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四国遍路記録⑱まさかの再会や縁~石鎚山と65番

今日は区切りうち5回目
まさかの再会が2回もあった最終日のことです。
8年も前のことですがやっとまとめられております。
今日で18回目よかったらおつきあいください

さて前回は、伊予西条の駅前ホテルに宿泊
おいしいうちぬきというお水にいやされ
今回は、まずはバスで出発と言う所からです。

前回の記事はこちら


横峰寺行バスでの再会

前日既に、64番札所まで終えていますが、
ひとつ、あとにまわしていた60番札所横峰寺を目指します。
こちらは、なかなか険しいお山のお寺なので
朝からバスを利用しようと思っていたからです。

四国霊場一番の難所とも言われている
西日本最高峰の標高1982mの石鎚山
この中腹に立つ札所が60番札所、標高は750mです。

ちなみに順番通りに、ひとつ前の
59番札所国分寺さんからですと、
かなり険しい山道も含めて約30Km、10時間かかる
と言われますから、ここは身の程をわきまえてバスをつかいます。

まずは西条駅前からせとうちバス
7時42分発で横峯登山口と言う所までのります。
ここには8時に到着予定です。

そしてこの朝、バス停に向かって歩いている時に、
ふいに背後から私の名前を呼ぶ女性の声が…
ふりかえると、そこには3日前に松山の札所を一緒にいくつかまわり
「またね」とお別れした
北海道のお父さんとお母さんの姿が

同じルートをまわっていますから
会うのも不思議ではないと思われるかもしれませんが
途中で再会した方は、意外と少ないのです。

そしてまた、前回は久万高原方面行きのバスに乗るためでしたし
今回もお山へのバスでご一緒、
嬉しい再会ですねと一緒に乗り込みました。

他にも幾人かお遍路さんがいらっしゃっいました。
なかでも「普段着だけど、ずっとまわっているのだよ」と仰る
松山にお住まいの男性には、地元の情報も含めて、
この後のお寺のことなども教えていただきました。

そうしたら、なんとそこでまた発覚しました。土地のご縁。
「どこからきたの」と仰るから「福岡です」とこたえると
「わたしは室見に住んでいたのですよ」と。
室見とは私が暮らす場所からは少し離れていますが、
同じ市内で、友人が暮らしていたこともあり、
「あら~そうでしたかあ」と、また盛り上がったのでした。

さてバスはといえば、
横峯登山口というところまで乗車し、
さらにそこから、徒歩3分の所にある
上野原乗り換え所という、ちいさなバスセンターのようなところまで歩き、
横峯登山バスに乗り換えます。マイクロバスになります。
なぜなら、ここから先は、大型バスが通れる幅はない道だからです。
この時は8時05分発にのり横峰寺参拝口に8時35分につきました。
道幅は細いうえに、とてもぐねぐねして揺れも大きな道が30分でした。

そして、このバスは、そのままそこで待っていてくれて、
帰りも同じバスで帰ります。
そうしないと、また随分時間があいてしまいます。
ですから運転手さんからも
「帰りは9時10分には出発するので急いでください」と言われます。

音声での配信はこちらから 是非

そしてここでちょっとおもしろかったバスの中。
「そういえば、その後、乗り継いで、
また西条駅まで戻るバスってあるのだろうか?」と、
なぜか、乗車していたみんなが確認していないことに気づきました。
もちろんわたしもです。
そして、みんなで、大丈夫かしらと心配をしていた所、
先出の松山在住のおじさまが運転手さんに聞いてくれました。
すると「帰りは9時39分の乗り継ぎがあり、
それに間に合うように送ることになっています」とのこと。
みんな一斉に安心する、という一体感に笑顔になりました。

ただ、この乗ってきたバスは、
お参りの時間をとって、待ってはくれてはいますが、
個人的には、もう少し余裕があるといいのに、と思います。
というのも、このバス降車場からお寺までは
長いスロープがうねうねと続きます。まずは下りです。
ということは帰りは登り坂になるので、
どれくらいの時間で行って帰ってこれるかが読めません。

