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播磨陰陽師の独り言・第516話「和算のこと」

 以前に縄文時代の遺跡から計算器が出て来たことは書きましたが、それはわが国で独自に進化して、江戸時代に〈和算〉と言う形に発展しました。
 和算は当時のヨーロッパよりも進んだ数学でした。
 明治になって欧州から〈数学〉が入って来た時、多くの和算の学者たちは、
「西洋の数学は単純過ぎて理解に苦しむ」
 と言った感想を述べています。
 当時のわが国の和算と言えば、まだ西洋では発見されていない微分積分をすでに応用していました。しかも、暗算で計算出来る能力を誇っていたのですから、黒板にひたすら数式を書きながら計算していた姿に驚いていたようです。
 また、西洋でノーベル賞を取った計算式と同じものが、受賞の百年ほど前にすでに日本で発見されていたそうです。
 かつては算盤そろばんを真ん中に置き、珠を弾いて価格交渉をすることを〈勉強する〉と言いました。頭の中でコストパフォーマンスを計算して値切ると、店側は仕入れ値と儲けを暗算して、算盤を弾き返すのです。もちろん、算盤を見なければ、幾らなのかは分かりません。それは、周りから見ても分からないように値段交渉が行われると言う奥ゆかしさに通じる行為でした。私が子供の頃は、まだまだ〈勉強する〉と言っては、算盤を挟んだ交渉が行われていました。電卓が登場してからは、算盤ではなく、電卓に代わりました。最近でも大きな電卓が売られていますが、これは値引き交渉をするためのアイテムのようです。
 また、〈考えること〉自体をかつては〈計算する〉と呼んでいました。これも暗算のことを意味する言葉です。心の中であれこれと工夫して答えを出すことが大切だとされていた時代の話です。
 城などの石組みは〈超絶技能〉と呼ばれています。今のコンピュータを使っても難しく複雑な計算を、暗算でやってのけ、しかもその結果を城壁に反映しているのです。
 法隆寺の五重塔などは耐震設計されており、未だ地震で壊れていません。これも宮大工が暗算でやってのけた結果です。
 播磨陰陽道には、人の心は数と言葉で出来ていると伝わっています。これを神にたとえて〈かぞいろはの神〉と呼びます。そしてこれを漢字で〈父母神〉と書き表します。
 人の自由意識は父母から受け継ぐ言葉の影響を受け、まわりの人々と自然環境に育まれて育つと伝わっています。その中にあって、頭の中にある〈数の概念〉は、それこそ縄文の昔から、われわれの思考力を深めている要素そのものでした。

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