かるがも相談室

かるがも相談室 第5回


かるがも団地の住人
藤田恭輔・古戸森陽乃・宮野風紗音が
みなさんからの質問や相談に
深そうで深くないことを言いながら
真面目に答える企画です。

相談・質問はこちら


こんばんは!ご無沙汰しております。
かるがも団地の古戸森です。

本当に久々の更新で
今まで自分がどうやって文章を書いてきたか忘れかけております。

さっそく本題に参りましょう。
バタバタしていていただいた相談・質問への回答が遅くなってしまい
大変申し訳ないです…。

今回届いたご相談はこちら💁‍♂️💁‍♀️


最近、可愛くなりたい、と思うようになったのですが、どうやったら可愛くなれるのでしょうか、そもそも可愛いとは何なのでしょうか?(K・N 目から脱皮 さん)


きれいごとのようなことを言うと、
可愛くなりたい、と思ったあなたは確実に昨日のあなたよりかわいいと思います。

わたしが相談した側なら、こんなこと言われても「そういう事じゃない!」って思うでしょう。
でも、わたしは心からそう思います。

可愛くなりたい、という気持ちはそれだけでとても尊く、美しいものです。


さて、わたしは世間的に言えば決して「可愛い」わけではないし、
相談者さんの言う「可愛くなりたい」が外見的なことだとしたら、
わたしはアドバイザーとしてはきっと不適任です。
でも、「可愛い」ということについて、たくさん考えて生きて来たような気がします。


どうやったら可愛くなれるのか。難しいなあ。
でも、今わたしが思うのは、
自分で自分のことを可愛いと思っている人こそが可愛い
ということです。

「可愛い」への世間的なハードルは結構高い気がします。
外見的にある程度「可愛い」とされる人が自身みなぎる態度をとると
「あざとい」とか「調子に乗っている」と評され、
外見的に「可愛くない」とされる人が世間の評価以上の自己評価を持っていると
「身の程知らず」と評される。

「ちょうどいいブス」を自称する芸能人のモテテクが一定の支持を得ているのも、
この「身の程」という目に見えない、誰も得しない謎の基準が
我々の意識下に常に存在しているからなのだと思います。


「可愛」は、訓読すると「愛すべし」。
多くの人は「可愛い」と「ブス」(わたしは「ブス」という言葉が本当に大嫌い)を対義語のように使っていますが、
そもそも「可愛い」というのはひどく主観的な言葉だと思います。
「愛する」という行為の主体は常に個人であって、客観的なものではない。

だから、あなたの「可愛い」を最終的に決められるのは
他のだれでもなくあなたしかいないと思うのです。

どうか、「世間」とか「みんな」とかいう
曖昧で流動的なものからの評価に流されず、
自分で自分を愛すべき存在にしてあげてほしいなと、わたしは思います。

そのためにすることは、
お肌をきれいにすることかもしれないし、
体重を増やしたり減らしたりすることかもしれないし、
メイクやファッションを研究することかもしれない。
もしくは人にやさしくすることかもしれないし、
教養を身に着けることかもしれない。
今のままでもいいのかもしれない。

あなたが自分のために楽しく努力をして、
自分のことを思いっきり愛せますように。


P・S
電車やバスで常に下を向き、
クラスの男子の声におびえ、
鏡を見て何度も涙を流した中学生の時のわたしへ。
10年たって、わたしはまだ自分のことを可愛いとは言い切れないけど、
こう思えるようになったよ。もう泣かないで。



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