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遠い世界

「お子さんはまだ?」とか「早く作らないと!」とかその辺の言葉はもう乗り切った。それを言われたときの、かわし方や、やり過ごし方もこなれたモンだし、言われたところで、チクっともしない。

それらの質問が、深い意味のない世間話の入口的な位置付けであることも実際にはあって、過敏に反応することもないかな、と思えてもきている。

でも、「ほんとは子供が欲しかったなぁ」という気持ちは乗り越えてはいない。 「早く産めない年齢になりたいなぁ」と思うこともある。

「産めない年齢」なんてちょっとひっかかる言い方だなぁ。自分で言っておきながらも、思ったりして。

別にいつもいつも、子供がいないことを嘆いているわけではないけれど、
チクンとするのは、  
たとえば、こういうとき 。

夫の会社関係の奥様会は、基本的にランチ会になる。
私以外は全員、母親である女性の集まりで子連れで参加する人もいる。 連れてくるのは、生後3ヶ月くらいから2歳くらいまでの子たちだ。

それ以上の歳の子は、その時間、幼稚園や学校に行っていることが多い。

お互いに、我が子を他のママに抱っこしてもらっている間に、ささーっと自分のご飯を食べ終えたりもする、という協力体制。

ママがトイレに行くときに、我が子を他のママにあずけて行くことも出来る。 子連れの外出だと、ママ自身のトイレですら、1人のときより何倍ものパワーが必要だ。
こういう集まりなら、他のママにしばし我が子をゆだねて、1人、身軽にスイスイとトイレにいけるというわけだ。

「ちょっとうちの子、抱いておいていただけますか」というシーンで、私は毎回、手が空いているにもかかわらず、身を固くして、ひたすらに時間が過ぎるのを待つ。

実際には、ほんの数秒なのだけれども。

「役立たずだなあ」と自分で思う。誰もそんなこと思っていないだろうけれど。皆、いい人達だから。

たいてい、すぐに誰がか「はいはい、おまかせを」と手を差し伸べて、慣れた手つきで子供を抱く。

先輩ママは「こんな小さな頃が懐かしいなあ」なんて、むしろ積極的にその役を買って出る。

そういえば、私は赤ちゃんを抱っこしたことがない。
弟の子も、友人の子も。

赤ちゃんは、かわいいけれど、怖くて近寄りがたい。おそるおそる、ほっぺや足の裏に触ってみたりして。
その柔らかさに驚いて、やっぱり怖いな、と思う。

赤ちゃんをこの手に抱くことはなく、私の人生は終わっていくだろうなと思う。

奥様会。夫の会社関係のつながりなんて、いくらいい人達でも、ちょっと気を遣うよなあ、なんて思っているのは私だけかもしれない。

小さな子どもがいる母親にとっては、母親同士の集まりって、ホッとする貴重な機会なのかもなあ。
子育てや、幼稚園、習い事、学校のことなど情報交換の場にもなっている。

私には、遠い遠い行ったこともない世界の話をしているみたいに聞こえる。

たとえば、こういうとき。  

在住1年もしたころに、奥様会の幹事の順番が回ってきた。
日程調整とお店の選定&予約。LINEグループへのアナウンス。
特別にサプライズな演出などは求められていない。決して難易度の高い仕事ではない。

だが、私はこのとき猛烈に手こずった。

私は、普段、ほとんどランチを外食しない。
外食するときは、大抵、夕食だ。しかもお酒が飲めるお店。
子連れランチ向きのお店にめっぽう不慣れだった。

幸い、この問題は、あっさり解決した。 「子連れランチ バンコク 」あたりのキーワードで検索をかけると、 個人のブログや飲食店のサイトなど、ザクザク出てくる。

アクセスのよさそうな場所、前回と前々回の奥様会とかぶらない場所、という感じでお店を選んだ。大人の人数分の席の個室を予約して、やれ終了と思いきや ふと「あれ?子供の席は必要か?」と疑問がわく。

私が最後に参加したときは、たまたま、自分1人で座れるお子さんがいなかった。母親の膝の上に座るか、そもそも、まだ自力で座れなくて抱っこか、という状態で。席は母親の分だけでOKだった。

でもそれから、半年も経てば事情が変わってくるはずだ。 経った時間の分だけ、子供が大きくなっている。

1歳半の子は、大人用の椅子に座れるのだろうか。キッズチェアが必要か?
生後半年の子はどうだろう?自力で座れるのか?
何歳の子が固形物を食べるのか。子供用の食器は何人分必要か?
生後3ヶ月の子は?どれくらい動くのか想像できない。

