偽らずに安心して眠れるか

「媚びる人は嫌い」「風向きを読んで手のひらを返す人は嫌い」などの嫌悪や軽蔑を見かけると正直、胸を悪くする。それら、特に振る舞いに染み付いたものは、行為者がこれまでの人生で無条件な生存を約束された環境になかったことに由来しているからだ。

自分の身の安全が確保されているならば人を蹴落とそうという発想にはならないし、親に意見してもその日の食事を取り上げられないなら人の顔色を過度に窺う性格にはなりにくいだろう。人間関係において過度に人より優位に立とうとしたり誰かに取り入ろうとしたりしてしまう人は「ありのままの自分では生きられなかった/ありのままであることを許されなかった人たち」だ。

もちろん自分が加害されたらたまったものではないが、「ぶりっ子は嫌い」などと人が言っているのを見ると、あなたは、そういうひとを見てかなしみではなく嫌悪を抱くのね、自分がここにいてもいい理由のために必死にアピールしなくても生存を約束されてきたのね、よかったね、という感想しか持てない。

私が強くなったのは最近のことだ。人生のほとんどの時間、ほとんどのコミュニティーで、自分がここにいてもいい理由(居場所の確保)のために努力してきた。最近になって人の要求を拒絶したり自分のスタンスを崩さずにいられるようになったのは、私が善い人間になったからでもカッコいい人間になったからでもない。ただ、媚びなくてもある程度安心して生存できる強者に転じたからだ。自分は立派になっただなんて勘違いしてはいけない。

個人のとる不自然な態度ーたとえば人に媚びることーをみっともないと嘲笑したいなら胸のうちですればいいけれど、あなたの正義はそこまでなのか?

弱者なのだ、不自然な人たちは弱者なのだ。たとえ大人になって力を得ていたとしても、消えない心の傷や身体に染み付いた不自然を抱えているとしたら、まだ「ありのままを愛してもらえない自分」を抱え、傷つき続けいている人たちなのだ。

どうせならば、彼らに軽蔑のまなざしを向けるのではなく、「そういうのみっともないからやめようよ」なんて個人の行動を矯正しようとするのではなく、あなたが自分を偽らなくてもいい世界にするよ、待ってて、って声をかけよう。環境に働きかけよう。不自然さに疑問を持つ側の私たちは強者なのだ。強者の自覚を持たないことは傲慢だ。

本当の本当にありのままで生きられる場所が実現可能かなんてわからない。ただ、今は、感情と行動の乖離に苦しむ人が、少しでも安心して眠れるように祈りたい。

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小渕花梨

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