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つみきをつんだ娘

日曜日のお昼、もうすぐ3歳になる娘が肉を食べた。
並んで同じものを食べていた、私の焼きそばの皿から、ひと切れをつまんで。

私の肉を食べた娘は、「ういちゃん、おにくだいすきなの」とつまみ食いを恥じるように、言い訳のように、言った。同じものを食べてはいたけれど、娘の焼きそばからは、肉だけがきれいに取りのぞかれていた。

離乳食時代、何でも食べる娘が、ひそかに誇らしかった。ママ友たちが「アレが苦手で、コレも食べない」と話す中、私は「うちの子は食い意地が張ってるみたいで、なんでも食べちゃうの」と言いながら、「好き嫌いしない、いい子」なんてこっそりと思っていた。

それなのに、離乳食を卒業した娘は、私をあざ笑うかのように好き嫌いをした。ごはんとパンと果物と葉物以外の野菜、それしか食べない。あんなに好きだったうどんにも手をつけなくなったし、ほうれん草や白菜には「はっぱ、きらい!」と顔をしかめ、どんなに小さく刻んでも、肉の混入を許さなかった。

無理やり口に入れてみても、きれいに吐き出されてしまうため、私はさっさと諦めることにした。なぜだか保育園の給食は残さずきれいに食べると聞いていたので、栄養はそこでとってもらえばいいやと思った。家では食べるものしか出さない。そして、私は、娘の食事から、肉と葉っぱを取り除くようになった。

最近では、ほとんど無意識で除去作業を行うようになり、娘の偏食をどうにかしなくちゃという気持ちも薄れていた。そんな中、娘が肉を食べたのだ。私の焼きそばから、ひょいと肉だけをつまんで。

まず、私はあっけにとられ、娘の成長に感動し、私の焼きそばから更に肉を分け与えた。そして、つみきのことを思い出した。

それは、娘が1歳を過ぎたあたりのことだった。すでにその頃には、私は、自分の中にあった「理想の育児」を放り投げていた。いつも娘のことを第一に考え、娘を中心に生活を送る。母親になったら、自然とそういうことが喜びになるだろうと思ったのに、現実の私はちっともそうならなかった。

娘と常に一対一で向き合う生活にたまりかねて、子連れで働ける場所を見つけ、そそくさと働きに出た。家にいる日中には、娘の昼寝の時間を待ち焦がれ、夜もできるだけ早く速やかに寝かしつけ、自由時間を勝ち取ることが一番の関心ごとだった。

ステキな絵本を丁寧に読み聞かせるような育児にあこがれたものの、じっと話をきかない娘を前に、読んでも仕方ないと、さっさと諦めた。「豊かな心を育んでくれそう」と、出産前に買った落ち着いた色合いの玩具たちも、ちっとも見向きもしない娘を見て、クローゼットの奥にしまいこんだ。

だから、そのつみきを買ったのも、ほんの気まぐれだった。ネット通販で見かけたそれは、型落ち品で、びっくりするほど安かった。「どうせ遊びやしないだろう」と思ったものの、これぐらい安ければ別にいいかと購入ボタンを押した。

家につみきが届いた時も、私はなんの期待もせずに娘の前にそれを置いた。物めずらしげにそれを手に取る娘を見て、「5分くらいは遊んでくれるといいな」と思い、そのスキにと、散らかった部屋を片付けはじめた。

そして、視線を娘に戻した瞬間、私は大声で「えー!」と叫んだ。娘は、つみきを事もなげに積み重ねていた。ひょいひょいと楽しそうに、なんの苦労も迷いもなく。その時も私は、まず、あっけにとられ、娘の成長に感動し、それから娘を褒め称え、写真を撮った。そして、それから、どうしようもなく申し訳ない気持ちになった。

肉にしてもつみきにしても、きっと娘は、私が目にするよりも早く、食べられるように、遊べるようになっていたのだと思う。私は、「できないことを無理やり強いることは、親にとっても子どもにとってもストレスになるにちがいない」ということを理由に、娘から可能性をとりあげてきたのだ。

もちろん、無理強いがストレスになることも間違いではないと思う。だけど、だからと言って、その機会をゼロにしてしまうことはなかったのだ。それは、娘のためというより、私がラクをしたかったからだ。ラクをすることは、悪いことではないけれど、「自分がラクをしている」ということを忘れてしまうと、いつかもっと大きな後悔につながってしまう気がした。

これは育児以外のことでも言えることだけれど、私は、ストレスが嫌いだ。だから、ストレスにつながることは、もうほとんど無意識に避けるようになっている。好きなことだけする、しなくていい苦労はしない、無理もしない、できるだけ心地のいいものだけで人生を構成する。

その基本的方針は、私自身が選びとっているもので、そこをガラリと変えるつもりはないし、たぶん、できない。でも、そういう方針を自分がとっていることを忘れてはいけない。時々、振り返り、大事なものを取りこぼしていないか、確認しなくてはいけない。

私は、娘と楽しく暮らしたいと思っている。娘の笑顔と同じくらい、自分の笑顔も大切にしたいと思っている。そして、娘の人生に、できるだけ干渉したくないと思っている。「必要なだけ」の手助けをしたら、あとは、娘が育とうとする速度や方向をジャマしたくないと思っている。

だけど、その「必要なだけ」を判断するのも私なのだから、きちんとそれをチェックする機能を自分の中に持たなければいけない。娘の身近な大人として、「必要なだけ」の手助けを怠ってはいけない。自分が「ラクをとる」傾向にあることを、時々思い返さなければいけない。それが、結局、娘との楽しい暮らしにつながるはずだ。

しばらくは、肉とつみきを見るたびに、そのことを思い返すことにしようと思う。


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