このところ、ずっと忙しくしていた。とにかく、昨日ひと段落ついて、やっと重い荷物を1つ肩から降ろす事が出来て、ホッとしているところだ。 さて、これからというところだけど、実は体調が思わしくない。両足の指が数ヶ月前から痺れていて、それが確実に悪化している。糖尿病ではないが、糖尿病のきらいはある。ただ、検査してもらうと、「食後そんなにたってないでしょう。こんなもんだよ」と少々血糖値が高くてもお咎めなし。糖尿は出てない。となると糖尿病ではない訳だ。 中性脂肪とコレステロールはかな
先日の山里氏と蒼井氏の結婚の報道に、ものすごく癒されていた。おのろけ話にゾクゾクというか、最近の言い方で言えばに「きゅんきゅん」した。幸せのお裾分けをもらった気分だ。体内から生まれくるホルモンというか、覚醒される何かを共有する事と似ていた。一字一句、言葉や視線までもに愛が溢れていた。 いつもは、タレントや女優さんの演出される表面しか日頃見ていないが、ああいう場では、やっぱり人となりが出るのだ。幸せのオーラも然り。 自分の過去の出来事に当てはめて、重なる自分も投影される感覚
蝉の声が鳴き出す頃 青い空に君の声 透き通ったガラス玉 気泡の中に閉じ込めた 居なくなった君の 声がいつまでも 閉じ込めてあるんだ 虹色のプリズムが 青い空に描かれて 透き通ったガラス玉 気泡の中に閉じ込めた 消えてしまった君の 面影をいつも 閉じ込めてあるんだ ベランダから眺める空は ちっとも変わらない 吹き抜ける風も ちっとも変わらない 僕の目には涙 眩しくて悔しい 夏の日の思い出 君の声はガラス玉 割ったら弾けて 耳に残るよ 気泡の中から 閉じ込められた声が踊るよ
規則正しい秒針の音が 君の寝息とシンクロして 僕は夜の闇に迷い込んだ 天井は突き破れない 真っ直ぐに向いた空の先 天井が邪魔で突き破れない さっき見た星は 何等星かな 地球が動くから ベットに横たえる僕でさえ 地球と一緒に動いてる 天動説みたいに 星が動くのと勘違い ずっとすれ違うのは 寝息を立てる君と僕 息を止めるように ここでサヨナラというのは 僕にとって正しいか すれ違いすぎてわからない 迷っているんだ ずっと前から オロオロと泣いてみるのは 僕だけでいいよ 秒針
混沌とした、複雑に絡み合ってしまった球体の中で、溢れ出した情報はどこに流れ着くものなのか。 青い星の、70億人の脳に話しかけ、漂着するなら、そこかしこの人の脳にインプットされるべきモノが、あからさまに遮断され、捨てられる。 管理されたのではない。まず始めに、管理したい者が操作するのだ、諸君。 秩序は誰が保とうとして始まるのだろうね。 ルールは誰が決めるのだろうね。 自由という名の自由になり得ない秩序の中のルールの物語。 風穴を開けよと、もがく人の思考に敵意を向かせるのは、お誂
私は泳ぐ 時間の中を 思惑の中を 希望の先を 私は歩く 歓喜の中を 静寂の中を 未来の先を 何も求めず 救われる先の 愛する人の幸を 静かに祈る 生きていてくれる限り 私はあなたのしもべ 誰にも気付かれず 愛を贈る 静かに 静かに
自分が今幸せなのか、イマイチ分からない。確かに眠る家もあるし、家族もいる。日々食事もできる。こうして、自分の時間の中で言葉を綴ることもできる。 ただ、何か心の中にわだかまりがあって、上手く先に進めないような、引っかかりの中で生きているような気がしてならない。自分の人生に余計な虫食いがあるような・・・そんな感じ。 人には何種類かで区分けできる人種が存在する。私見だけど。 自分の事を一番に考える人と、自分より人の事を考える人。そして、自分のことをしたいのにズルズルと周りに引
あーあ。とうとうこんな話に手を出してしまう。いや、「こんな」ではないな。とても重要な問題で、日本は産業が息づいてきた時から、ある意味一律の制度が出来上がり、60歳で定年、その後年金制度に移行して、「生活基盤に心配はない」が、一定水準化していたのは確かだ。 長く1つの会社にとどまり、貢献し、退職と同時に年金が保証され、老後の生活に苦労する事なく、余生を送れるというシステム。 長くこの制度は生きて、現代社会の安心な生活を支えてきた。しかしながら、もうこの制度は崩壊し始めている
