idanamiki

『生活の批評誌』の編集長。 1993年生まれ。京都市在住。https://seikat…

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『生活の批評誌』の編集長。 1993年生まれ。京都市在住。https://seikatsuhihyou.hatenablog.com

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かんたんに連帯しちゃえるわたしたちの正しい後悔のために

※この文章は、2019年9月に私が発行したzine『シスターフッドって呼べない』の「はじめに」にあたるものだ。これから私が書き、発信していくことの前提は、少なくとも当分の間はこの文章にあると思われるため、ここに転載する。(『シスターフッドって呼べない』は完全手売り販売・限定100部であるため、ここに掲載することには多くの人の目に触れさせるためにも意義があると判断した。) わたしが、彼女たちとの連帯を語るとき 女として生きることの生きがたさを、言葉にしはじめたのは、いつか

    • 能登半島ボランティア活動レポート(2/11〜2/15)

      2024/2/11〜2/15、能登半島地震で被害を受けた地域の災害ボランティアに参加しました。 石川県小松市で生まれた私も、何度も足を運んだ能登半島。とりわけ父が生まれ育ち、祖父母が暮らしこよなく愛した珠洲を襲った甚大な被害は、ニュースで見るたびに胸が苦しくてたまりませんでした。 祖父母はこの2〜3年に亡くなっていて、珠洲には2人が残した一軒の家のみ。倒壊は免れたものの、隣家はつぶれ、家の中は家具が倒れ、ものが割れ、住める状態ではありません。 災害ボランティアとして民間の支援

      • 『シスターフッドって呼べない 2』を発行します

        私は大変だった。そう口に出してみたら、やっと見えてきたことがあった。 私の中にある、女を憎み、女を遠ざけ、女を突き放してきた「女ぎらい」の歴史。フェミニストとして生きるためには、足早に「シスターフッド」を語るのではなく、なによりこの自分のミソジニーと正面から向き合わなければならないと思った。 だから私は、女ぎらいの記憶の断片を書き起こした。それらを「ミソジニー」という一言でくくって、2019年にzine「シスターフッドって呼べない」を作った。 フェミニストこそ、自身のミソジニ

        • 感想の練習3:映画「アシスタント」

          公式サイト https://senlisfilms.jp/assistant/ 敬愛する冬野梅子氏がパンフレットのイラストを書いているとかで知り(あっ!パンフ買い忘れた!)、その後「ウーマントーキング」を観た時予告編を見て、面白そうだなと思って観に行ったのだった。 観る者を引きつける、 緊迫のリアルタイムスリラー。 宣伝のこの文句を見て、「スリラーだって!怖そう!」と半ば怯えて劇場に入った。映画会社の新人アシスタントの単調で息苦しく抑圧的な一日を淡々と、余白多めに、静か

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          感想の練習2:『あちこちオードリー』等

          「あちこちオードリー」(2023年6月13日放送回)にネプチューンの堀内健、ホリケンが出るという。私は一週間そのことを楽しみにしていた。 中学3年生の頃、ホリケンのファンになった。きっかけは「リンカーン」の企画「パイレーツ・オブ・ギャビアン・呪われた9人の海賊達」だったろうか。『パイレーツ・オブ・カリビアン』のパロディの設定で、ホリケン率いるギャグ芸人が次々にギャグを披露する企画。場の中心にたたずみ、へらへらと、手足をけだるくたるませながら、意味不明なことを叫ぶその姿が、か

          感想の練習2:『あちこちオードリー』等

          感想の練習1:『里山通信 0号』等

          最近、地元である北陸、とりわけ石川県のことを考える時間が増えた。 石川県の片田舎、最寄駅まで片道不可能な場所に生まれたという出自は、私の中ではかなりアイデンティティの大部分をしめていて、その分都会育ちの人、とりわけ東京生まれの人への妬み、嫉みは深刻なものがあった。いまだに東京に居を構えようとする友人に対しては「やめといたほうがいい」などと根拠のない出過ぎた忠告をしてしまうし、誰かに対してなんらかの抵抗心を抱く時も、「そんなこと言うけどあなたは東京育ちじゃないか」などという論

          感想の練習1:『里山通信 0号』等

          緊急避妊薬の思い出

          妊娠をめぐる自分の身体について誰かにちゃんと教えてもらえたことがなかった。 『フェミニスト現象学』(2020,ナカニシヤ出版)で宮原優さんが、”生理になると急に「妊娠できる身体になったのよ」と説明されるが、まともな性教育がないままにそんなこと言われても恐怖しか与えないのではないか”というようなことを書いていて、すごく納得した。例にもれず私のかつての教師たちも、生理という不条理をそのフレーズ一つで押し切ろうとしていた。その言葉の先はなにもなく、いつも尻切れていて、「自分は妊娠

          緊急避妊薬の思い出

          「聞く」映画

          小森はるか監督『空に聞く』を見た。東日本大震災の直後、2011年12月から約三年半、「陸前高田災害FM」でラジオのパーソナリティを務めた阿部裕美さんを撮ったドキュメンタリーである。小森さんは『生活の批評誌』no.4で取材させてもらった瀬尾夏美さんが一緒にユニットとして活動されている方で、以前からよく名前をお見かけしていた。作品を見たのは初めてだ。 見る前は、現地で活動するラジオパーソナリティの女性の「伝える」さまを撮る作品なのだと思っていた。震災後の現地の現状を、今の心境を

