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知らなかったこと

姉の妊娠を知った時、姉の子なら抱っこできるかも、とまず思った。

私は、赤ん坊を抱っこしたことがない。
出産祝いに友人や知人のお子さんに対面するときも、決して抱っこはしない。手や足にちょん、と触ってみるのが精一杯。

自分に赤ちゃんがいたことがないから、抱き方がよくわからないのと、あまりにも弱すぎて、小さすぎて、壊してしまいそうで怖いのだ。

それに、上手に抱っこ出来ない自分を知りたくない。

冷静に考えれば、
子供がいないのだから、子供に不慣れ、は成り立つけど
子供に不慣れだから子供がいない、は成り立たない。

それでも、子供に不慣れだから子供がいないんだ、という気がしてくる。

お腹の中の存在が、 豆つぶ程度の段階で、姉がもう、すっかり母の顔になっていたことにも驚いた。
仕事中心の生活をしていて、これからもそうに違いないと、家族は(おそらく本人も)どこかで思っていて、思わぬタイミングでの妊娠にもかかわらず。

豆つぶほどの我が子を愛おしいと思う気持ち。
胎動もないのに?

私が一生、味わうことのない感覚だ。

男の人は、子供が生まれるまで親になった自覚がめばえない、というのはよく聞く話だけれど、無理もない。

姉の子供、というと弟の子よりぐっと身近な存在となる。
弟の子も、もちろん可愛い。
よその子を可愛いと思う感情とはまた違う。「特別な」可愛さだ。

私達は3人兄弟。兄弟仲はいい。
それでも、姉の子の方が身近なのは、弟より姉の方が会いやすい場所で生活していて、頻繁に連絡を取っている、ということだけが理由ではないと思う。

小さな子供やそれにまつわる諸々の身の回りのサポートとなると、実の母親や女きょうだいに頼みやすいだろうし、弟の奥さんだって、小姑には介入されたくない部分もあるだろう。
そうすると、おのずと女きょうだいの子供の方が身近にはなると思う。

有り難いことに、姪に会う機会を意識的に作ってくれているし、写真や動画もまめに送ってくれてはいても、だ。

弟の奥さんの妹さんが、姪のことを親しそうに呼び捨てするシーンを見て、ああ、そういうことか、と思った。

呼び方は距離感をあらわすと思う。

私は、弟の子を一度も呼び捨てにしたことがない。
もちろん、しちゃいけないこともないんだろうけれど。「気安く呼び捨てにしないで!」とも言われないだろうし。

姉の出産前後の身の回りの世話をすべく、2ヶ月ほど、日本に帰国することになった。

姉ときたら、産休・育休を一切とらないで、初出産を乗り切ろうというのだ。旦那さんは、帰宅が遅いときがあるし、週末も仕事に出ることもあるので、多くのサポートは期待出来ない。
それで、母と妹の私がサポートを、ということになった。

産まれるまでの日々は、日用品の買い出しや食事作り、洗濯、掃除などなど家事全般をフォローした。
姉の休日には、散歩したり、お茶をしたり、長々とおしゃべりをして過ごした。久しぶりの姉妹の時間。私たちは、親元を離れてから、一緒に暮らしていた期間が長いし、別々に暮らしてからも、2週間をあけることなく、会っていたと思う。
懐かしい時間だった。

姉は、妊娠初期はつわりが大変だったようだが、臨月には、動ける元気な妊婦になっていた。

予定日が近づいても、いつも通りに仕事にも出かけていくから、いつ陣痛が始まるものかと、こちらは内心ヒヤヒヤしていた。

いつでも、用意してある入院セットをもって、駆けつけなければ!

