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気がついたらなんかすごい人たちと写真展してた話

こんにちは、写真いちねんせいのまつたくです。
題名にも書きましたが、いつの間にか写真展に自分の写真を出すようになっていました。

こんな風に。


今回は総括というか、まとめというか、備忘録というか、まぁとりあえず余韻が残ってるうちに認めておきます。写真初心者のぼくが、写真展に出展することになったアレコレを。

始まりは昨年2022年の12月頃でした。
ぼくは、別所さんのオンラインサロンに参加しているのですが
そこで、別所さんから「写真展、やりましょか」って募集がありました。
原文ママです。ほんとです。約40名で渋谷のギャラリー・ルデコで。
テーマは「壁」

気持ち的にはすぐにでもやりまひょ!って言いたかった。
でも、ぼくには他人様に見せることができる写真はひとつもなかった。

募集締め切りがお正月明けくらいだったので、しばらく考えてみることにしました。単純に写真展やってみたいという好奇心からくるワクワクと、「でもお前の写真があの偉大なお方達と並ぶんやぞ?恥ずかしくないのか?黙ってROM専やっとけ。」という いつもぼくの心の中にいる『でもでもネガティヴモンスター(略してDNG:ヘビー級)』が交互に入れ替わり、悩みに悩みましたが、結局は好奇心と少しの勇気に頼り参加することを決めました。

開催時期は4月25日から4月30日。
参加決定したのがお正月明けだったので、準備期間は3ヶ月ちょっとでした。趣味程度の写真しかやってこなかったぼくにはあまりに短期間でした。(サンキュールデコ展は18日前に決定したと聞きましたので、かすみの除去をMAXにしてもぼくの短期間体感は かすむでしょう)

その後、写真展に関する説明会が何度か開催されましたが、
そこでも何度も心を砕かれることになります。(笑)

そもそもぼくはカメラを所有している期間こそ長いものの、現像やプリントなんてまともにやったことがなく、A4やA3のサイズ(ノビ?)、紙に光沢紙やマット紙などがあることすら知りませんでした。しかし、説明会ではそのような言葉が飛び交い、私は知ったかぶり勉強法を使うしかありませんでした。みんなの前ではへぇーとか相槌を打ち、終了後に半泣きになりながら説明会中に出てきた単語を殴り書きしたメモからgoogleに聞きまくるアレです。
みんなはプロの写真家。ぼくはただの写真好き。
怖い、怖すぎる。怖すぎて風も語りかけません。
何度「あ、すみません、やっぱぼくには無理でした、やめます」と言いそうになったか。。。
本当に怖かった。

でも、ぼくですら知らないぼくを妻は知っていました。

「参加表明しちゃってるんやからやるんやろ?」
「いつもなんやかんややってるやん。できるやろ。」
逃げ道は無くなりました。

何度も何度もgoogle先生に聞き、写真について考える時間を増やし、
とにかく壁の写真を撮り続けました。テーマは壁だったので、とりあえず当時のぼくにはこれしかできることがなかった。とにかく写真の枚数を増やし経験を積むこと。質なんてよくわからないので、量を撮ること。

ひたすらに写真を撮り、写真について考える時間を増やすことで、密度を高めようと思いました。

ちょうどこのころ、2つの出来事がありました。この2つの出来事でぼくは、写真に対して、写真展に対してワクワクの方が勝ち楽しみな気持ちの方が大きくなっていきました。

まず1つ目は、写真展の相談会です。進捗の確認や、困っていること、悩んでいることを別所さん含めた運営の人たちに聞いてもらえる機会がありました。そこではもちろん質問などもしたのですが(それはそれは丁寧に教えていただきました)、カメラの話や撮った写真の話で盛り上がりました。「写真」はSNSでも観ることができますが、「写真を撮った時の話」はSNSで語られることは多くありません。でも、写真が上手な方の裏話を幸運にも聞くことができました。聞いてみると、意外と「たまたま撮れた」とか「何日も待ってからやっと撮れた」のような話が多く、
こんなに上手な人たちでも、運に左右されていたことを知りました。
てっきりぼくは、上手な人たちは軽く準備をしてパッと撮った写真が何万ものリツイートをされているのだと思っていました。皆さん運に左右されつつも、待ったり何回も挑戦することでいい写真を撮られていることを知りました。

そして2つ目は写真家の幡野広志さんのワークショップに参加したことです。

詳しくは以前のnoteに書いていますが、写真はたのしいってことを教えてもらいました。好きなものを真ん中で撮る。見たものを真ん中で撮る。
幡野さんは3%の偶然と言って、下手な人でも3%くらいはいい写真があると言っていました。100枚撮ったらいい写真は3枚くらいと。だから枚数多く撮るんですと。

この2つの出来事からぼくの写真はたぶん変わりました。

すごい人でも、運に左右されるのだから会社員で日中の時間が取れないぼくには
ある程度の諦めが必要だということ。
でも、それで写真を撮ること自体を諦めるのではなくて、
その代わり日常の写真をたくさん撮ることのほうが大事だと思いました。
参加を決めた時は一張羅の写真が何枚も必要だと思い込んでいましたが、
一張羅は1枚にして、もう1つは妻の写真。
ぼくの大切な日常です。

