1月18日

アルバイトをしないと生きていけないので、アルバイトをして金を稼いでいる。金を稼ぐ方法がアルバイトでなければいけない理由はないけれど、いま働かせてもらっている場所が好きなので、3年間そこでアルバイトをしている。
わたしは学生で、給付型の奨学金をいただいており、基本的にはそれとアルバイト代を併せて生活している。親に甘えている部分も多くある。大学の出張などで東京やその他地方に行くことも多いけれど、それはわたしでない人がそのお金を捻出してくださっているので、基本的に金は減ることがないはずである。しかし、金がない。金はないが、金がないと書く余裕をもてるだけの、金のあてはある。

前日、留学へ行く友人の送別会をしたので、身体に酒が残っていた。喉に何か詰まったような不快感があるが、それでもベッドから這いずりおきて、シャワーを浴びに行く。
支度を済ませて、長い間支払うことを放置していたガス料金の請求書を持ち、30分間歩く。わたしは、いつも徒歩を選んでいる気がする。走ることは得意ではないし、自転車に乗ることも苦手である。バスは好きだ。座るなら、顔の横に窓が見える席がいい。頭をつけるとひんやりする。車は運転できないが、2人きりで乗る助手席は好きだ。新幹線や電車は、乗り過ごしが少し不安である。
徒歩以外だと、なんだかんだで飛行機を選択している気がする。道内の移動でも、わりと飛行機は多い。昔、航空機の整備士になりたかったことがある。映画で見た整備士はパイロットより無骨で、独立しているように見えたのだった。高専のとき、最初に機械工学を専攻したがったのもそれが理由だった。向いていないことがすぐにわかったことと、当時付き合っていた恋人が電気工学を専攻していたことで、なんとなくその夢はなかったことになっていたけれど。

毎週末は、いつも同じ道を歩く。住宅街を抜けると、大きな道に出る。それを突っ切ると、比較的新しい別の住宅地になる。その一画に、わたしのアルバイト先はある。

「おはようございます」と言うと、先生が「おはよう」と声をかけてくれる。それから、わたしに気づいた子供たちが「あ、かしこちゃんだ」と言う。そして口々に、「かしこちゃん、髪染めたの?」「久しぶりじゃない?」などと声をかけてくる。質問に「そうだね」「そうだよ」と言いつつ、手早く手を洗い、子供たちの輪に入る。
土曜日の学童保育は、いつもより少しだけ子供たちの人数が少ない。なので、平和である。子供たちはすぐに遊びに飽きるので、15分区切りで遊びを展開していた。コマ回しやけん玉、てんかなど、どれもわたしが子供のときから、そして今でも苦手な遊びばかりである。もう大人なのでどんな遊びにも対応しようと思えばできるが、それでも好きなのは折り紙やパズル、読書など、静かに1人でも楽しめて、集中できる遊びである。

昼になり、昼食になる。いつも昼食を作ってくれる職員さんがいて、とても美味しいご飯が食べられる。自分では到底作られないようなメニューなので、他の先生方とそれを褒めながら食べている。
最初は食事に集中できない子が多いけれど、慣れてくれば正座をして背筋を伸ばして食べることが上手になってくる。素晴らしいと思う。わたしなんか、家ではぼーっとしながらカップ麺をすすっているだけである。

時たま、子供たちの会話の中に、「女の子なのに紫が好きなのはヘンだ」「あの子、男の子なのにリカちゃんで遊んでる」というような揶揄がある。そういうとき、わたしはどうしていいかわからなくなってしまう。「別にヘンじゃないよ」と言うと、まっすぐに「ヘンだよ!」と言う子もいれば、「ヘンじゃないの?」と不思議そうに訊いてくる子供たちもいる。それぞれがそれぞれに、他人から見ればヘンな部分を持っており、それはそれでいいじゃないか、というのがわたしの意見なのだけれど、それを伝えるのは難しい。でも気になるので、「ヘンじゃないよ」と言うのだけれど、いつもうまく伝えられない。
幼稚園の頃、わたしはよくスカートをめくられていた。しかし、いつも下に黒い短パンを履いていたので、無敵だった。他にスカートを履いていた子は、めくられそうになるときゃーと言いながらわたしの後ろに隠れて、「かしこちゃん!」と助けを求めてきた。わたしが立ちふさがるように彼女たちの前に立つと、スカートめくりの常習犯はわたしのスカートをばさりとめくる。そうすると、途端に面白くなさそうな顔になる。「なんでいつもズボンを履いているんだ」と言われた。「スカートの下にズボンを履くなんてヘンだぞ」と言われた。単に、胃腸が弱いので防寒のために履いていたのに、とてもショックを受けたことを今でも覚えている。それから、わたしはスカートを履かなくなった。

夕方になり、子供たちの人数が減ってくる。親御さんが迎えにきて、友達が減るので、子供たちはどんどん飽きてくる。「つまんない」と口に出す子が増えてくる。わたしも、そろそろアルバイトの終了時刻が迫っている。時計を気にしながら、UNOをして遊んだ。わたしはカードゲームも好きだ。
アルバイトの終了時間になり、退勤した。帰り道も好きである。帰り道にある大きな通りは車の往来が激しく、函館の中でも特に混んでいる道路である。隣の町までまっすぐに繋がっているのだ。
途中、大きな書店があるので寄る。が、今月はすでにお金がピンチなことに気づき、物欲にとらわれて自己嫌悪にならないように、書店に入っているファミリーマートにだけ寄った。コンビニのホットスナックがとても好きだ。わたしは、北海道に生まれてよかったと思うことはなんですか、と訊かれたら、身近にセイコーマートがあることを挙げると思う。ホットシェフは最高。ファミリーマートで公共料金を払い、スパイシーチキンを買う。店を出てすぐに開けて、食べながら道を歩く。行儀が悪いので、夕方にしかやらない。車通りが多いので、道を渡るのにとても時間がかかる。スパイシーチキンを食べながら、ぼーっと車が途切れるのを待つ。車に乗っている人たちは、みな真剣な顔をして運転をしている。車が途切れるのを待っている間に、食べ終えてしまったので、寂しくなった。
電灯のぼんやりとした明かりが、むしろ頼りない道を歩いていると、自分が疲れていることがわかってくる。家に帰ったら洗濯をしたいなと思う。

家に着いたので、夕食をとった。1人で夕食を食べていると、考え事が進んでしまい味がわからなくなる。部屋に戻って洗濯を回して、机に向かってMacを開いた。卒業論文のファイルが開かれて、疲れが増してしまった。たまに、論文の書き方がわからなくなる。今更ながら、卒業論文についての相談を先生にすると、思いの外いい反応が返ってきたのでそれを反映させたいが、なかなかうまくいかずに悩んでいるのだった。
卒業するということへの実感、ならびに函館を離れることへの実感が、まだ湧かない。いつも、実感という言葉に悩まされる。何をもって、本当の寂しさや開放感が得られるのか、それを感じ、受け止めるタイミングを逃している気がする。
卒業式に出るか迷っている。来年度、来月でさえ、どこで何をしているかわかっていないのに、卒業論文なんて書けるのかと思うが、卒業論文が完成しなければこの生活がまた一年続くということだけが明確であった。

最後まで読んでいただいてありがとうございます! コメントなど、ご意見もいただけると嬉しいです。 いただいたご支援は、大好きなおやつカルパスとこんぶのお菓子の購入費に充てたいと思います。