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彼女が温かい紅茶を飲んでいますように

数年前、私はオンライン英会話にはまっていた。

何度目かの流産がきっかけで体調をくずし、会社も休職し、毎日家でぼんやりと過ごしていた頃の話だ。

初めのうちは、突然おとずれたその休暇をそれなりに楽しんでもいた。

朝起きて、仕事へ出かける夫を見送り、簡単に家事をすませ、散歩がてら図書館まで歩き、帰ってきて借りた本を読む。夕方が近づけば買い物にでかけ、そこそこ丁寧に夕食をつくり、夫の帰りを待つ。

そんな毎日。

平穏で、優雅と言えなくもない時間だったけれど、私はすぐにその日々に飽きた。同じことの繰り返しに思えたし、決定的に他人との会話が不足していた。

夫は、体調をくずした私にとても優しかったけれど、平日は仕事で帰りが遅く、ほとんど会話らしい会話ができなかった。友人たちも仕事をしていたし、会って休職の理由を説明するのも面倒だった。

オンライン英会話をはじめたのは、そんな時だ。

私が入ったのは、業界最大手のオンライン英会話スクールだった。始めてしばらくは、たくさんの講師の中から何となく気になる人を選んでいたけれど、次第に相性のいい相手を見つけ、やがていつも決まった講師を選択するようになった。

最初に定期的にレッスンを受けるようになったのは、ミセス・ジェーンという50代のフィリピン人女性だった。地元の学校で英語教師をしていたという彼女のレッスンは、丁寧でわかりやすかった。

ミセス・ジェーンはとても優しく、親切だったけれど、時々、私が予想しているよりほんの少し深く、こちらのテリトリーに踏み込んでくるようなところがあった。

ほとんどの時間を家で過ごす私は、その頃ろくに化粧もせず、当然、レッスンの時もすっぴんでパソコンの画面に向かっていた。ある時、たまたま化粧をした私が画面に顔を映すと、ミセス・ジェーンは「まあ!誰かと思ったわ!」と大げさな表情で叫び、「あなたは絶対に化粧をした方がいい。いつもちゃんとそうしていなさい」と、海外児童文学に出てくる心根は優しいけれど礼儀に厳しい女教師のように、有無を言わせない口調で私に言った。私は「面倒くさいなあ」と思いながらも、きちんと化粧をしてレッスンを受けるようになった。

一度、仕事や子どものことを聞かれたことがあったけれど、言いよどむ私に対して、ミセス・ジェーンはさり気なく話題を変え、そして二度と同じことを聞かなかった。

他人と話ができる楽しさと、英語力が伸びていく喜びに夢中になった私は、週に2度のレッスンでは物足りなくなり、受講頻度を増やした。けれども、ミセス・ジェーンのレッスンは人気が高く、次々と予約を取るのは難しかった。

そこで、新たな定番講師を探すことにした。ミセス・ジェーンのレッスンはいかにも英語の授業らしいレッスンだったので、もう一人の講師とは気楽に会話を楽しみたいと思い、趣味である読書の話ができる相手を探した。スクールのサイト上で検索すると、条件に合う講師が何人か見つかった。

継続してレッスンを受けることにしたのは、少女のように見える女性講師だった。それまで何人もの講師と話した結果、フィリピンの人は陽気で快活なタイプが多いのだなと思っていたけれど、彼女からは物静かな雰囲気が画面越しにも伝わってきた。初めてのレッスンで、彼女ははにかんだ笑顔で「選んでくれてありがとう」とお礼を言った。ミセス・ジェーンとちがって、彼女のレッスンはいつ見ても空きがあった。

けれども、彼女のレッスンはとても充実したものだった。私たちは最初に好きな作家の話をし、お互いに「村上春樹」が好きだとわかってからは、彼の作品である『ノルウェイの森』の英訳版を一緒に読むことにした。

レッスンは、毎回、私が小説の一部分を朗読することから始まった。私が朗読をする間、彼女は聞き入るようにじっと目を閉じていた。私が読み終えると、目を開けて、「sの発音がとてもきれい」だとか、「すごく静かで心地よくてさみしい気持ちになる」だとか、独り言のように感想を言った。

レッスンの最中、私はいつも温かい紅茶を飲んでいた。パソコンのある場所には暖房器具がなく、秋も終わりのその頃、閉じた窓から忍び込む冷気で部屋はかなり冷えた。私は足にぐるりと毛布を巻き、紅茶を入れたカップで暖をとりながらレッスンを受けた。普段よく飲むのはコーヒーだったけれど、その時だけはいつも紅茶を選んだ。25分のレッスンの間に冷めてしまっても、紅茶だったら美味しく飲めるから。

ある時、彼女から「何を飲んでいるの?」と聞かれ、私は「温かい紅茶だ」と答えた。すると、彼女は「私は冷たくておそろしく甘い紅茶しか飲んだことがない」と言い、日本で温かい紅茶を飲んでみたいと話した。私が「フィリピンでだって、探せば温かい紅茶を飲めるでしょう?自分で淹れたっていいんだし」と言うと、彼女は少しだけ首を傾げて、ただ微笑んだ。

彼女はいつもそうやって微笑んでばかりだったけれど、一度だけ、涙を見せたことがある。それは、『ノルウェイの森』に出てくる井戸の話をした時のことだった。彼女は作品に現れる井戸に興味を持ったのか、「どういう意味があると思う?」と私に聞いた。私は、他の村上作品にも井戸が出てくることを説明し、作家にとって何らかのシンボルのようなものなのだろうと話した。

