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播磨陰陽師の独り言・第501話「確認する日々」

 私はよく物事を確かめます。確認する癖があるのです。物事を確認するのは、忘れるからではなく、消え去る可能性があるからです。
 消え去る?
 何がどう消え去ると言うのでしょう?
 私には幼い頃から悩みがありました。と言うのは物が消えるのです。あった筈の物が、ある日、触ってもいないのに、突然、消え去ります。そして、突然、どこかに現れるのです。
 信じられないお話かも知れませんが、私にとって、消えたり現れたりするのは日常の出来事なのです。
 以前にもどこかに書いたか言ったと思いますが、旅行中、妻がケータイをなくしたことがありました。時計の代わりにしていたので、なくなる寸前まではケータイを見ていました。しかし、旅の途中でなくしてしまいました。とりあえず思いつくところをすべて探し、なかったのでその時は諦めました。
 やがて、10日ほどして大阪の家に帰ると、なぜか玄関に座布団がキチンと置かれていました。出した記憶はありません。そして、その上に何とケータイが鎮座していたのです。もちろん、家に誰か入った形跡はありません。しかもなくしてから一週間ほど経っているにも関わらず、ケータイのバッテリーが満タンの状態でした。いつもなら4日くらいでバッテリーがゼロになる筈です。
 ふと、ケータイを開いてみると着信が記録されていました。妻の親戚が亡くなったことを知らせていたのです。もし、ケータイがどこかに消えてなくならなければ、旅を途中で諦めて門司港に向かっていたと思います。その時は重要な儀式を行うために高千穂に登っていたので、途中で帰る訳には行かなかったのです。
 このように、幼い頃から私の周りでは、物が消えたり、勝手に現れたりするのです。そのため、物事の本質と言うか〈存在〉を信じられなくなっていました。だから存在をいつでも確認する癖がついていたのです。その癖のせいで何かを忘れて置き去りにすることは少ないです。かなり厄介なことに、物の大きさも時々変化するので、容量と言うものを把握出来なくなっていました。これが幼い頃からのいつものことなのでした。

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