それより、職場と家の道中で陣痛が起きたら、助けてくれる人がいるだろうか。

結局、予定日を過ぎても産まれる気配はなく、姉は自ら入院セットを持って、病院に向かった。


産まれた日、私も病院で待っていた。

小さな小さな身体で、この世界に怯えているかのように全身で泣いていたあの子。

その口元をまじまじと見ながら、歯がない口って、こんなふうになっていたんだー、なんて思った。

指は細くて、シワシワ。ETみたい。
思えば、今まで見てきたぽっちゃりしている赤ちゃんは、生後3ヶ月とか半年とかの子だったんだ。
産まれたばかりの子を間近でみるのは、これが初めてだ。

「ちゃんと爪まである」と思ってしまった。
ミニチュアではなく、本物の人間だというのに。

衝撃だったのは、へその緒だ。
想像していたのよりも、太いし、何より、この状態で、出産後の処置は完成ですか?と思ってしまった。
のちに、ポロリととれるもんだと知ったときはホッとした。

私は、産まれたてのその子を前に、どうしていいかもわからず、ちょん、と足に触れてみただけだった。
それから、写真を何枚か撮った。

姉の入院中は、毎日病院に通って、頼まれたものを届けたりした。
私は出産前のソワソワから解放されて、安心しきっていた。

そして、産まれてから5日後。楽しみにしていた退院日。

自宅に戻ってしばらくして、姉に頼まれた買い出しをして戻った頃に、姉は急にヒステリーを起こした。

何が引き金になったかは、よくわからない。

私の子に触るな!
キッチンに入るな!と言い張り、ご飯もいらない、という。
母にも物を投げつける。

入院中にも少しずつストレスが溜まっていて、初の子育ての不安、自宅初日ときたもんだから、色々な感情が爆発したのだろう。

ホルモンのなせる技、おそるべし。

これを上手に受け止められる旦那さんが、世の中にどれくらいいるだろう。

もともと情緒のアップダウンが激しいタイプでもある姉。出産直後のホルモンバランスの急激な変化からか、荒れに荒れた。

それでも、我が子の前では、優しい顔をしていたよ。

私も、姉のその状態を前に、色々な感情が処理しきれずに、それから何日かは、少しメソメソした時間もあった。

その後は、姉は少しずつ落ち着きを取り戻したけれど、それでも、通常より神経質でピリピリモードだった。

本人も無自覚で本能的に神経質だったのだろうか。

姉が1番、安心しているように見えたのは、弟が会いに来た日だ。
姉が子育てにまつわる質問を細々として、弟がスラスラと応える。慣れた手つきで、赤ちゃんを抱っこしながら。
さすが、子育て現役!

親は、子育てしていた時代が遠すぎて、ときに都合よく美化された情報や、古い手法のアドバイスをするし、指図しようとしたりする。

自分も子育てのことがわからなくて不安なのに、何もわからず、なにかと質問をしてくる妹。

姉は、現役子育て世代のリアルなアドバイスが欲しかったのかもしれない。

私は、
赤ちゃんの抱っこの仕方もわからなかった。
哺乳瓶をどれくらい赤ちゃんの口の奥に入れていいかわからなかった。
オムツの替え方も。

母と姉に教わりながら、
私も少しずつ、赤ちゃんのお世話をするようになった。

それにしても、どうしてこんなに世話が必要な状態で産まれてくるのか。
首はグラグラ、頭もフニャフニャ。
全身全霊、24時間営業でお世話しなきゃいけない状態なんて無防備すぎる。この子の身の安全は、我々の手にかかっているのだ!

母乳もミルクも一度に少ししか飲めないのね。
私は、どんな赤ちゃんも、哺乳瓶いっぱいの量を飲むものだと思っていた。

抱っこしているときに、万が一、
私の手がすべったりしたら、
転んだりしたら、、、
想像の先の、その恐ろしい結末までを絵にする前に、想像を断ち切る。

私は、抱っこするときは、必ずスリッパを脱いだ。滑って転んだりしないように。

それにしても、産まれたばかりの赤ちゃんて、本当にお猿さんみたい。あるときは、おっさんみたいだし、ときには小鳥みたいな声も出す。

うんちやおしっこも、いちいちが、重要な出来事だ。

お風呂タイムは、とくに可愛くて、お気に入りの時間だった。気持ち良さそうにお口をすぼめるし、最初のうちは、泣くこともあったけれど、本人も慣れてきたのか、ときには寝たまま入浴、という余裕たっぷりの態度だったり。

