が藤子プロダクションの松野社長、窓口の小学館集英社プロダクションの小川様に伝わり無事に公開できた。皆様に感謝!

⚫︎はじめに

2023 Into Animation No.8 
髙橋克雄特集 「立体アニメーション映画への模索」

  今回の 特集の中で上映前から話題となっていた『シスコン王子』…父の生前、他界後、『シスコン王子』について問い合わせを受けることが何度かあったのだが、私が不勉強で藤子不二雄氏原作の『シスコン王子』と父のことについて全く知らなかったために、というか知らされていなかったために『うちではない』と何年もお返事し続けていた次第。藤子不二雄ファンの皆様の中には『やっぱりなぁ!』と思われる方がいらしたはず。本当にごめんなさい!

⚫︎『シスコン王子』   謎のはじまり

『進め シスコーン』の歌の部分。特撮場面の宇宙船。    父は昔から宇宙船やロケットが好きだった。

 というわけで、父の他界後、シスコンの脚本や台本、絵コンテなどが出てきてビックリ仰天。ギョエ〜! の私。台本、絵コンテを観てもまだ半信半疑だったが、『シスコン王子』撮影中のスナップまで出てきて驚きはレベル4!写真に写る若い父がシスコン王子の人形を自ら手にしてアニメをしている姿にまずビックリ!何よりその表情が本当に『嬉し楽しシスコン大好き!』という感じであるから間違いない。その父の姿は、私にとって謎というよりは衝撃!父がスタジオでカメラを覗く姿はいつも見ていたが、アニメをするのは教えてもらう時だけだったし、他人様の作品の中でアニメをしている父の姿を観たのはこの写真が初めてなのだ。やっぱり父はアニメーションが好きだったのだ…と、それ以来、私の頭は『シスコン王子』でいっぱい!『シスコン王子』のことなど殆ど何も知らないまま、無謀にも謎解きに挑むことに…

⚫︎台本発見!

5話台本。「庄司」は、母のプロデューサー・ネーム。安田多苗氏、佐々木陽子氏は「ぴっきいちゃんグループ」の脚本仲間、らお仲間だが、『ぴっきい劇場』多忙のため、『シスコン王子』には、結局、父一人が関わることに。
スタジオKAIの国府田氏、監督の浅野辰磨氏を、恩人である通映画社の小畑敏一氏から紹介された。人形製作はプーク時代から馴染みの田畑精一氏。撮影助手の村井金一氏は
ハンセン病の写真を撮り続けたことで知られる趙根在氏。

 ⚫︎スライド発見!&「金ちゃん」の謎解明!

『シスコン王子』のスライド。カメラマン助手の村井金一氏が撮っていたものと父が撮ったものが混在している。
「人形」と書いてあるのは、父の筆跡。

 それにしても、なぜ父は自分が『シスコン王子』に関係していたことを私に教えてくれなかったのか? 台本に「庄司」のサインがあるから当然、母も知っていたはず。母にいろいろ訊いてみたが反応薄く、唯一、『金ちゃんも撮影したのよ』…と、懐かしそうに台本に載る撮影助手、村井金一の名前を指差して『コレが金ちゃん!』と。誰なんだ、金ちゃんって。私の心境は、知ってはいけない出生の秘密を知ってしまった乙女のごとく…父の仕事、恋愛、結婚、ほとんど全てを知っていると思っていたのに、『シスコン王子』のことについては、全く何も教えてもらっていなかった。
で、話は「金ちゃん」に戻って、『金ちゃんってどなた?』と母に尋ねても『金ちゃんは金ちゃんよ』…という具合。自分で調べてみたら、これまたビックリ!つい先日、丸木美術館からご案内いただいたハンセン病の記録写真を撮り続けていた趙根在…チョウ・グンジェ、日本名は村井金一!
ということは、うちにあるこのスライドと合わせれば『シスコン王子』の本編の写真が全部観られるかも!?私の好奇心の旺盛さは父譲りでとにかく、いろいろ知りたい。そもそも、金ちゃんのスライドがどうして父の遺品の中にあったのか?
母の話では金ちゃんは『シスコン王子』の後もスタジオによく来て、仕事も何本か手伝っもらったとのこと。スライドはもともとは金ちゃんの忘れ物だったが返さなくていいと言われたまま別れ、結局、金ちゃんの置き土産になった…という話。もっと詳しく聞きたかったけれど、父も母も金ちゃんも他界してしまって残念無念…。ということで、このスライドの件は丸木美術館に連絡することに…で、スライドの次は何だ?

⚫︎手帳は語る…

 父の撮影手帳。小学館『ぴっきい劇場』『学年誌』の仕事で多忙だった’63年の手帳の表紙に『シスコン』の文字があるが、『「ラスコン」って何?』…それくらい、父と『シスコン王子』の関係は知らされていなかった。
9月24日に『シスコン王子』第5話の脚本を納めている。新調したパーカーの万年筆で小学館。『シスコン王子』のメモは当初は鉛筆書きだったが、この後、6話から7話までのメモは万年筆書きが『シスコン王子』となり書き分けられる。8話からは逆転して小学館が万年筆!

 スライドの次は、父の撮影手帳である。そもそも、’63年といえば、父は小学館の『ぴっきい劇場』を撮っていてシナリオ書きから撮影、編集、録音と大忙しだったはず。いったい『シスコン王子』をいつ撮っていたのか?

電通映画社の小畑敏一氏の依頼で『シスコン王子』と関わることになった。製作はスタジオKAI、国府田宏行氏。
この辺の力関係は非常に微妙で父の気持ちが揺れ動く。

⚫︎絵コンテ発見!