          「聞く」映画

          「破裂」に生かしてもらうこともある

          熱湯を入れたマグカップが今にも弾けて割れだすような気がしてしまう。 ルピシアで買った「黒文字和生姜茶」を入れた、ノンタンのイラストが書かれた白いマグカップが突如として。まさに今湯気が立つそれは実は音もなくミシミシと体積を膨れ上がらせている最中で、手を触れるやいなやそれは一瞬で弾けて粉々になってしまう。破片のひとつやふたつが手に刺さる。今の私はそれを知らないだけ。 そういう妄想が止まらない。と言うと、その殺伐とした状況ゆえに「大丈夫?精神的にしんどいの?」と思われてしまいそう

          「破裂」に生かしてもらうこともある

          「普通の人でいいのに!」から考える、「優しさ」と、愛おしき三文芝居ついて

          いうまでもなく衝撃的だったこの作品に対して、流れてくる感想をちらちらと眺める。「趣味も合わない、話もすれ違う「ヒロくん」と一体どうしてみこは付き合えるの?」という”真っ当な”疑問や、「なぜ今の時代はヒロくん的な気の合わない男のような人としか出会いがないのか?」などの”良心的な”投げかけが目立つ。まあそりゃそうだなと納得する一方で、その度に違和感があった。 そのどれもが、程度の差はあれ、”「ヒロくん」という存在が彼女にとってネガティブなものである”ということが、前提にされている

          「普通の人でいいのに!」から考える、「優しさ」と、愛おしき三文芝居ついて

          ひきつがれないもの

          「おばあちゃんは正直な、今の女の人みたいに権利とか平等とかいうの、ちょっとどうかな〜って思うとこあるげん」 「やっぱり男と女で得手不得手っていうのはあるやろ。男は力仕事。女は細々(こまごま)したことに気ぃつくやろ。それは、どうにもならんことやとも思うんや」 祖母ははっきりした口調で、電話口でそう言った。張りのある声だった。病気だと思えないくらい。病室から抜け出すのにも体力がいっただろうということに気がついたのは、この電話から一ヶ月が経った、この文章を書きながらだ。 私は

          ひきつがれないもの

          極私的・新型コロナ関連”憤り”リスト(〜20200412)

          政府の愚策投下のペースがとてもついていけないくらい凄まじいので、ここ1~2か月で”憤ったこと”を覚えておくためにリスト化しました。ホント覚えきれないや。今後随時加筆修正していきます。 【お断り】 *記事に関しては、当時閲覧した記事とは異なるものもあります。ただし、当時得た情報量と比較的似たものを選んでいます *情報の精査に関しても未熟なところがあると思います。明らかな事実誤認や虚偽が含まれている場合は、教えてくれたら助かります *当然、ここに挙げたもの以外に、政府の理不尽な

          極私的・新型コロナ関連”憤り”リスト(〜20200412)

          マスクの付け方

          最近なにかとマスクをつけることが多い。 風邪ではないのにマスクを着用することを「伊達マスク」と呼ぶらしいが、イヤリングをつけることすら恥じらい、不要不急のマスク着用経験が極めて浅い身としては、この日々はなかなか新鮮だ。 朝、職場に着いたら共有スペースの箱から片面が妙にあざやかなピンクの小さめマスクを一つ取り出す。上部についた針金をぎゅっと鼻に押し当て顔面にできるだけ密着させる。お昼のひとときはそれを取り外し、横の公園で弁当を食べる。午後、席に戻って10分後、あ、忘れてたともう

          マスクの付け方

          着終わった制服

          先日たまたま入ったリサイクルショップで買ったギンガムチェックのシャツが気に入っている。腕にギャザーの入ったショート丈。気に入っているのでつい休日のたびにそればかり着てしまう。どうやら私は一度「これだ」と思ったらそれを精神的に制服化してしまうところがあるようで、それ以外のものを着ても妙に落ち着かず、落ち着かないというか今日という日を無碍にしているような気分になってきて、このままではバリエーションのない人間になってしまうぞという一抹の罪悪感を感じながらまた袖を通してしまうのであっ

          着終わった制服

          衣笠丼

          私の中で「生きる気満々メシ」、というものがある。その定義はいまだ定かではないが、こう、作ろうとした時にふと、「生きる気満々じゃん、わたし」とつい口に出したくなるメニューのことである。むろん、自分で作る、というところがキーなのであるが、それは「作る」という行為が自身の生命への水やりに似た創造的営みだ、的な話では全然なくて(こういうのちょっと苦手)、単にいわゆる外食では補いにくい煮込み料理、何日も食いつなぐ系、スープの類いが「生きる気満々」度合いが高いからだ。明日、それを食べる私

          「非常時」とはこなすものなのか

          つくづく思うが、私は非常時に弱い。よせばいいのに、Twitterなど見てしまい、明らかに愚策としか思えない政府の行き当たりばったりの措置に、ご丁寧にひとつずつ憤っては身を落ち込ませてしまう。○○県で〇代の〇性が感染、などというニュースをみると、「明日も我が身」と身を固くする。人と来週の約束をするときも、「この約束が実現することはある種の奇跡だな」と切なく思い、会えた時は「この人に会えるのも最後かもしれない」と小さい覚悟を決めている(多分とても失礼だ)。つい嗜好品を買い込んでし

          「非常時」とはこなすものなのか