こっちを見て笑っているかのように思えても、こちらの顔はしっかり見えていないし、笑ってもいないんだ、なんて知らなかった。
知らなかったことが、いっぱいあることを知った。

途中から、母が帰った。実家で過ごしていた父がインフルエンザにかかったからだ。世話をする母にもうつるかもしれない。

子育てヘルプ人員として、頼りにしていた親も高齢になると、体力ないのだなぁ。そもそも、子が高齢出産だから、老体にムチ打ちながら子育て、という状況が加速していくのだなぁ。

母は帰った、姉は仕事に行く、で私と赤ちゃんと2人きりになる時間も多くなった。

とにかく、目を離すのが怖い。トイレに行く時も、ソワソワしながら、さっと済ませて近くに戻る。洗濯や掃除の合間にも、いちいち見に戻る。

泣き声が聞こえようものなら、何をしてても放り出して一目散に駆けつける。

デタラメな子守唄を聞かせなら、あやす。
子守唄の正確な歌詞やメロディーを忘れてしまった。いや、もともと知らなかったのかもしれない。

なかなか泣き止まないときは、焦る。
泣きやんで眠ったときは、私の腕の中で寝てくれてありがとう、安心してくれてありがとう、といちいち涙した。

あるとき、仕事と夜中の授乳とで、体力の限界が来た姉に代わって、私が夜中の授乳を担当することになった。

あまりにも寝息が小さくて、生きているか心配で。
部屋のあかりを消したまま、ベビーベッドの横に体育座りをして、次の授乳の時間まで、その小さな寝息を確認をしながら待った。

今は、寝息も大きくなって、ときにはいっぱしなイビキもかくみたいだから、たいしたモンだ!



帰国の時期が近づくと、寂しさ半分、正直ホッとした。
もう、これで、私がこの子を危険にさらす可能性はなくなるんだ、と。

帰国の日の朝は、涙することもなく、晴れ晴れした気持ちで、記念に写真を撮ってから日本を去った。
すでに、カメラロールにはたくさんの写真が残っていたけれど。


バンコクに戻ってからは、「あんな可愛い子が目の前にいた日は、もう過去なんだ」と失恋さながらに毎日メソメソしていた。

そのメソメソから、もう1年たつ。

相変わらず私は、毎日、毎日あの子のことを思っている。
親のことや弟一家のこと、お世話になった人のことは、正直、思い出さない日もあるけれど、あの子のことは思わない日はない。
朝から晩まで、何度も写真を眺める。

たった1ヶ月。

一緒にいただけで、すっかり心を奪われてしまうなんて知らなかった。

子育て体験ともいえない。
お金のことも、将来のことも、しつけのことも、何にも心配せずに、ちょっとお世話のお手伝いをした、というレベルなのに、こんなにも、心をもっていかれてしまうなんて。

一生に一度、産まれたての赤ちゃんのそばにいた思い出。
母になれなかった無念が少しだけ、慰められた。

バンコクに住んでいても、私は、専業主婦だから、いつでも帰国して会いに行けるといえば、そうだ。

それに、保育園にいれているとはいえ、姉は仕事と育児と手一杯。まだまだ身の回りの世話やヘルプが欲しいだろう。
まとまった期間を滞在して、手伝いをするのも悪くないかもしれない。

日本にいたら、私は、きっと1番呼び出し頻度が高いヘルプ要員になっていただろう。
身近な叔母になれたはずだ。

それでも、私は、そうしない。
あの子は、私の子じゃないんだから、と。
当たり前の事実を自分に言い聞かせる。

私は、姉の子も呼び捨てにしたことはない。

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