知的な文章って痺れる。私も書きたいニダ。

こんばんは、かりんごです。

今日は、かりんご、燃えています。

理由は、クラスメイトに上から目線で話されたから。
とても侮辱された気分だった。悔しかった。

だからかりんごは、もっと自分の教養及び立ち振る舞いに磨きをかけます。

闘志が、燃えています。


知的な文章をかける教養。

メッセージのやりとりや、人が書いた文章を見たときに、
とても知的好奇心がくすぐられることがある。

それは、なぜか。


その文章を書いている人の教養が深いからであるからだ、と私は思う。


それは、ビリビリを感じるほどの例示のうまさに。

私は、そんな文章と出会うと、とても刺激を受ける、ガチで、
ビリビリ、って感じ。

言いたいことを直接言うだけではない、
受け取り手に伝わりやすいように
例を提示する。

その例が、フィールドが全然違うところから、
しかも、伝えたい事柄よりも身近な、万人に理解できるような事柄を
引っ張ってくる。

いかに、適した例を持ってこられるかどうかは、
その人の持つ教養に左右される。


我も、知的な文章を書きたい。

私も、彼ら彼女らのように、
知的な文章を書きたい。

そう思った。それで一つ、noteを書くに至った。

知的な文章は、知的な人にだけ伝わる言語だ、と感じたのだ。

中国語ができる人だけが中国語を理解できるように、

表現の仕方は、
”思考”のような、”文化”のような、うん、一種の”言葉”になり得ると思ったのだ。

だからもし、私が知的な文章を書き話せるならば、
知的な人と対等に、楽しく語り合えるだろう。

知的な会話は私に心地のいいようなビリビリの刺激を与えるから好き。

知的な人になるっちゃ☆




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