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閉鎖病棟入院2日目「メンヘラになる経緯を本気出して考えてみたらそもそも自分のせいだと気がついた」

※投げ銭です。全文無料で閲覧できます。※

※この話は実体験を元にしたフィクションです。登場する人物は全て仮名です。※


 2日目にして早々に鬱、そしてホームシック。

 ロビーのほうからひとの話し声が聞こえてきてそれがとっても怖くてイヤです。
 誰かの話し声、笑い声、そういうのぜぇんぶ疎外感につながります。
 自意識過剰?そうかもしれない。でも思ってしまうもんは思ってしまう。
 思考が暗くて狭いほうへズンドコズンドコドッコイショ。


 仕方ないので午前中は全部寝て過ごすことに。
 昼ごはんの時間に起きて、ご飯も早速病室で食べるというTHE・病人体験をし、寝るのも飽きたので数冊持ってきていた本を読むことに。

 本を読んでいると向かいのベッドが忙しなさそうだったので、どうしたのか森本さんに訪ねてみると、なんと今日から二泊三日の一時外泊だそうで。
 閉鎖病棟に入院する方は病状にも寄りますが「院内のみの一時外出」→「院外OKの一時外出」→「一時外泊」→「退院」、という流れが一般的だとのこと。
 二泊三日ということはそろそろ退院も近いのかもしれません。

 キッチリ荷物をまとめてお化粧もした森本さんの元に旦那さんと思われる男性が迎えに来ました。
「お気をつけて~」と挨拶してお見送り。


 本を読み終えてもどうにも鬱屈した気分が晴れないので、そうだよナースステーションがあるじゃんと思い出し頓服薬を貰いに。
 頓服薬と一緒に「ひとりで病室にいるよりロビーにいたほうが気が紛れるかもよ」というアドバイスも頂きました。
 人の声がイヤだから病室いるんですが……でも反論する元気もないし従うことに。


 ロビーで日記を書いているとレンさんが話しかけてくれました。
 そのまま少し歓談。
 レンさん、バンドを組んでてボーカルをしているとのこと。ちゅ、ちゅーがくせいなのにすごいやぁ……。
 ただ、そうやって遊ぶよりもっとお金になることがしたいと。
 早く親元を離れたいといいます。いろいろ、事情があるようです。
 私も離れられるものなら離れたいです。いろいろ、事情があるのです。

 病棟内放送でレンさんが呼ばれ、病室から出て行くと入れ替わりで鈴谷さんがやってきました。
 ちょっとオーラが灰色です。会釈だけしてお互いに関せず。
 暇なのでMDプレイヤーで音楽を聞いてました。奥田美和子さんのCDを焼いたMD。とっても染み入ります。


 窓の外では家の基礎を作っているのが見えます。
 そもそもなんで私ここにいるんでしょう。今日は大して書くことがないので早いうちに書いておこうと思います。

 そんなに楽しくないのでいろいろとあっさり書いてます。


 遡ること12年前。ピカピカの小学校1年生。

 そこでクラスメイトのオトコノコAくんからいじめを受けます。いじめというか、ちょっかい、だったのかもしれないです。
 帰宅時に私は幼稚園のころから仲の良いBちゃんと一緒に帰っていたのですが、Aくんはなぜか私をBちゃんと帰らせまいとするのです。
 一緒に帰りたい私は泣きながら「今日は具合が悪いから誰かと帰らないといけない」と嘘をつきました。
 するとAくんは「具合が悪いなら朝の出席確認のときに具合が悪いと言っているはずだ」と言い、わざわざ保健室にそれを確認に行くのです。
 あっという間に嘘はバレます。それでも、私は毎日嘘をつき続けました。極稀に騙されてくれるからです。


 そのうち私の嘘はいろんなことで嘘をつくようになりました。
 もともと本や物語に親しんだ妄想癖のある子どもで、プライドも高かったので嘘に騙されてくれる甘さにおぼれてしまったのです。
 私のつく嘘は、「●●クンから告白された」とか、そういうくだらない、でも確実にバレて誰かを困らせるような嘘です。
 おかげでゆるやかに、ゆるやかに孤立していきました。
 愚かな子供です。