皆さん同じことを思ったのでしょう、
バスを降りたみなさんは、一斉に、
下り坂をダッシュでお寺に向かいました。

でも私はちょっとびっくり!
皆さん私より先輩の年齢です。
すごいけど、下り坂ダッシュは危ないよ!と、
私は、せいぜい速足レベル。
取り残されました。

また、時間がないと思うと、
勤行全部をゆっくり唱えられるかどうかわからず、
こちらも早口になるな、とも思いました。
でもだからといって、ここで簡易版短縮で唱えるというのは、
やはり気が乗らない、
いつも通り全部唱える!と、決めました。
皆さんより少し遅れてついて、かなりの早口での納経。
これでいいのかどうかわかりませんが、
わたしの中では納得したので、
きっとお大師様もよしよしと言ってくれる、と
勝手に良い方に考えます。

そんな思い出深いお寺はこちら。

第60番札所 石鈇山 福智院 横峰寺

(いしづちさん ふくちいん よこみねじ)
宗派 真言宗御室派
本尊 大日如来(伝弘法大師作)
創建 白雉2年(651)
真言 おん あびらうんけん ばざらだどばん

山岳信仰の霊地であり、修験道の道場、
ちなみに、開基は山岳道場といえばやはりこの方、役行者さん。
石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、山頂付近に蔵王権現が現れたので、
その姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建
とされるそうです。この星が森は、実際にはこのお寺から
ほど近いといっても結構距離はあります。

ですが、横峰寺奥之院『星ヶ森』となっているこちらまで
お参りされる方も多いのです。
山門からは約600mとなっているので
帰りのバスを気にせず、次の移動も歩きでいいという時にはいけそうです。

霊峰石鎚山の遥拝所でもありますから、
石鎚山に登る勇気はない私としては、
そしてまた、星読みとしては星がついている場所には心惹かれるので、
いつか横峰寺から星が森だけでも、
トライしてみたいと思っている場所です。

長いスロープの後にまだ先が続いています

さて早口でお経を読み始めた私ですが、
先に到着していた皆さんは、どんどんいなくなります。
納経所に入って行かれたのでしょう。

ちょっとだけバス乗り遅れたらどうしようかなあと思いもしましたが、
ここは自分の体内時計を信頼しました。
そしてわたしが納経所に入った時には、
もう誰も残っていませんでした。ひとりぼっち。

でも、ここからです。本気で行くぞバス停まで!と
今度は行きます、登り坂ダッシュをはじめました。
そしてこの途中で皆さんを追い抜いて行ったわたしでした。

既にバスに乗っている方もいらっしゃいましたが、
先輩方追い越しながら、
「先にいって、もう少しで着くはずだから待っくださいと
運転手さんに言いますね」などと声をかけながら駆けたのでした。

でも、みなさんも、最終的にはこれだけ時間がかかるだろうと踏んでいたから、それこそこれもまた、身の程をわきまえた
時間短縮でもあったのだろう、それもまた大切なことだ、と
つくづく思ったのでした。

そして全員そろうと、9時10分にバスは出発
また、横峰寺参拝口まで
そして教えてもらった通り
横峯登山口に9時39分に来たバスにのりました。

色々教えてくれた松山市のおじさまは、
途中でおりて、ここから下りの道を歩いて次へ行くとのことでした。
久万高原の時も途中で降りて下までは歩いたりしたので
ここでもそんなことができたのかと、降りてみたい衝動にかられましたが
この日に帰るという時間的制限がありましたから、
予定はかえずにそのまま西条まで乗って戻りました。

社内でのまたもやの驚きの出会い

そしてここで、北海道のお父さんお母さんは
特急に乗って先へと向かわれました。
コース取りが違うので松山市以来、
ここで二度目のお別れをしました。

わたしはというと、また何とかの一つ覚えのように駅のパン屋さん
ウィリーウィンキーでまたもやタンパク質補給、カツサンドをかって、
次の三角寺に最寄りの伊予三島駅まで鉄道をつかいました。
伊予西条10時27分発、伊予三島駅と言う所で11時9分におります。

そしてここでもまた面白い出会いがありました。
車中ですわっていたら、少し年輩の女性が話しかけてくれました。
その方は香川県の観音寺まで乗ると仰っていましたが、
息子さんが転勤する前にきてくれたので、会いに行く途中とのことでした。
それがまたその土地に驚きました。
私が関西育ちとは前にもお話しましたが、
その方の息子さんは会社は大阪だけれど、
お住まいは私が暮らしたのと同じ地域、小学校の校区でいえば隣でした。
さらに、そこからなんと今回、博多に転勤になるということでした。

そこで「わたし、今博多にいます」とお話して、
「わたしもそのうち行ってみようと思うわ」と仰っていてました。
本当に、おもしろいものです。出会いとご縁の不思議です。

