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ギリギリでいつも生きていたいわけじゃない

朝起き上がれなくなってきて、
Xデー(生理)が近いことを感じております。こんばんは。
朝1時間の時間休をいただいてなんとか出社。

鉛様麻痺、とうつ界隈では呼ぶようですが
起き上がれない日が確実に毎月ある。目は覚めているのに。
気力があれば、たとえギリッギリであっても身体は動く。ドタバタ!と準備して出かけることができる。起き上がれない日は、どれだけ時間があってももう無理である。

今日は朝から私がメインの会議があったため休めなかった。誰かに代わってほしかった。基本的に人員不足由来のワンオペ業務のため、代わりはいない。まあいなかったらいなかったで、どうにでもなるんでしょうけど。一応チームメンバーが会議に一緒に出てくれるものの、誰もきちんと聞いていない。誰も覚えていない。
みんながサブ担当、ということになっているがそのせいで誰もサブではない。

化粧もせず駅に向かい、電車の中でアジェンダを考え、会議1分前に出社したのになんとか勤め上げた。なんだかんだでやってしまうから、こんなにギリギリの気持ちであることが誰にも伝わらない。

平気そうにするから相手に辛みが伝わらないんだ、と小さい頃から何度も色んな人に言われてきた。結果的に小さい頃から髪の毛を抜いたり、血圧がコントロールできなかったり、大人になったらしっかり鬱になった。

近頃は民間のカウンセリングを受けたりして、少しずつ分かってきたことは幼い頃から私にはツラミの受け皿がなかったらしい
私はとても溺愛されて育ったが、特に母の愛は少し歪んでいた。所謂過干渉系の毒母であった。父は理解のある彼くん系の優男、早くに死んでしまった。

何が私をそうさせたのか、わからないけれど、私は物心ついた頃から「つらい」ということができなかった。母は病弱でよく入院しており、父のワンオペみたいな時代もあった。2~3歳の頃からカーテンの中でよく泣いていた。それは私の中で自然なことだった。
「我慢強い子」というレッテルを貼られた私は更に我慢強くなった。

思いのままに書いていたら回想してしまってました。まあいいか。

もう30代も折り返しだというのに、未だに自分の限界がわからない。まだいける、まだいける、と思っていたら突然歩けなくなっていることがこれまで何度もあった。この数年は休職等をしていないので、ギリギリ歩き続けているだけレベルアップしたのかもしれないが、ギリギリ感がぬぐえない。

私の元々持っていた性質と、ホルモンの相性が最強なのだろう。
PMDDにうってつけの体質といっても過言ではない。笑

結婚も同棲も、当分予定が無くなったわけだから、今年は自分のペース、心地よさを追求しなくてはと思っている。衣食住、労働。もう少し自分を大切にできるようにならn…おっといけない、私はすぐ「せねば」と考えてしまう。誕生日の占いでもオーラ占いでも不思議な整体でも「義務感」で生きてる人だと言われてしまった。もうそういう星の人なら仕方ないけど。笑

もう少し自分を大切にできるようになりたい

義務ではない、私の希望・願いです。
今日もギリギリ、よく頑張りました。おやすみなさい。


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