「他の作品の中で、主人公が枯れた井戸の底で何日も考え事をするの」と私が教えると、彼女はめずらしく声を出して笑い、「井戸の底は静かで考え事をするのにきっとぴったりね」と言った。「でも、ちょっと寒そうじゃない?」と私が首をすくめると、彼女は「そしたら、井戸の底で紅茶を飲むわ。あなたみたいに」と言って微笑み、そのまま黙ってうつむいた。

私はすぐには彼女が泣いていることに気がつかず、「ごめんなさい」と顔を上げた彼女の声を聞いてはじめて、相手が涙ぐんでいることがわかった。驚いた私が「大丈夫?」とたずねると、彼女はもういつもの微笑みを浮かべて「大丈夫、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It's all right now, thank you. I only felt lonely, you know.)」と言い、何も言わないままでいた私に「あなたは?そういうことはない?」と尋ねた。

聞かれて、私は初めて彼女に赤ん坊のことを話し、休職のことを話し、自分の気持ちを話した。不思議なことに、誰にも言えずにいた本音も、英語で、画面の向こうにいる彼女になら、話すことができた。

I'm sad.
I was disappointed.
I wanna disappear...

私の脳と口によって英語に変換された私の感情は、自分自身のものでありながら、私によく似た誰かの感情のようにほどよく他人事みたいに私の耳に入り、生臭さをそぎ落とされて、私の胸にと戻ってきた。彼女は、時折、共感や慰めの言葉をはさみながら、私の話をただ聞いてくれた。

私が仕事に復帰したのは、それからすぐのことだった。上司と電話で話をした結果、彼女との次のレッスンを待たずに、私は会社に再び通うようになった。生活はがらりと変わり、英語に費やす時間はずいぶんと少なくなった。平日の夜遅くや休日を使って英会話は続けたものの、彼女は平日昼間にしかクラスを開いていなかったので、他の講師のレッスンしか受けることができなかった。

次の機会には、ちゃんとお礼を言って、そして、謝ろう。私は、最後のレッスンで自分の話ばかりしたことを悔やんでいた。次のレッスンでは、ちゃんと彼女の話を聞こう。そう思っていた。

それでも、なかなか彼女と顔を合わせることができずにいるうちに、私は再び妊娠した。体調は安定せず、不正出血が続き、腹痛におびえる毎日が続いた。そして、それらがだんだんと薄れるにつれ、今度はひどいつわりが始まった。

当然、英会話などできる状態ではなかった。英語のことなんて、ちらりとも頭に浮かばなかった。やっと体調が落ち着き、スクールのサイトを開いたのは、もう夏が始まる頃だった。

マイページを開いて「お気に入り講師」をクリックすると、そこにあるはずの名前がなかった。彼女の名前がなかった。あの、少女のような、物静かではかなげで優しい彼女の名前が消えていた。私は呆然として、呆然としながらも、すぐにミセス・ジェーンのレッスン予約を取った。

久しぶりの挨拶を交わした後、ミセス・ジェーンは「どうしていたの?元気だった?」と言い、私は妊娠のことや仕事のことを話し、それから彼女のことを話した。離れている間に、親しくしていた講師がいなくなってしまったのだと。

ミセス・ジェーンは黙って私の話を聞いた後、ぽつりと「よくあることよ」と呟いた。そして、「ここでは講師も生徒も、本当に突然、あっさりといなくなるわ。よくあることなの」と、もう一度繰り返した。

数ヶ月の間英語に触れていなかったせいで、私の英語力はひどく落ち込んでいて、ところどころ理解できない言葉があったものの、ミセス・ジェーンは私にこう語りかけた。

「ねえ、人生にはどうしようもないことがたくさんあるの。あなたもきっとわかっているでしょうけど。そして、彼女のことは、たぶん、どうしようもないことなのよ。どうしようもないことは、本当にどうしようもないから、どうしようもないことなの。私は、あなたに化粧をした方がいいと言ったでしょう?それは、どうしようもないことじゃなかったからよ。だけど、私は、あなたに、いつも笑っている方がいいとは言わなかったでしょう? だって、きっと、それは、あの時のあなたにはどうしようもないことだったから」

そして、私はスクールを退会した。それからは英語に使っていたお金で赤ちゃんグッズを買うようになり、英語のニュース記事のかわりに『たまごクラブ』を読むようになった。妊娠中はカフェインを控えた方がいいと言われ、もう温かい紅茶を飲むこともなくなった。

それでも、時々、彼女のことを思い浮かべた。そして、「温かい紅茶を飲みたい」と言った彼女に、どうして黙って頷いてあげなかったのだろうと思った。「ちょっと哀しくなっただけ」と『ノルウェイの森』の台詞を口にする彼女に、どうして「I know what you mean.(よくわかります)」と返してあげなかったのだろうと考えた。

その時に妊娠した娘を無事に出産し、私はもう何の気兼ねもなく紅茶を飲むようになった。普段飲むのはやっぱりコーヒーが多いけれど、それでも時々は、紅茶を飲む。たとえば、今日みたいな、吹く風の冷たさにふと寂しさを感じる日なんかに。

紅茶を飲みながら、ふいに彼女のことを思い出す。あの時一緒に泣いた彼女が、今は笑っているといいんだけれど、と考える。今の私が毎日笑って過ごしているように。あの時、彼女が抱えていた「どうしようもないこと」がどうか形を変えていますように。彼女が今いるその場所で、どうか彼女が温かい紅茶を飲んでいますように、と。

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