そうこうしているうちに伊予三島駅につきまして、
わたしは先におりるのでお別れをしました。

親切な運転手さんと坂道と

さてそこからです。
この駅近くから、お寺に近いところまでバスが出ているはずでした。
ひとつ見つけていた三角寺口行という、
とても近くまでいくであろうバスは、
既に11時に出ていることはわかっていました。

ですから、とりあえず、他の路線はないかと思いながら、
お寺の方向へと歩き始めました。

すると、脇道にバスの停留所がありました。
けれど、時刻が書いていません。
あまりであったことはないタイプですが、
向かいのバス停に全部かいてあったようなのです。
渡って確かめようと思いましたが、そこに丁度バスがやってきました。
空いたドア越しに「これは三角寺方向へはいきますか?」と
運転手さんに尋ねました。
すると近くまで行くとのこと、
ちょっとほっとして乗車しました。

するとまた、前日と同じパターン、繰り返しかと思いましたが、
先に乗っていた二人の年配の女性が
「どこで降りたらいいですか?」と運転手さんに尋ねました。
普段着でしたが、お遍路さんのようでした。
すると、運転手さんは、信号停車中にどこかに電話をして、
一番近いバス停を確認してくれました。
そして、わざわざ確認してくれる優しい運転手さんに
あらためてお礼を言っておりました。

道の途中には桜などお花が満開でした

ちなみに戻ってから、どこから乗ったのかを調べました。
すると、せとうちバス中曽根と言う所から城下と言う所まででした。
多分駅からこの中曽根までは約1.5㎞ほどだったようです。

ちなみに、一緒におりた女性お2人は
タクシーを捕まえて去っていきました。

わたしは、もちろん歩きます。
城下からお寺までは、4km弱。ずっと登り坂です。

更にこの道はでも苦手な車道で、途中、高道路の下をくぐったりしながら、少しつまらないなあと思ったりもしましたが、
途中からは田畑があったり、集落を抜けたりしたので
結果的に、それほど辛くはありませんでした。

ただ、春とはいえ、登り坂ということもあって、
とても暑くなり、汗がぼとぼと落ちるほどです。
けれど、何といても今回のお遍路は次が最後のお寺です。
ですから、ちょっと名残惜しい気もするので、楽しんで登っていました。
そしてついたのが

第65番札所 由霊山 慈尊院 三角寺

(ゆれいざん じそんいん さんかくじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面観世音菩薩(伝弘法大師作)
創建 天平年間(729〜749)
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

山門前に到着したのは12時50分でした。

すると、ここで年輩ご夫婦が写真をとっていました。
山門をバックに、それぞれを撮りあっているのです。
それが、この前に記すのを忘れていましたが
実はこのおふたり、前日の63番前神寺さんでもお会いしていました
そして同じように写真を撮っていたのです。
その時にわたしは「一緒に並んだところを撮りましょうか?」と
声をかけてシャッターを押したのです。
その、同じご夫婦だったのです。
しかもまた同じ場面に出くわしました。

さっきのバスもでしたが、
また前日の繰り返し?と思うような出来事でしたから
これもおもしろいと思いました。
ですから同じように「シャッターおしましょうか?」と声かけたら、
ご主人の方が気づかれました。

ただ、この方、この前も、少し感じがよろしくないなと思ったのですが
今回も何の前後もないまま「ああ丁度いい所に」とおっしゃって、
あとは黙ってカメラを突き出します。

奥さんはというと、ちょっと目がうつろな方だったので、
前の日も気になったのですが、今回は「ありがとうね」と
声をだしてくれまました。前日は会釈だけだったから少し嬉しかったです。
ちなみにご主人からのお礼の言葉も態度もありません。
別に、それを望んでいるわけではないので構わないのですが、
車で回っているご夫婦でしたが、いろいろ事情があるのかもしれないなと、改めてそんなことを感じながら、お別れをして、
わたしは山門をくぐりました。

山門に鐘

さてこちらのお寺、中に入ってからは、印象的だったのはでした。

山門入ってすぐの所に繋がれていましたが、
なにかのタイミングで急に吠えていました。
そういえば、お寺に猫が住んでいることは割と多い気がしますが、
犬は少ないような気がします。
ちなみに私は吠えられませんでしたよ。しっぽを振ってくれました。

それはともかく、この前のお寺は前の64番札所から歩くと、
山道と舗装道両方あるので、どちらでも選択ができるのですが
当時は、山道の方が災害で通れない所があったそうです。
今はもう違うでしょうが、なかなか荒れた山道が多いと聞きました。
そして舗装道路をいっても約50kmだそうです。一日がかりです。

