原作がめちゃくちゃ面白い作品は二次創作を書く気/読む気なくさせる(※個人の感想です)(何から入ったかにもよる)

私にとっての森博嗣先生がそうだった。兄の部屋の本棚にあったものを読んで、ハマって、新作が出る元旦の日は地下の書店が開くのを待ってワクワクしてた中学生時代。
アニメ化、実写映画化は私にとって意味のないものだった。森博嗣成分が薄まって一人歩きしたものだから(別の人の思考が混ざってるから興味がなくなる、という意味。それでも面白いと思うんですが、私が勝手に萎える、というだけ)。

「作品は完成した時点から作者の手を離れて大衆の物となる」(※またまたうろ覚え)

そういう悟った感じというか、自由にしていいですよ、って「数奇にして模型(好きにしてもOK)」っていう自由さに憧れた。

私はこだわりが強くて、自分の意思を誰かに弄られて改造されるのが心から嫌だったから。

"誰かのために生きるなら 正しいことばかり言ってられないよな"

King Gnuの「白日」の歌詞が突き刺さる。

私は自分のためにしか生きてこなかったから。
だって自分が自分を守らなきゃ、誰が私を守ってくれるのか?

別にかっこつけるために意地になってるわけじゃない、どうしても許せなくなってしまうんだからしょうがない。本人も疲れてるんだよ。

何回も何回も言われた、同じような言葉を吐く同じような人たち。それ言えばかっこよく見えると思ってない?
くだらん社会的芝居に付き合わせるなら、それなりの報酬くれよ。

なんでお前のくだらないプライド守るためにこっちが心身すり減らしてタダ働きしなきゃいけないんだよ。

自分の容量越えたええかっこしい、なんて見る人には見破られてるよ。恥ずかしいよ。

心広い聖母ごっこに憧れて無理すんのやめなよ、そういう母親に育てられたなら色々な人たちの(賢い人たちの)意見を見て、聞いて学ぼうよ。

理解できないなら学べ、その場しのぎでやり過ごすな。人傷つけてんぞ。

「本を読まない奴は大嫌いだ」っておっしゃった林先生の意味が分かるから。

でも、勉強バカにはなるな。華やかさへの憧れも忘れるな。

人付き合いはちゃんとした方がいい。同じコミュニティの人間だけじゃなく、何個も違うコミュニティの人たちと。

おしまい。

ラヴなイヴァン・ラキティッチと妻のラケル、親族、友人❤️

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