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届けるために書いていた頃

ライターで友人のマツオカミキさんとはじめたこの交換ノート。今回が12回目。次に私の番が来たら、おしまい。最終回です。はやいなあ。

前回のミキティの文章は「書けない時の理由」がテーマでしたが、今の私がまさにそれ。書けない。

理由は、ただただ疲れているから。今書いているこの文章、公開は12月13日の予定ですが、実際に書いている今は11月30日で、ついこの間、こちらの長文noteを書いたばかりで気が抜けているのです。

私が書けないのはだいたい心身の疲れが理由なので、寝るか遊ぶかすればいいんだけど、ミキティとの約束の時間が迫っているので、とりあえず思いつくままに文章を書きます。「とにかく書く。書けなければ書けないことをネタに書く」というのは、毎日noteを更新されているような方々もよく言っている気がします。

書けないので、この交換ノートを最初から読んでみます。1回目2回目は、ミキティと私、それぞれが「文章を届けること」について書いています。そして、私は「届けたいと思わない」と。

その後も、交換ノートを続ける中で、ミキティとのいろんなちがいに気づくたび、この「届けようとしているかどうか」というのが根っこにある気がするなあ、なんて思っていました。

でも、よくよく考えてみたら、私も「誰かに届け」と、そればかりを考えて文章を書いていたことがあったのを思い出したんです。

前にも書いたけれど、私がインターネットで文章を書くようになったのは、15年くらい前のこと。最初はブログで、それからmixiで、ほとんど毎日何かしらを書いていました。

その時は、人生の大失恋をした直後で、捨てられない思いとか記憶とかが、次から次へと言葉になって出てきました。いろんなことをいろんな言葉で書いたけれど、全ては結局、「さみしいさみしい」ということでした。そして、それを誰かが拾い上げてくれるのを待っていました。そうは書かなくても、その時の私の文章は、全部「誰か助けて」ってことでした。

実際、その文章の「私」は結構モテたんです。当時のインターネットでは女の人が少なくて、だから「女の人」ってだけでもて囃される空気もあったのだと思いますが、とにかく、文章の「私」は本人よりずっと素敵そうにみえるみたいで、「会ってみたい」とか「好きです」とかわりとよく言われたんです。それで、オフ会とかに行って、何人の男の人をガッカリさせたことか。あからさまに眉をしかめて、「なんか、普通のOLって感じの人なんですね。もっと天女みたいな人が来ると思ってました」と言われた時にはめちゃくちゃ大笑いしてしまって、さらに相手をうんざりした顔にさせてしまいました。でも、それにしたって、天女って。

そういうのを何回か繰り返して、私はネットで文章を書くのを一度やめてしまったけど、あの時だけは、必死に、誰かに、届くように文章を書いていたなあと思います。

あの時の強烈な欲望の記憶があるから、だから、今の「届けたい」という気持ちが、ほとんどないようなものに思えるのかもしれません。

もう、今は、私の文章を読んで、「好きだ」みたいなことを思いつめた文章でぶつけてくるような人はいません(年をとるって、ほんと健やかなことだ)。でも、私は、あの頃のより、今の自分の文章の方が、ずっと好きだなと思います。


✳︎マツオカ一言✳︎
狩野さんの昔のブログやmixiの日記、読んでみたかったなぁ!「さみしい」や「誰か」って声に出して言えなかったりするけど、それを書けるインターネットも、いいですよね。わたしは今も「同じ考えを持つ誰か」を求めて、書いてるんだなって改めて思いました。


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