何もしない、何も生まれない

脳が膨張している。

原因はスマホの見過ぎだと思う。
疲れると長い文章を読むことができない、かといって何もせずにいるのは苦手だ。
わかってはいても数秒間じっとしていようものなら、すぐに耐えられずまたTwitterを開いてしまう。

タイムラインは止まらない。自分が今日見たものなんて何も覚えていないけれど、覚えていなくていいことがどんどん流れていくことは救いだ。
救いであると同時に、どんどん消耗していく。ネットの記事さえ読めなくなってくる。

感性が鈍化している。今日は心動かされることがなかった、いや、ここ数日か。
生活そのものに対する絶望はあったけれど、それもこれから病気として処理される予定で、結局のところ「私がどう感じているか」の中身は空っぽだった。

脳が膨張して、狭い頭蓋骨のなかで身動きがとれずにいるのだ。そういう風にしか説明できない。今日は言葉も溢れてこない。

こんな日の方が多いのかもしれないと思う。何も生み出さない日というのは苦手だ、私は生きていてよかったと思うために、その日なにかを作らなければならないらしかった。

くだらない、とてもくだらない悩みだけど、何もしていないのに疲れ切っていて、この感覚が自分らしくないなぁと思う。
自分らしくないのに身体感覚と身体はべったりとくっついていて、どうしても私なのが気持ち悪い。こういう、何も感じない日は、明確に感情が遠いような感覚があるほうが幸せだ。

何を書いたかわからないけれど何も書いていないのだと思う。
存在していることの不快を必要なコストとして勘定してもプラスになるような日常がほしいな、私はいつもコスパのことばっかり考えてるや。

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