ハイハイする子がいる場合は、掘りごたつ式の席だと危ない、と聞いたことがあるような、、、。  
であれば、畳にテーブル&イスの個室の方がいいのか。イスだと転げ落ちる心配があるのかな。

今回、幼稚園や学校がお休みだとかで、3歳と5歳の子もくる。キッズメニューがあるお店の方がいいのだろうか。 

予約するときに、ベビーが何人、キッズが何人、とお店のスタッフに説明しながら、「そもそもベビーとキッズの境目どこよ?」などと思ったり。
知らないことが随分と出てくるもんだ。

あちこちのお店になんども電話をして確認して、何歳児がどういうレベルで座れるのかネットで検索しまくったり、無駄にお店に下見に行ったり、と挙動不審に近い行動を繰り返した挙句、
結局は、過去に自分が参加したことがある会のお店に決めた。
その時も、子連れ率高かったし。

掘りごたつ式の和室の個室。掘りごたつ式の席なら、イス問題の融通も効きそう。  
お店は、子連れの奥様会の対応にも慣れた様子で、0歳時にはふとんを用意して敷いてくれたし、キッズ用のお皿やスプーンやフォークも用意してくれた。 スタッフが上手に赤ちゃんをあやしたりしてくれている。

そうそう、バンコクは子連れに優しい街なのだ。

なんだ、今、この空間で、子供に不慣れなの、私だけか。

最初から、子供のいる方に直接聞いたり、そもそも子連れで利用したことのあるお店にしておけばよかったのだけれども。

なんだか
子供に対して気の利いたことが出来ないと、母性が足りなかったから母になれなかったような気がしてくるんだ。

子供がいる世界は不慣れで遠い。


たとえば、こいうとき。

やはり、兄弟の子供は特別な存在だ。ウチは、比較的、兄弟仲がいい方だと思うし、身近な人の子は身近な存在だ。
その小さな存在に、自分が幼い頃の面影を見つけたりして、血のつながりを確信する。

昨年の今頃の季節に、弟の一家がバンコクに遊びに来た。奥さんと姪と弟の3人家族だ。

弟に子供ができたとき、うらやましいと思うと同時に、少し肩の荷物が降りたような気がした。これで両親は、孫がいる人生を送ることが出来る。

弟一家は、日本にいたころから、離れたところに住んでいたけれど、姪が赤ちゃんのときは、SNSで家族用のグループをつくり、頻繁に写真や動画を共有してくれていた。

両家にとって、初めての孫。それぞれの家族が浮ついた状態で、姪に夢中になった。 私も、たまにしか会わないなりに、「かわいいな」とか「好かれたいな」と思っていた。

そんな姪もすでに4歳。迎えに行った空港では、はにかみつつも笑顔を見せてくれた。

空港からタクシーでホテルまで向かう。タイのドライバーは運転が荒い。さらに、渋滞に巻き込まれて、ストレスフルなドライブとなった。

彼女がぐずる度に、親は、それぞれに「ごめんね、ごめんね」と娘に詫びる。なんか違和感だけれども、よく聞く「叱らない教育」(?)なのかしら。
子育てしたことない人間がとやかくいうことではないのかなあ。教育やしつけに関しては無口でいるしかない。

  ホテルについた頃には、姪は不機嫌全開!「パパとママだけしか一緒に来ちゃだめ」という。
「それじゃあ、ロビーで待っているね。落ち着いたら教えて。夕食のレストランは考えてあるから」
と、すかさず私は、聞き分けのいいおばさんになる。

私は、こういうときの対処法を知っている。胸の中でチクンとしたものに、気づかないふりをすればいいだけなのだ。

すでにフライトで疲れているし。たまにしか会わない、おじさんとおばさん。一緒にいてくつろげる相手ではないのだろうな。
タクシーに乗っている時間は、彼女にとっては、ストレスでしかなかったのだろう。荒い運転に長時間さらされた。 そのうえ、不慣れなおじさんおばさんが、自分のことを観察している。
「この人たち、このままずっと一緒?かんべんしてください!」という心境だったのかもな。

4歳の子が気遣って本音を言えなかったら、「そんなに早く大人になってどーするのだ?」と思うし、
「本当に正直にものが言えるのって今のうちだよね」と余裕かまして解釈する自分もいる。

ああ、私は子供からの好かれ方も知らないのだ。
だいたい、血のつながりがなんだというのだ。

近くて遠い世界の話。

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