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短編【噛み合う】



今日は雨の音が響く。

やけに少し明るく、雨音が。




その響きが共鳴したのは、いくつになってもずっと消えない、自分とうまく「噛み合わない」ような感覚は何だろう、という疑問だった。



乗りたいバスが目の前で去って行ってしまう時のように、隣の人との会話が全く成り立たない時のように、いつもよく見かける本なのに借りたいときに限って見つけられない時のように、右手と左手が全く同じではないように、



まるで、噛み合わない。




それをいくら頭の中で考えて答えを出そうとも、意味のないことである。私は考えることをやめようと考え始めた。




でも、そんな時に、見つけたのだった。




私が私自身と噛み合う瞬間を。






仕事帰りに信号を止まった。

バイクの右のミラーに移った、私を見つけた。


幼い頃の、怯えた自分を。




決して怪しい話ではない。

心霊や妄想でもなく、そこには存在していないのだが、確かに存在しているものだった。

そしてその時確かに、私は私自身と噛み合っていた。





目。

それは、目、だ。



自分の目を見つめたことがあろうかと、私はふと不安になった。

もしかすると、これまでの人生、

自分の目を見つめる機会など、然程なかったような気がしてならない。

しかしこの時ばかりは、目に吸い込まれた。




すぐに家に帰り着いて、それからずっと目を見つめることにした。

先程のは、何だったのか…




とても悲しそうで、さみしそうで、どんどん瞳孔が遠くに離れていくあの、目。



その目に向けていろいろと思いを投げかけてみると、涙も出てきた。




どれほど涙が落ちたかはわからないが、そんなには落ちていないと思う。

少なくとも、今降っている雨のようなハリはなかった。



涙を落とした後も、じっと目を見つめることにした。



初めの陽炎のような危うい震えはなくなっていて、ほっと安心が見え、影のようにくっきりと瞳孔が浮き出ている目になっていた。



その時に私は悟ったのだった。



あれは本当に私の幼い自分だったのだ、と。

そしてそれと噛み合った、と。





これは単なるわたしの空想や思い込み、はたまた願望なのかもしれない。

それでも、この目は確かに、

私の忘れられたおさない自分であった。



ずっと探していた、

やっと見つけられたはずのものだ。

今度、あいつに話してみよう。




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