朝の界隈は、ウグイスの声を浴びる。4月のウグイスはまだまだひよっ子で、デビュー前の半人前の唄歌い。でも、この1ヶ月の間にみるみる成長して、今ではいっぱしの唄使いだよ。今朝、あちこちから聞こえるウグイスの声なんて、美声そのものだった。日々訓練あるのみ。 そして、ウグイスの声を聞くだけで、背中が妙にピンとするのは何故だろう。 訓練といえば、ここに書く文もある意味訓練なのだが、私は創作の同人誌に所属している。同人誌周辺は作家さんばかりだ。 書く、読む、考える、書く、直す、評価
君はもう寝ているかい 窓の外 月が見てる 横たわった僕の足に 反射した光が染み込んで 薬みたいに作用し始める 脳の中が燃えるみたい 起き上がって 言葉を探したくなる 君が起きていたら そのまま伝えたくなる 僕の言葉 月明かりを借りて 君の肌に作用して まだ君が起きていたなら ふらふらと誰もいない道を 歩き出すかな 月明かりを借りて 君の鼓動で動かして まだ君が憶えているなら ふらふらと僕の元へと 帰ってくるかな 直接もう君と話せないのに 月を介してなら 話せるような気が
その昔、友達とフロリダに旅行に行ったことがある。割と治安の良い場所で、その日は友達と外食して映画でも見ようという事になった。 近くのモールまでは歩いて5分とかからない。昼間なのとホテルがいくつか建ち並ぶ観光地なので、歩いて出かけた。途中の小さな池は隣のホテルの池で、小魚や亀が泳いでいるのが見える。草むらにうさぎがいるなど、ちょっと日本では考えられない。日本で野うさぎが普通にその辺にいたら、すぐさまみんな捕まえてしまうだろう。 モールに向かっていると、横の道路を走っていた車
ちょっと嫌な事があった。ズンと凹んでいる。自分は悪くないという自負はあるが、当事者でない周りの反応に、いたたまれない気持ちになっている。 それは一気に、言葉ではない不穏な空気を感じ取れるようになるからだ。人というのは自分も含めて面倒くさい生き物で、一度気にするとその考えに囚われる性質があり、正に今、自分が囚われの身になっている。鎖や足枷など付いていないのに、気持ちが縛られている。 何日もその囚われに心は疲弊し、落ち込みから脱する事が出来ていない。自分の失敗ではないはずなの
電車に乗っている。都心の電車に揺られていると、過去に乗ったローカルな電車には、最近全く乗っていないと気付く。時間が、今では足りない自分がいる。過去の私と今の私、1日の時間は同じはずなのに、何かに縛られている。お金などではない。もっと、形に表されない、人と人との繋がりなどに生じる見えない鎖のような存在だ。 かつては、時間は無限にあるような錯覚を起こしていた。学ぶ時を経ても、学べていない自分が、時間に揉まれている。ゆるい方に流れる自分がいる。毎日、自堕落な自分とそれを正したい自
僕の動揺は波打つ血の潮 君の発する言葉のパルスが 鋭い剣になったとして 同じ世界で生きていたら 受け止めた心臓が 赤く染まって 波打つ血の潮扱いきれない情熱を 受け止めたら 動悸がしてきた 金魚鉢を二つ並べて 干渉し合わないよう それぞれに入ろう 僕らは一つずつ 世界を築ければ 動悸も動揺も無縁にできる望遠鏡から覗く星くらい 届く光がチラつくくらいに 懐かしむのがちょうど良い血潮を浴びたら 苦しくなるから
先日、従妹に向けて「やぁ、元気?」とラインを送り、近々そちらに久しぶりに行くよと連絡した。10年以上、ご無沙汰している。 行く行く詐欺みたいに、行くつもりの予定を何度も更新し、やっと重い腰が上がった。実際、一人で行くには躊躇したくなる。親戚が多すぎて、ひと所にだけ挨拶に行くのは不義理になるからだ。一人であちこちの親戚に顔を出し、挨拶をこなすのは荷が重い。そして、遠方の田舎に単身行くのは(そこはかなりの観光地なのだけれども)、親戚の挨拶が終わった後、観光するには改まり過ぎてい
とある大きな公園に愛犬と家人とで出かけた。 薄陽が射す穏やかな日。本日予定していた場所が渋滞のため、いつ現地に到着するか分からず、急遽場所を変更した。そのくらい緩い方がいい。日帰りの緩い遠出は、予定が予定でなくなるのも、また楽しいものだ。 何の事はない、実は私が新緑を欲しがっていた。マイナスイオンを浴びたいなどとは言わない。草や木、土の匂いがただ恋しかった。それを言わずして、「たまには愛犬に広い場所で走り回らせてあげるのはどうだろうか」そう家人に提案し、家人も何の気なしに