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陶芸のように、ドキュメンタリーのように

新年明けましておめでとうございます。
年が明けて、もう6日目なんですね。
早い。

私は1月4日から仕事をはじめました。来週の打ち合わせに向けての資料を、なんとか完成させたところで2日間が終わりました。

私の小説づくりは、実に地道に進んでいます。ひたすら以下の繰り返しで。
1. 宿題が生まれる
2. 考える
3. まとめる
4. 提出する
5. 打ち合わせをし、新たな宿題が生まれる
宿題は、たとえば、「ざっくりとした話の流れ」だったり「登場人物の変化について考える」だったり。

作業としては、とにかく思いつくことをノートに走り書きするのが2割、それを整頓するのが1割、「うーんうーん」と考え込みながら窓の外を眺めたり、YouTubeで音楽を聴いたり、スタバの店員さんやお客さんを眺めたり、家の排水溝の掃除をしたりしているのが7割を占めています。

「小説を書く」なんて言うけど、純粋に「書く」だけでできてるわけではないんですね、小説って。

心がけているのは、「ドキュメンタリー」を撮影するように、「陶芸」のように、物語をつくっていくこと。

ドキュメンタリーみたいに、物語を俯瞰してみたり人物にズームアップしてみたり、いろいろな眺め方をしてみること。主観的になりすぎないように、まずは、客観的に記録的に、世界をつくってみること。それから、陶芸のように、細部の調整を繰り返しながら、全体を見て、また調整をして、急がすあわてず少しずつつくりあげていくこと。どちらも編集長から言われた言葉を、私なりに解釈してみた感覚なので、オリジナルじゃないんですが。

「陶芸」の方は、他の文章の書き方とのちがいを、よく表していると思います。私にとって、エッセイは「彫刻」のような感覚です。何かの中にすでに存在している文章を、彫り起こしていくかのような作業。文章が逃げてしまわないように、速度も結構重要です。「つみき」みたいだなと思うのは、こんな風に自分の思考や意見を伝えるための文章を書くこと。組み合わせや順序を考えて、ひとつずつ積み上げていく感じが、よく似ています。

同じ「文章を書く」という作業でも、使う能力や筋肉は、ずいぶんちがうものです。こうした、些細かもしれないけど、経験してみてわかる発見に出会えるのも、小説を書く楽しさなのかもしれません。

なんてことを思いながら、「うーんうーん」とうめく仕事始めでありました。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。



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