 時は流れて小学校5年。
 学年でも問題児と言われるCさんに目をつけられた私は「友達だから」を免罪符に、奴隷のような扱いを受けていました。
 それでも友達だから、と、最初は付き合っていたのですが、人間だれしも奴隷扱いなんて限界がきます。
 Cさんから離れた私はいろんな噂をたてられ、もともと孤立ぎみだったのにあっという間に本格的に孤立していきました。
 嘘つきで嫌われていた私です。かばってくれた子なんていませんでした。

 この頃の私の嘘は家族に矛先を変えてました。
 今日は●●ちゃんと遊んだ、とか、クラスでこんなことが流行ってる、とか。
 もちろん全部嘘で、小学校五年の途中から卒業までの一年半、クラス替えもないので私はずっと本を読んで暮らしてました。
 しかもこの嘘は両親にバレていたようで、私は頻繁に担任に呼ばれ、心配した母親から学校に連絡がきたということを聞かされます。
 本当に、愚かな子供でした。

 その後中学ではそれなりに友達もでき、Dと仲良くなります。
 ただ、このDとその取り巻きに裏で陰湿ないじめ、といいますか、見世物のような扱いを受けていると知り愕然とします。
 丁度インターネット普及期で、簡単にHPが作れるサービスが出来てきた頃です。見世物サイトみたいなのを作られていたとか、いないとか。
 それを実際やっていたかどうかは確認していないので知りません。
 でも、わざわざそれを私に言ってきた子も、実際Dとその周囲が本当にしていたにしても、私には恐ろしくてたまらなかったです。

 中途半端に教育熱心な両親は、中学に入ってからテストの点数ばかり気にかけてそれもストレスでした。

 そんな中、学年でも美少女として有名で絵の才能があり、しかしそのせいで親の重圧とストレスで精神的に若干歪んでいた須藤ちゃんと出会い、友達になります。
 若干歪んだ彼女はなぜか私に「護身用」と言い、カッターを一つプレゼントしてくれます。
 私はその「護身用」のカッターで初自傷をしました。
 どんどん酷くなっていく行為は隠すのも大変で、Dやその周囲には格好のネタ提供になっていたようです。でもやめられなかった。そんなものです。

 それでもなんとか私立の進学校に進んだ私ですが、そこで沢山の友達が出来たことで逆に過去のいろんなトラウマが出てきてしまいます。
 更に追い打ちをかけるように、実力より頑張りすぎたところに行ってしまったが故、勉強も全然追いつけません。

 結果、完全に精神を病んでしまい、学校を休学の後退学。
 病院通いをし、現在に至ります。


 さて、思い出話はここまで。

 両親が揃ってやってきました。
 足りないものはないかと言われ(本を頼んでおきました)、少し話をして帰宅。疲れます。
 鈴谷さんが話しかけてきました。優しそうなご両親だね、とのこと。
 テストの点数が悪いと無視したり殴ったりしてた親なんですけどねぇ……という言葉を飲み込み、曖昧に笑っておきました。

 レンさんならなんとなくこういうのわかってくれるんじゃないかな。
 と、思うのは甘えなのかもしれないですね。この期に及んで年下に甘えるとはなんというクズ。


 そういえば診察があるということだったのに呼ばれないので再度ナースステーションへ行くと、なんでも担当医が忙しいとのことで明日へ引き伸ばされてしまいました。
 仕方ないので先ほど聞きそびれた、外の友人(須藤ちゃん)へ手紙を出していいかを訪ねてみたところ、私は今のところそういう行為は禁じられていないとのこと。
 明日の診察で須藤ちゃんが見舞いにきていいか確認してから手紙を書くことにします。


 そしてロビーで読書をして時間を潰し、夕飯。
 雑魚とわかめとキャベツのサラダ……不味いです。
 なにをどうしたらこんなに不味いのか。食べ物への冒涜かというぐらいの不味さ!
 仕方ないので白飯にふりかけをかけてあとは食べられそうなものだけ食べました。肉ばっかり。太りそうです。


 昔のことを思い出して脳みそが疲れているのか、今日はなんだかとても眠いです。
 ぐっすり眠りたい気分です。

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