お待たせしました。出展した写真をやっとお見せします。
これはぼくの一張羅的な写真です。
ずっと記憶にある写真。

19歳の時、大学のサークル活動でカンボジアの田舎の村に行った。 そこでは驚くような星空が見れた。3年後、カメラを買っていたぼくは、 社会人になる前にもう一度あの村に行き、星空を写真に撮ることにした。 3年前は電気もガスも水道もなかったあの村へと向かう。 シェムリアップの空港からは約250km。 でもその間、電線が途絶えることはなく、あの村の家のコンセントまで 電気が来ていた。たった3年間で大きく発展していたことに驚いた。 少しずつかもしれないが、大きな壁をどんどん乗り越えていた。 学生時代の、高い機材ではなかったけれど この写真はぼくの心にずっと残る写真だと思う。

実際に展示したキャプションより

一方、妻の写真は ただの何気ない瞬間の写真です。
人物写真ではあるけれど、ポートレートではない写真。
背景はボケていないし、梅の写真を撮りに出かけたのに梅は一つも写っていない写真。ものの見事に花はありません(華はあります)。
でも普段ぼくに向けてくれる表情を残せた写真だと思っています。

妻だ。彼女もまたぼくにとっては壁かもしれない。 ポジティブな意味の壁だ。守ってくれる、寄りかかれる。そんな存在だ。
彼女とも19歳の時からの付き合いだ。 もう8年ほどの付き合いになるが、喧嘩はあまりしない。 ぼくのやりたいことを結構やらせてくれている。
先日はライカを買う許可をくれた。買ってはくれなかったがいい妻だと思う。 こういうと流石に怒られるかもしれない。 この写真展に出展している人たちは、素晴らしい写真を撮っている。 ぼくには真似できない素晴らしさがある。 でもこの妻の写真は、ぼくにしか撮れない。 下手だし素晴らしい写真ではないけれど(妻ごめん)、 ”いい”写真だと思っている。

そういえば、ぼくたちの結婚式では友達がたくさんの写真を撮ってくれた。 笑顔の写真も、半目の写真も、泣いている写真も、ふざけている写真も、 大切な友達に囲まれている写真も すべて”いい”写真だった。 大半はスマホの写真だし、写真の勉強をしている人の写真じゃないけれど、 それでも”いい”写真だった。 写真には被写体との関係性が現れると聞いたことがあったけど、 本当にそうだと実感した。 これからも”いい”写真をいっぱい撮りたいと思う。

実際に展示したキャプションより

いかがでしょうか。ほんとに大した写真ではないですよね。
でも、妻の写真はAIには作れませんし、多分、ぼくにしか撮れない瞬間だと思っています。

なぜ、一張羅の写真だけではなく妻の写真を選んだのか。
それについて書かなければなりません。

ぼくの経験ですが、
カメラを買うと"すごい写真"が撮りたくなりました。
でも、思ったように撮れない時期が来ました。
そこで自分には才能がないと「でもでもネガティヴモンスター(DNG)」が現れました。
カメラを持ち歩かなくなりました。
でも、写真はたのしくて簡単だということを教えてもらいました。
構図とか特に気にせず、ちゃんと見たものを真ん中で撮ればそれで"いい写真"になりました。
それでいいんです。それで。
写真をやっている人は、自分が何を撮りたいのかわからなくなる時期がたぶんあると思います。そんな時にぼくの”下手だけどいい写真”を思い出してほしい。
これから始める人には、難しく思わないでほしい。(お金はかかるけど)
そういう思いがあって、妻の写真を展示しました。
まるで写真展に参加を決めたころの自分にも言い聞かせるように。
砕かれてるのは心ではなく壁なんやで。って。
あんたの写真見て、キャプションも一緒に写真に撮って帰った人もいはるんやで。
って。
今のぼくは過去のぼくに対して「べた褒めポジティヴモンスター」でありたい。(気の利いた略称思いつかんかった)

つらつらといろいろ書いてきましたが、
大事なことを忘れていました。
一緒に展示してくれた皆様、ルデコの皆様、google・博報堂の皆様。
そしてぼくの写真を見てくれた皆様。
クソお世話になりましたあああ!
いや、照れ隠しはこれくらいにしておきましょう。
本当にありがとうございました。なんと感謝を伝えればよいか本当に難しいです。
写真展で過ごした時間は、すごく美しい時間でした。
浜辺でキラキラした貝殻を拾い集めるようなその時間で、
ぼくは結構成長した気がします。
これからも一緒にいい写真を撮り続けましょう。
もし悩んだら、助け合いましょう。
もっと深く悩んだら、苦しくなったら、
誰かに「所詮写真だよ」と言ってもらいましょう。

また会いましょう。もちろんリアルで。コロナの壁も越えて。


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