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はじまりがあるからって終わりがあるとは限らない

4月は何かをはじめるのにぴったりなので、noteをはじめることにしました。

同時に4月始まりの手帳も新調することに。手書きの手帳は久しぶりです。ここ数年は、アプリやらPCやら、デジタルで予定管理をしていました。スケジュール以外のものを記録するのも、もっぱらevernoteです。手で文字を書くのは、保育園への持ち物くらい。オムツに娘の名前を書くことだけは、目をつぶってもできるんじゃないかってくらいになりました。

でも、この春はなんだか手で文字を書きたい気分なんです。自分の中にある言葉以前のものを整理するには、手書きの方が向いている気がします。

春だし、久しぶりの手帳だし、なんだか新鮮な気持ちになるのですが、こういう感覚は初めてじゃありません。むしろ「またか」って感じです。「慣れきった新鮮さ」というのもおかしな言葉だけれど。

何かをはじめるのにためらいがないタチで、思いついたものにはとにかく手を出します。時々、そのためらいのなさに、「行動力があるね」と言われたりもします。

でも、いつの間にか、私が何かをはじめるのは、前向きな理由からではなくなっていました。どちらかというと、「選択肢を消すため」という消極的な理由から動いているんです。「どうせ終わるのだから、さっさとはじめてしまおう」って、はじめる前から、終わることが当たり前になっている。繰り返される「はじまり」と「終わり」のサイクルのせいで、続くことが信じられなくなっている。

最初は、続かないものをどんどんと消去法で消していけば、いつかは私にとって「かけがえのないもの」が残るだろうと思っていました。でも、どうもそうじゃないみたい。やっぱり、「終わらせない」って意志がないと、何にも残らないようになってるんじゃないかなって、最近になってようやく思うようになりました。

今はそばにいるのが当たり前の夫とも、そういう「終わらせない」っていう強い意志を持って歯を食いしばって続けてきた時期があるからこそ、続いていくことが当たり前だと信じられるようになったんだから。

そんなこんなで、この春は、ちゃんと続けたいことだけをはじめたいと思っています。そして、はじめたら、続けるために全力で知恵を絞ってすすめていこう、そんな風に考えています。

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