境内にも桜

さてその後、無事納経もおえまして、来た道を駅へと戻ることにします。

ですが、先にも書いたように、かなりの汗をかきました。
もうとても、シャツがでびしょびしょすぎました。
そこで、お寺のお手洗いでシャツを着替えました。

そして、行きの道でも車には抜かれましたが、
ほとんど人に会わなかったので、帰りもきっと誰にも会わないだろうし、
下りだから30分くらいは歩くだろうと踏んで、
脱いだシャツを水道で洗い、絞りました。
そして炎天下、ぶるんぶるんと振り回しながら
乾かしながら下り始めたわたしでした。

なぜなら、もうシャツの替えはありません。
駅からは、JRと新幹線で帰りますが、全部汗まみれです。
もしお隣にどなたか座ったら、
とても汗臭くて嫌な思いをさせるかもしれない、と思って、
駅についたら、この洗ったシャツに着替える作戦でした。
そして作戦成功、スポーツウェアなので、
ちゃんと降りる時までに渇き切りました。

地元の方の優しさと最後のミラクル

さて、そんなことをしながら鼻歌交じりに下りまして、
先ほど降りた城下と言うバス停まで戻りました。

けれど、駅までのバスは、あと20分待たないと来ないことがわかりました。
じゃあ、道は解るからもう少し先まで歩こうか、と進み始めました。
実はここは国道でしたから、大きな通り沿いで、
アスファルトの照り返しの中、そんなに待つのは嫌だったのも理由です。

そうしたら、少し進んだ所で、急に田畑の方へ進む細道があらわれました。バス停のコース的に、ここを抜けても行けそうな気がすると思いつつも、
まよったら目印がない所だし、と躊躇もしました。

すると、その道のすぐ先で、私が行きたい方に向いて止まっている
バイクのおじさまがいらっしゃいました。
そこで「この先にバス停ありますか?」とお尋ねしてみました。
すると「あったはずだよ」と教えてくれましたので、
お礼をいいまして、わたしは進み始めました。
おじさまはそのまま進行方向へとバイクを走らせて行きました。

所が、しばらくその小径を進んだところでのことでした。
さっきのバイクのおじ様が、正面からこちら側へと戻ってこられて
私の前で止まると、「あったよ、バス停」と仰いました。
なんと、先で確かめて、わざわざ戻ってきて教えてくださったのです。
これも、もうとてもありがたいお接待でしょう。
心から感謝を申し上げました。
そしておじさんまた、今来た方向にUターンをして、走って行かれました。

しばらく行くと教えてもらった通り、バス停がありました。
ですが、ここもやはり、片方にしか時刻が書いていないタイプでした。
わたしの方向からであれば、一旦渡ってそれを確かめてから、
また行きたい方のバス停に戻るという形です。
けれど先にも時間はみているので、
そろそろくるだろうと、そのままそこでバスを待つことにしました。

向かいには、70代くらいかのおばさま
はやりバスを待っているようでした。
ところが、急にこちらに渡ってこられました。
どうやら、私のうしろにはあぜ道がり、
そこに咲いているお花をみたくて来られたようでした。

が、実はおしゃべりもしたいと思ってくれたのかもしれません。
さっそく「どこから来たの?」と話しかけてくれました。

そこで福岡からですと答えましたら、
このお母さんは急に眼をかがやかせ
「わたし氷川きよしの大ファンなの~おっかけなの」と仰いました。
氷川きよしさんは、福岡市内のご出身です。
それから、どこのコンサートに出かけたというようなお話がはじまって、
お孫さんのお話も聞かせてもらって、にぎやかな時間になりました。

けれどそのうち、そのおばさまが乗るバスの方が、
私が乗る逆方向行のバスより、3分早くやってくることを知ります。
でも、今ふたりがいるのは私が進みたい方向、
つまりおばさまが乗るのとは逆方向行のバス停です。
ですから、もしお話に夢中で、バスが来た時に
ばたばたと通りを渡らなくてはいけなくなるといけない、と思い、
おばさまが乗る側のバス停でお話しましょうと、移動をしました