7話の絵コンテ。7話は藤子不二雄氏原作オーラに満ちているが、6話は撮影用絵のラフ画が多くてとても地味。
カットごとにバツを入れるのは撮影が終わったしるし。OKやアニメのコマ割りの計算メモも懐かしい父の直筆。

⚫︎放送用フォーマット、の謎。

‘63年12月20日以降の放送フォーマット。「東中人形」は「東京中央人形劇場」後の(株)東京中央プロダクションのこと。父が関わったのは真ん中のピノキオの紹介部分だけとされているのだが、実際には台本、絵コンテ、アニメ、編集、納品など製作に関わっていたのだが…謎。

  このフォーマットでは、父は本編には関係なく、脚本も撮影も関係ないことになる。しかし、実際には父は4話、5話、6話、7話、9話、13話に関わり、脚本だけでなく特に6話、7話辺りは本編アニメにも参加。ネットで検索すると岡本忠誠氏や眞賀里文子氏らのお名前はスルスル出てくるが、父の名前はどこにも見当たらず…父の性格から、名前が出ないことには相当な不満があったはず!と思ったのだが、とにかくあの撮影スナップの嬉しそうな表情からは不満のフの字も感じられない。恩義のある電通映画社の小畑専務からのお願いで『シスコン王子』に関わることになったことはわかったが、その後の流れが謎過ぎる。

⚫︎本編フィルムは、どこに…?

 父が本編の撮影に参加したのは、我が家に絵コンテが遺された6話、7話だけだと思うのだが、もともと歌の特撮と『シスコン王子』と『ピノキオの冒険』の真ん中のつなぎの『ピノキオ紹介』の場面だけだったはずなのだが、父は6話から撮影に参加。その理由が全くわからず謎…小畑さんから『かっちゃん、やってみてよ』の鶴の一声だったかもしれないし、単なる人手不足?或いは何でもやってみたい!父の「出しゃばり」だったかもしれない。スケジュールがギュウギュウ詰めで、猫の手も借りたい『シスコン王子』…人手不足の線は十分ありえるのだが、それにしては、絵コンテの中の書き込みやらバッテン(カットごとに撮影が終わるとバツを入れる)に気合いが入り過ぎ。
メモを観るとアニメ以外にもいろいろ手伝っている様子。『ぴっきい劇場』や小学館の学年誌の原稿の〆切と並行して、28才で若いとはいえ、こんなハードなミッションをよくこなしたなぁ…と感心。で、その大変な思いをして撮った肝心要のフィルムはどこにあるのか?シスコ製菓は既に日清シスコになっているので、「ご担当の方」に辿り着くまで役2ヶ月待ち。で、結局、『当方には©️もフィルムもないので何もお力になれません…』ということだ。日清シスコにフィルムがないのなら、電通映画社の倉庫か? 電通の「ご担当の方」のお話では『あるけど、アレを外に出したら大変なことになる!』と完全に後ろ向き。そして、その「ご担当のお方」も既にご退職となり、今はフィルムの所在さえ不明…との噂。自分で倉庫を探したわけではないので、本当に不明かどうかはわからない。諦めるどころか、妄想力豊かな私の中での『父のアニメを観てみたい!』願望はますます強くなって、もう自分で築地に探しに行く!くらいの勢いになってきた。電通の三浦さんのCMの如く『そうだ、築地へ行こう!』篇。ということで、『シスコン王子の本編を観てみたい!』…が始まってかれこれ5年!相変わらず本編は1話も観られないまま、手探りの謎解き大会はまだまだ
続く。

⚫︎フィルム発見! 2020年8月20日

母の遺品の中から出てきた『シスコン王子』のプリント

  台本や絵コンテが出てきても、肝心要な映像が見当たらないまま5年が過ぎて、母も他界。私はとてと寂しくなり、膨大な量の資料の整理整頓に励んでいた。そして、2020年8月20日。母のお大事箱の中にプリントが2巻。他の作品は大抵、16ミリのフィルムケースに入って遺されていたが、これは違う。スタジオの倉庫でもなく父の書斎でもなく母の遺品の中から見つけた謎のフィルム。

『シスコン王子予告編』と父の手書き文字がリーダーに入っているが、「予告篇」を「アモ篇」と勘違い!アモは映画で銃弾。インディアンの戦いだから砦とか狼煙? と思い込んで大失敗。危うくタイトルを間違うところだった。

   フィルムのリーダーを引っ張り出すと、父の筆跡で字で『シスコン予告編』と書かれているのが見えた。やはり、フィルムの正体は『シスコン王子』…父は私に一言も語らないまま。墓場まで『シスコン王子』を持って行ったのだから、これを公開したら父が怒るかもしれない…しかし、母が半世紀以上、それを父の作品として大事に守ってきたことを思うと「公開したい!」という気持ちが爆発!アニメーション協会の皆々様&藤子不二雄ファンのパワーが打ち上げ花火の如くスパークし、製作から60年、父の他界後から8年目にして漸く「パンドラの箱」の中身、『シスコン王子』の映像の一部が公開されることになった。『シスコン王子』の謎解きは上映後もまだまだ続き、私の『ビックリ〜!』はレベル4を超えて仰天!Twitterでありがたい情報をくださったり、絵コンテの細かい検証などをしていただいたりで新しい発見がたくさん!研究者の方々、藤子不二雄ファンの皆様、貴重な情報をいただきありがとうございます!『シスコン王子』を公開して本当によかった!が、次はもっと手強い謎が来るぞ〜。と、書き続けたいが、ここまでで既に五千字に近い。仕方ない、前編、後編に分けて、ここから先の本格的な謎解きは後編に回そう。ここまで、長い文章を読んでいただき心より感謝!後編もどうぞよろしくお願いしますー。
                            To be continued  後編につづく


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