これが最後の言葉でいいの?

何をしてもうまくいかない、納得がいかない、そもそも何もできないことがある。きっと誰にでも。

生きやすくなったのだ。世界と融け合いすぎて苦しかった頃の感覚も遠のいて、今はカプセルに入っているみたいに遮断されている。

街の灯りも、人も、生活の音も強すぎる刺激のように感じていたはずなのに。鈍くなった。クリスマスに向けて眩しくなった三連休の地下街を、心を乱すことなく歩けてしまった。

なんとなく、文章が書けなくなっていくのを感じていたし、写真を撮られる時も手応えがなかった。撮ってくれる人の表現力に頼りきりで、なんとか形になっていた。

生きた心地がしないか/生きている感覚が無いかのどちらかしか私には無いのだろうか。未来に向けて、損をしないように、明日のための力を温存して、自分がどんどん偽物になっていくようだった。怖かった。

私の作るものは全部遺書なんだって、いつから忘れていたんだろう。
気づけば、これが最後になったら嫌だなと思うようなことばかり口にしていた。

もう、どうせ偽物になるくらいなら、何が“私”の最後の言葉になるかわからないのだから、遺言だけを置いていこう。

大好きだったよ、楽にね、幸せになってね、としか言えない気がした。

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