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[再掲]多様性を孕む評価のあり方としてのデザインリサーチ、フィンランドでの留学経験から

この投稿は、以前個人のブログ投稿を加筆修正したものです。2012年当時、フィンランド・アールト大学大学院IDBM(International Design Business Management)コースでの留学体験で驚いた「評価」について。

多様性を孕む評価のあり方、フィンランド留学から - 建築・デザイン・まちづくりを思考する - ケンチククラブ
http://pnch.hatenablog.com/entry/20121225/1356466391

アールト大学大学院のIDBMコースは、ヘルシンキ工科大学・芸術大学・経済大学が合併される以前から、ひとつの大学となることを前提とした領域横断的なプログラムを実施していました。イノベーションを国家戦略と据えたフィンランドでは、デザイン思考を実践する人材の教育に注力し、その教育プロトタイプとして生み出されたのがIDBMプログラムです。各大学の学生らが受講するこのプログラムでは、当時も今も異なる専門性を持つ学生が混在するグループを作り、さまざまな企業が抱える社会課題の解決に取り組みます。

私が在籍した当時はすでに大学が合併されて数年が経っていましたが、名物授業として横断的なプロジェクトは残っていました。受講生は数々の大国出身者と国際色豊かで、ストレートに学生だった人は半数、働きながらか退職を期に大学院へ入学した人が半数という具合です。私が参加したプロジェクトはと言うと、私を含めてデザインを背景に持つ学生が2名、エンジニアから2名、ビジネスから1名でチームを組み、TOYOTAヨーロッパのKANSEI Designチームから与えられた課題に対して、多様なアプローチで10ヶ月もの時間を掛けて取り組むことになりました。さて、こんな多様な人びとが集まって授業や課題に取り組む時に、どのように議論を行い、評価をされてきたのでしょうか。ここから当時のブログを引っ張りながら思い出してみます。

フィンランド郊外都市ラハティで生活の質を高める移動式娯楽サービスからの提案が求められた授業。2週間で3回程度のアイディエーションやアイデアの統合がなされるなかで、レストランデイを参考にしつつ、夜の長いフィンランド最大の娯楽である映画を自宅や空き家で放映できるホームシアターデイの提案。

(2013.3.6) サービスデザインから考える地方都市の豊かな生活、フィンランドの場合。 - 建築・デザイン・まちづくりを思考する - ケンチククラブより

共感を基礎としたフィンランドの評価方式

アールト大学に留学して来てまず驚いたことに、どのようなプレゼンテーションでも誰もが基本的にポジティブに評価されることです。講師や受講生誰もがフラットに評価し合う授業がとても多く、内容・表現・切り口なんでもいいので褒めれることがあれば必ず褒められます。本筋とは関係ないコメントも出るのですが、それらも含めて意見を言いやすい(批評しやすい)環境を教授がつくっているのです。なにせ年齢問わず講師は机に腰掛けたりながら「君たちのプレゼンは○○がおもしろいよね、君はどう思う?」「僕は△△に共感したよ。僕の国では〜」なんて感じです。日本ではマイナス評価ポイントを探して、時には重箱の隅をつつくような辛辣な評価を教授から指摘されることも…。生徒がプレゼンの場で涙ぐむなんていう場面も少なくはありません。一体どうしてこんなにも違うのでしょうか。

映画ストリーミングサービスが取り沙汰されていなかった(気がする)時代に、DVDや放映キットのレンタル、インビテーションやウェブサイトなどをデザインした。

(2013.3.6) サービスデザインから考える地方都市の豊かな生活、フィンランドの場合。 - 建築・デザイン・まちづくりを思考する - ケンチククラブより

欧州の成り立ちと許容性の関係

ひとつの理由に、欧州的な多様性の文脈があると思います。工業化以降、大量生産ができるようになり、これまで以上のユーザーにたくさんのプロダクトを届けることが出来るようになりました。そのため、標準規格というものが生まれ、モデルとなる人格や寸法が製造過程において重要となってきました。アメリカ人インダストリアルデザイナー、ヘンリー・ドレイファスは『ザ・メジャー・オブ・マン』という人体測定の研究結果を発表し、なるべく多くの人にリーチしようとする試みを行い、のちにユニバーサルデザインへとつながっていきます。

アメリカナイズ、標準化、グローバル化は雑多な世界から理想を抽出しそれを適用させるよう努めて来ました。一方、欧州ではEUとして集団性を高めていく中でそれぞれの文化や能力を有した集団の摩擦を回避する必要がありました。同時に異なる環境のもとで様々な思想や活動を寛容する環境を構築する必要があったのです。つまり、違う文化圏の中で共有できるものを見つけていく、そういう過程が欧州では評価に寛容さが含まれていったのではないでしょうか。

今見るとめっちゃザルな提案だったけれど、複合的にデザインの役割を表現していたことで教員や生徒たちからやたらと評価の高かったサービスブループリント。

(2013.3.6) サービスデザインから考える地方都市の豊かな生活、フィンランドの場合。 - 建築・デザイン・まちづくりを思考する - ケンチククラブより

共感の読解能力を高めるフィンランド教育

翻って、授業の評価も同様のことが言えそうです。欧州諸国だけでなく、さまざまな国から集まった学生、さらにデザイン・エコノミクス・エンジニアという異なった学問領域が集まったIDBM。多様性をどう寛容していくのかイノベーションの必要条件であるとさまざまな授業でも繰り返し話されてきました。その時に、減点方式で、ある標準化された評価から減点していく方法ではこの差異を許容することができないのです。

そのため、授業で学生たちは自信も「イイね!」をさまざまな領域から獲得できるように務め、他者のプレゼンを評価することで自信の共感読解力を高める(=多様な価値観を認める)教育を受けているのです。共感を表明することで批評性を学生が身につけることを狙っているのでしょう。国際化を狙うアールト大学らしい、欧州らしい評価方式の授業は学生も自信をつけるのに繋がり、授業の雰囲気も非常に良いからもその有効性が感られます。

社会包摂のイノベーションを目指して

少子高齢化が進み、人口が縮小していくであろう日本。今後、移民政策が本格化すればなおさら、他者への共感能力や寛容性が求められるはずです。つまり、日本に求められているイノベーションとは、核心的な製品開発にとどまらず、そこから派生する社会的相互関係(ソーシャル・インタラクション)や社会包摂(=ソーシャル・インクルージョン)の再設計であると私は考えています。

フィールドに赴き、さまざまなリードユーザーの調査から価値観や行動などから洞察を見出していくデザインリサーチもまた、多様性を孕む評価のひとつです。日本だから生み出すことのできるイノベーションについて、留学経験を改めて思い出しながらプロジェクトに取り組んでいきたいなと思います。

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