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あらかじめ追放された者たちのための小説七冊

 作家の岩井志麻子が「私は飛行機に乗っているのです。そしておまえのチケットはにせものだと指摘されて出て行かなくてはならないのです。飛行機はもう飛んでいるのに」というようなことを書いていた。直接的にはデビュー作が大ヒットして生活が激変したときの心情に関するエッセイではあるのだけれど、そうした感覚は、本が売れたみたいな経験をしていなくても、日常的に表現活動をする人間の多くが持っている。というか、宿命的な心もとなさへの対応策はそれをしつこく表現しつづけることくらいしかないから、それを持つ者の一部が文章や美術という手法を選ぶのである。「ほんとうはここにいてはいけないのに」という感覚はファクトでは消せない。論理や科学の領域ではない。文学と芸術しかつける薬がない。

 岩井志麻子のような体験をしたのではもちろんないが、私の「飛行機」のチケットも完全ににせものである。家に帰れば鍵はあかず、中には他人が住んでおり、職場へ行けばセキュリティにつまみ出され、友人知人は誰も私を覚えておらず、財布の中の貨幣にはわけのわからない記号が書かれていて、区役所へ行けば私の住民票はない。そういう感覚で生きている。たぶん生まれつきそういうたちなのだ。

 もっともわかりやすいのが外国に行くときで、パスポートチェック前後の意識がほとんどない。慣れていないわけではないのに、いちいち意識がからだから離れていく。もちろん外見上の動作は他の旅客と同じようにしているが(そうでなければ旅行から戻ってきていない)、最中は亡霊になってゲートを抜ける自分を見ている。もっともその感覚が強烈だったのは陸路でドイツからベネルクスを回ったときだ。列車が国境に近づくと軍隊めいたコートの役人がこつこつとこちらに向かって歩いてくる。そしてパスポートを要求する。ああ、もうだめだ。私はそう思う。彼らはこの旅券と私をけがらわしいもののように扱うだろう。私は他の捕虜と一緒にトラックに詰め込まれ、寒い寒いところで朝から晩まで穴を掘るだろう。そして早晩靴がだめになって足の裏から身体が腐って、四つん這いで自分が堀った穴に入るだろう。

 パスポートチェックの役人は三人いる。やけに整ったからだつきの、長身で無表情の男たちである。正面から突破したのではぜったいに勝てない。列車の中ではすべてが固定されている。彼らの不意をついて持ち上げて振り下ろすべき椅子はない。連行直前が最後のチャンスだ。パスポートを渡した瞬間から私を不法な者と判断するまでのわずかな時間、彼ら三人はその陣形を崩す。からだをかがめてその間をすり抜けるしかない。車両の隙間から飛び降りて死ぬ確率はどれくらいだろうか。

 もちろん私のパスポートは受理される。ドイツ人は総じて旅行者に親切である。役人は私の行き先を訊き、「まだ二時間はある、その駅では多くの人が降りるだろう、したがって今は景色を楽しむべきである」と言う。やさしい。通路をはさんだ隣の席の中国人カップルが突然チョコレートをくれる。知らない人は時々、唐突に何かをくれる。キャンディとか、古い傘とか、みかんとか。そちらが現実である。連行ではなくチョコレート。それが私の前に提示された事実だ。でも私は相変わらず連行を幻視する。そういうたちなのだ。チョコレートでは治らなかった。そういうわけで、あらかじめ追放されたような精神を持つ者につける薬のリストを以下に示す。

 多和田葉子『地球にちりばめられて』 近刊の中では一押しの放浪小説。日本が消滅した世界で行き場を失った日本人がスカンジナビア半島全体で大雑把に通じる人工言語を作るんだけれど、その話しかたの描写がすばらしい。「帰るところがない」感覚がわかる人はもちろん、外国語話者に取り囲まれているときの心もとなさとうっそりした快感に覚えのある人は一発でつかまれると思う。このリストの中ではわりと明るめの、おかしみを含んだトーンなので、その点でもおすすめ。

 小川洋子『密やかな結晶』 追われて隠れる、という感覚を完璧に描いた名作。圧倒的な暴力に見舞われた弱者たちが小さな小さな部屋に身を寄せあい、弱者なりの抵抗をしながら息をひそめているという、超暗い話です。でも私たちは圧倒的な弱者だし、忘却と喪失から逃れられない私たちの人生はもちろん超暗いので、それを美しく描くのはこの世の救い、善なる魔法であります。みんな読んだほうがいい。

 ポール・オースター『最後の物たちの国で』 ぜったいに逃げられない場所からそれでも逃れようとする感覚を完璧に描いた名作。上記の『密やかな結晶』と同じたぐいの世界を別のディティールで描いた作品で(小説家という人種は国も言語も越えて同じ部類の世界を描くことがある。別の井戸を掘って同じ水脈に当たっているという感じ)、ただし、こちらには逃れていく先としての「外部」がある。主人公は脱出のためのストラグルをやめない。ただしその「外部」には決してたどりつけないと、はじめに宣言しているのだけれども。

 柴田元幸責任編集「モンキービジネス」2010 Fall, vol.11, 『幽霊、影、分身号』 柴田元幸はエッセイにしばしば幽霊を登場させるんだけど(この人はエッセイにも空想的要素をばんばん入れ込んできます。セントラルパークで幽霊にとりかこまれてバリー・ユアグローに「怖い」と電話したりとか)、そのエッセンスを集めたような特集号。この幽霊というのは、私の個人的な感覚によれば「いるべき場所のない者」を外から見た状態なんだよね。いるはずのない者たち、いるかいないかわからない者たちという、幽霊。

 池澤夏樹『バビロンに行きて歌え』 このリストはいくらなんでも逃亡者に希望がなさすぎる、という人におすすめ。逃げた先でどうにかなると楽観できるだけの気力があるときに読むと元気がブーストされて良い。なにしろ不法入国した難民の青年がロックスターになるんだからね、いい話だ。

 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 その場にいてはいけない者が予定どおりいない者になるんだけど、べつに逃げようともしないという、私にとっては悪夢でしかない作品。しかもそれが美しいのでもうどうしようもない。私はどんなずるをしてでも殺されないぞと決意しているんだけど、それがしんどいこともわかっている。逃げるの、しんどい。いちゃいけないとわかっている場所にこっそりいるのはつらい。それなら逃げないで諾々としたがう、という選択肢がある(私はぜったいに選ばないけどな!)。その選択肢を自明のものとしている者たちの話です。

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