間もなく、おばさまが乗車するのバスがやってきました。
乗り込むおばさまに、わたしはお見送りで手を振っていました。

するとその時、バスの中からこっちに手を振っている男性がいました。
あれ?え?!とびっくり。なんと、北海道のお父さんでした。
お席から立ちあがって。窓にべったりくっついて手を振ってくれています。バス停側の席に座っていたのでした。
その前では、お母さんも手をふってくれています
更には、今乗り込んだ氷川きよしファンのおばさまが、
「お知り合い?今、お話してたのよ」と中で説明している声が…
と言う所で扉がしまりました。

多分、北海道のご夫妻は、私と同じく城下でおりて、
三角寺さんに行くのだろうと思います。
でももし、わたしが歩かずに、あのまま20分間、
城下のバス停から乗るつもりで待っていたら、
おそらく大きな通りを挟んだ向こうのバス停同士なので、
お互い気づかなかったと
思います。
このバス停のように、とても細く、
すぐ横が畑のような道だったからわかったのでしょうし、
何より、この氷川きよしファンのお母さんが
わざわざ渡ってきてまで話しかけてくれて

更に、向こう側に渡りなおして話していなかったら
そこにいるかどうかは、解らなかったはずです。

もう、たくさんのその時々の判断が、この時に繋がりました。
この日はそのまま帰りましたが、結局この後も
長いおつきあいになりましたから、そんな深いご縁です。

そして、あらためて、こんな出来事からまた気づきをもらったことに
感激しながら自分が乗るバス停側に戻り、
すぐにやってきた、三島駅行のバスにのりました。

でもまだ、暖かい人とのふれあいはお終いではありませんでした。

バスでは、一番前の運転手さんの左側の席があいていたので
そこにすわりました。
そしたら運転手さんがすぐ話かけてくれました。
「どこからなの?」と、気さくな方でした。

運転手さんは2年前まで観光バスを運転していたそうで、
だから福岡にも良く行ったよと話してくれました。
そして、今日はそのまま帰るといったら、
次またここから続けるなら、「高知西行高速バス
川之江インターチェンジで降りたらすぐだよ」と教えてくれました。

そこは、先ほど、三角寺への途中でくぐった高速道路だったので
立地もよくわかりました。高速バスの存在を考慮しようと思いました。

そうこうしているうちに、バスは駅につきました。
駅の裏手で降車です。
その時、丁度、特急がホームに入ってきました。
運転手さんは「あ、いそがないといけないんじゃない?」と
バスを早く止めようとしてくれました。
「次のでいくからゆっくりでいいです」と答えたら、
「また気を付けて、おいでね」と優しい言葉をかけてもらいました。
せとうち交通の運転手さん、ふたりとも心暖かくて感激でした。

そして、まだ続きがありまして、
JRのチケット購入して、待合室で次の特急を待っていると、
その朝、横峰寺までのバスで一緒だった女性がいらっしゃっいました。
その方は帰りのバスも勿論一緒で、
横峰寺から伊予西条駅まで戻った後、一足先に特急を使い、
わたしが乗れなかった三角寺口につくバスに乗ったそうした。

けれど、「結構歩いたから、駅から歩いても一緒だったかもしれない」
と仰っていました。
実際には駅から歩けば2時間以上かかるので、
これはちょっと大げさでしょうが、時間を聞くと、
結局、運転手さんが教えてくれた城下から徒歩40分
近くてベストだったように思えました。
また改めて運転手さんに感謝でした。

そして、わたしはここで白装束を脱ぬぎ
トイレで渇いたシャツにも着替えました。

そういえば、この日は3月末でした。
前日の今治バスセンターでは、
入学や就職に旅立つこどもたちを見送る若いお母さん方をみました。
高速バスで岡山とか大阪とかに旅立つようでした。
ちょっと、じ~んとしながら眺めていましたが、
この帰りのJRでも、明日の娘の大学の入学式に出席するという
若いお母さんから、荷物を見ていてほしいとお願いされて、
その後も一緒に特急を待って、乗り込みました。
今回の区切り打ちは、3月26日から3月31日の行程でした。
変わり目だなと、なんだか実感をしながらの帰り道となりました。

そこからは、伊予三島駅15時53分のしおかぜ22号に乗車、
岡山駅には17時11分着きました。
そして岡山からはいつもより少し早い新幹線
18時46分にのって博多着20時25分。
勿論、夕食には、当時の岡山駅のスーパーで
ままかり寿司をかいました。

ということでたくさんの出会いに恵まれて
40番札所から65番札所まで
25ケ寺をまわった区切り打ち5回目でした。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。
次回は4月末の出発で66番札所から78番までまわり
いよいよ一旦、徳島経由で香川突入です

またよかったらのぞきに来てください。

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