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今更ながらゲーム『THE LAST OF US PART II』レビュー

※『THE LAST OF US』及び『THE LAST OF US PART II』の物語の核心に触れています。

『THE LAST OF US PART II』は2020年にノーティドッグからPlayStation4用に発売されたゲームソフトで、『THE LAST OF US』の続編にあたる作品だ。前作から5年後のアメリカが舞台となっており、未知の寄生菌により文明は崩壊、「感染者」と言われる存在と対峙しながら、そこで生きていこうとする人々を描いたサバイバルアクションホラーである。主人公は前作でジョエルと供に旅をした少女エリー。そして彼女と敵対する存在の女兵士アビー。この2つの視点から物語は構成されている。

暗い、あまりにも暗いゲームだ。前作は娘を失ったジョエルが、エリーという少女を守りながら、アメリカを横断していくという物語で、最期にジョエルは世界とエリーを天秤にかけて、彼女に嘘をつきながら共に生きていくことを選んだ。結果、エリーの命は救われたが、世界は依然として光のない苦しみに包まれたままとなる。ある意味で『Part I』はメリバ的な英雄譚だったと言えるだろう。つまりそのラストは、多くの犠牲とジョエル個人のエゴによって成り立っており、前作において覆い隠されていたそのグロテスクな部分を『Part II』では執拗なほど描いていく。

ゲーム部分は「ワイドリニア」というオープンワールドとステージ型の中間くらいの作りになっており、前作以上に探索要素が強くなっている。基本的に武器も回復アイテムも少ない中でやりくりしていくゲームなので、そこら辺のリスクヘッジを意識しながら遊ぶ必要があるだろう。今作から追加されたアクションとして「回避」や「ほふく前進」があり、隠れながら進むか、あるいは真っ正面から突破を試みるか、プレイヤーの好みに合わせて様々な進め方を許容している。また、荒廃した世界を表現する情景の美しさ、雨や埃の表現、柵を飛び越えるモーション、銃に弾丸を込める挙動、そういったビジュアル面は非常に精巧な出来となっていて素晴らしい。

私がこのゲームを最初にクリアしたときの感想は「クリアできて嬉しい」でも「感動した」でも「達成感があった」でもなく、「ようやく終わった」だった。敵対する存在同士であるエリーとアビー両者をプレイヤーに操作させることにより、どちらか一方に感情移入することを阻止した設計は、暴力の連鎖や分断という現在進行形で世界に起こっている問題を象徴的に映そうという試みから行われたものだろう。暴力描写はどぎつく、物語は前作以上に陰鬱だ。最期に用意された二人の対決はひたすらに悲しく、ただ徒労感が残るのみ。プレイヤーの「ゲームを進めたい」という気持ちを阻害するようなこれらのストーリーテリングは、同時に「敵」として設定されるすべての存在それぞれに事情があり、人生があるのだということを語りかけてくる。つまりは「復讐の無意味さ」を謳ったゲームなのだ。復讐の無意味さ。映画や小説といったフィクションにおいてこすり倒されたテーマ。だが、実際に自身が「プレイヤー」として物語に介入しながらその果てしない憎しみの連鎖を追体験することとなると、生々しさはより際立ち、他の媒体では味わえないほどの強い「嫌悪感」を催すこととなる。だから私はボロボロになりながらも戦いをやめようとしない二人を見て、「もうやめてくれ」と声に出していた。それほどまでにこのゲームは怒りと憎しみに満ちており、ゲームをクリアしても徒労感ばかり残るのだ。

だからこそ、少しだけ、ほんの少しだけ相手に歩み寄ることで、相手を、そして自分自身に許しを与えるラストに私は胸をなでおろす。マクロな視点で言えば分断や差別、いまこのときも起こっている戦争についての物語であり、もっと身近なことで言えば学校や会社、家庭の中で人と人が交わる際にどうしようもなく起きてしまう「摩擦」についての物語。その怒りを、憎しみを、許せないという気持ちを、ゲーム内で追体験することにより、その果てにある、ひたすらに悲しく虚無な光景をこのゲームは見せようとしたのだ。
エリーの回想で出てくる「一生そのことは許せないと思う。でも……許したいとは思ってる」という台詞は、このゲームで伝えたかったことを集約している。怒りはある。憎しみもある。だが同時に、私たちの心には常に感情に翻弄されることに対する葛藤があり、相手を許したいとも思っているのだ。気が滅入るほど陰鬱な雰囲気に覆われたこの『Part II』が伝えたかったことはそのことであり、だとするならば、まずは自分の中にあるその目を背けたくなるような醜い感情と向き合わざるを得ない。

以前、本ゲームの最高難易度「グラウンド」をクリアした際、記念に書いた感想レビュー。陰鬱で、息が苦しくなるほど憎悪に満ちた物語、さらに過剰な暴力表現、しかしこれら目を背けたくなるようなそれぞれのパーツには、製作者であるニール・ドラックマンが、仮に前作のファンから怒りを買おうとも伝えたかったメッセージが込められている。ゲームはインタラクティブな側面があり、そのためプレイヤーはそのゲームに慣れれば慣れるほど、敵を「敵」として、味方を「味方」として、アイコンのように扱いながら遊ぶこととなる。おそらくニール・ドラックマンはそういった遊ぶ側の心理をよく理解しているからこそ、それを逆手に取るようなゲームを作ることで、感情移入を阻害し、徒労感を演出しようと目論んだのだろう。それ故に本ゲームは発売後賛否が分かれたわけだが、私はここで描かれた泥臭い人間ドラマが好きだった。極限まで「憎しみ」の感情を描き、同時にその裏にある「愛」を捉えようとしたこのゲームが私は好きなのだ。みんなに遊んでほしいとは思わない。思ったこともない。だがこのゲームは、そんな愛や憎しみという感情を不器用に感じるほど真摯に描こうとしており、そこに私は胸打たれるのだ。

今年U-NEXTで配信されたドラマ『THE LAST OF US』のヒットを受けて、すでに続編の製作が決定しているそうだが、ドラマ版『THE LAST OF US PART II』は果たしてどんな物語を見せてくれるのだろう。配信が楽しみだ。にしても復讐や暴力はダメというメッセージを込めたゲームなのに、それを何周も遊んでる私って一体。

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