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たしかに私は12歳だったけど

当たり前だけれど、かつて私は12歳だった。

当時の私は学校に通っていて、たくさん友達がいて、一番仲がいいのは幼なじみのアミコで、担任の進藤先生はちょっと苦手なタイプで、本を読むのが好きで、合唱部の活動も好きで、勉強も嫌いじゃなくて、ずっと好きな男の子がいて、でも誰にも言えなくて、そして、家にいるのはあまり好きじゃなかった。

あの頃の日常を、私はよく覚えているし、その時考えていた思考も、感じていた感情も、はっきりと思い出せる。

でも、それは、本当に、本当の12歳の私の日常で、思考で、感情なんだろうか?

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先月、コノビーで連載していた小説「娘のトースト」が完結しました。小説の主人公は思春期の娘を持つ母親で、物語は、最初から最後まで彼女1人の視点で語られました。でも、実は、企画を考えはじめた当初は、母親だけでなく、娘視点の語りも含まれる予定だったんです。母と娘の視点、それぞれ1話ずつ交互に、という構成で。

実際に、それで3話目くらいまで書き進めました。1話目母視点、2話目娘視点、3話目母視点、だったかな。でも、これがなかなかうまくいかなくて。4ヶ月くらいの間、何度も何度も書き直して、それでも全然しっくりいきませんでした。

その理由は、何より「登場人物たちがどんな風に語るのかがつかめなかった」こと。それから、12歳の女の子として書く文章が、思っていた以上にむずかしかった、ということです。

12歳の女の子の思考や感情。書けないわけじゃないんです。むしろ、母視点よりも筆は進むんです。私は12歳という時期を実際に経験したし、それを何度もいろんな角度から振り返ってきたし、しかも物語の中の娘「唯」は、恋をしてる。言葉も感情もどんどんあふれてきて、キーボードを叩く指は次から次へと動く。それで、つい書きすぎちゃうんです。

編集長からは何度も「唯が大人っぽすぎる」と言われました。実際に思春期のお嬢さんを育てている方にも読んでいただいたんですが、やっぱり同じように、唯がしっかりし過ぎてると指摘されました。

12歳の「唯」を描く時、参考にしたのは12歳の頃の私でした。「12歳って、結構大人だったよな。いろんなこと考えていたよな」。私が12歳に抱いているイメージは、だいたいこんな感じでした。

12歳は子どもと言えるほど子どもじゃない。大人が考えているよりも、ずっと、いろんなことを考えている。それは、ある面から見れば真実かもしれない。だけど、それだけではないんですよね。

客観的に見た12歳は、確かに驚くほど大人びたことを考えているようで、でもやっぱり、大人とはちがう。物を考える階段が、大人よりも少ない感じがする。実際に12歳を育てた経験のある方は、そう言いました。

3歳までの子育てしか知らない私は、まだ客観的に見た12歳をよく知らない。それなら、それを補うために、調べたり想像したりしなくちゃいけないのに、「私だって12歳だった」という自負が、それを邪魔しました。私の知っていることだけで、書こうとしてしまったんです。その「知っているつもりのこと」を振り払うのが、とても難しかった。いっそのこと、12歳を経験していなければ、もっと簡単だったのかもしれないと思うけど、そんな大人は存在しません。

最終的に、小説は母親だけの視点で語ることになり、書き終わってみれば、「この小説はこれでよかったんだな」と思いますが、でも、やろうと思ってもできなかったことがあることは、純粋に悔しいです。いつか書けるようになるのかな。それとも、娘が12歳になって、実際に身近で客観的な12歳を知ってしまうのが先かな。

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この「知っているからこそつまずく」というのは、いろんなことに言える気がします。

たとえば、子育て。娘はまだ3歳で、私は自分が3歳の頃の記憶がほとんどないから、「3歳」というものを未知で新鮮なものとして受け止めているけど。やがて、娘が成長し、かつての自分と重ね合わせることが増えると、「私はこうだった」という思いが、参考になるばかりでなく、邪魔になることもあるかもしれない。

時には、12歳になろうとして失敗した経験を思い返して、娘を新鮮な目で見ていくことを忘れないようにしよう。 今はそんな風に思っています。


小説「娘のトースト」はこちらから第1話をお読みいただけます。気になった方は、ぜひ!

https://conobie.jp/article/12354

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