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創作物のリアリティ問題徹底分析~大きいウソと細部のリアル~

フィクションにおけるリアリティとは?という複雑な話題を少しだけかみ砕き、多角的に検討してみようのお記事です。
わたくしのペラペラな卒論(2万字)を単位とすると、1.2卒論くらいです。

【おたより】
ペチカお嬢様、サネアツ様、ごきげんよう。
メッチャ深刻に悩んでいるわけではないのですが、ご意見伺いたく筆を取りました。忙しかったらスルーしてくださって構いません。

お二方はフィクションで創作されていると思うのですが、その際、リアリティはどこまで追求していますでしょうか。
時々、「経験したことしか書けない」派と、「経験してなくても想像で書ける」派の意見の対立を見かけます。

わたくし、自分が結構な完璧主義者であるが故に、話を作ろうとするとこのリアリティラインで悩んでしまい、手が止まるのです。
リアリティラインといっても、ファンタジー(海賊や魔法使い、ロボ大戦など)か、現実(恋愛や家族問題)かで気にするところは違ってくると思うのですが、特に「経験がある人がいる分野」を書く場合、どうすれば嘘っぽくならないか、考えてしまいます。
例えば恋愛小説を書く作家さんが、必ずしも作中で繰り広げられるような恋愛をたくさんしているわけではないでしょうし、犯罪小説を書く作家さんがみなさん犯罪に手を染めているわけではないことはわかっています。
ただ、自分の人生の経験値などの少なさや、一般の人と感覚がずれている自覚もあり、「想像だけで書いたら、知ってる人から『あっこいつ嘘ついてる!物を知らない奴だな?』『こんなんありえねーww』とか思われないかな……」と思ってしまうのです。

お二方は、自分が経験がない物を書く場合、リアリティラインをどこまで求めるでしょうか。露骨に嘘をついてる、と思われないためのコツなどありますでしょうか?
お考えを伺いたく失礼いたしました。もしご回答いただけるのであれば、幸いです。(どの媒体で取り上げていただいても構いません)

よろしくお願いします。

真摯なお人柄が伝わってくるようなおたより、お気遣いありがとうございます!お返事が遅くなってしまいごめんなさいね。

ギュッ!

以下は、おツイッターの速報的な回答です。

大丈夫!!経験しなくてもかけます!!!!

これは人によるトピックですが、面白い嘘ならバレバレの嘘でもオッケーなんです!!
あまり嘘だとバレたくない場合、取材などできるだけの努力は前提として、商業的な割り切り方の目安としては「数%の専門家(や経験した人)にだけ違和感があり、他の大衆には違和感はない」だと商業的にマスを楽しませてるので、まあいいんじゃないでしょうか、となります。
ただえちえちのように誇張したほうがいい、むしろリアルを追求すると残念になる可能性が高いものもあるので、たえず「フィクションのなかで、プラスのウソとマイナスのウソの違いはなにか」ということを判断していきたいですネ!

わたくしの直感だとそうなのですが、「答えきれてない!もっともっと考えたい!」となりました。
メッセジお嬢様の相談からはズレる項目もありますが、色々切り分けて総合的に考えてみますネ!

色々な派閥があるけどわたくしの立場は、大衆向けコンテンツ大好きの、人を楽しませるエンタメ派です。


■助太刀いただきました

リアリティお悩みお嬢様にぜひお伝えしたい金言がございますの。「童貞でも官能小説家になれる」ですわ!面白いは正義!リアリティはそこそこでよろしくってよ。
それでもお悩みなら「RRR」や「バーフバリ」をぜひご覧になって。圧倒的面白さの前にはリアリティなどあまり重要ではない、とよくわかってよ。

オジョ箱より

面白さ派からの、背中をドンと押すようなパワフルな応援ありがとうございます!
えちえちとかの場合は、むしろ経験がない方が夢を見れるので、魅力的に書ける!という言説も読んだことがあります。

RRRはわたくしも大好きです!アクションがモリモリで、絶対ありえない!!のに面白いですよネ!あれに「いや、実際人はあんなにジャンプできないと思うよ」と突っ込む気も起きません。最高だから。

「リアリティ」の定義も色々で普通は助太刀お嬢様のような受け取り方をしますよネ。わたくしも同意見で、「人間の身体能力盛りすぎ」「悪が悪すぎる」「動物の殺意高すぎ」「かっこよすぎ」など全てが過剰で…………だからこそ大好き!!!!なんですけど、「リアリティライン」は、かなり低めと感じます。

詳しめに後述するけど、思考実験として、本記事ではもうちょっと「リアリティ」を細分化してみます。(もしくは、普段使わない方向まで拡大解釈します)
で、極端な意見にして、じゃあ「RRR」「バーフバリ」が全部「ウソ」なのか?というと、人の感情や組織の動きとかは、かなり真に迫っています。(まあ主人公ズの精神性も超越してるけど……)

RRRは、身体能力とかはかなりウソだけど、人の感情や動きは真摯でした。(さらわれた→取り戻す!とか、絶対的な目的→警察官になる!とか)
ド級のエンタメにバフをかける方向性で「身体能力のリアリティライン」は下げる一方、観客の没入を妨げないように「心情・論理のリアリティ」はある、もしくは期待に応える感じの仕上がりになっています。

「これはいいウソ」「ここはリアル」などメモしながら映画を見ると、何か発見がありそうですネ!

助太刀お嬢様のおっしゃる通り、あとは面白さを加点式で見ると、リアリティがないとか、多少つじつまが合わないとか、「それってどういうこと?」みたいな謎が残っていても、「あ~面白かった!!」という印象が全てを包み込む場合もあります。
よって、「こまけえことはいいんだよ!!」ブオンブオン!!!!とパワーで全部なぎ倒すような創作法もありますネ!

最終回談義
かなり余談ですが、新吼えろペン8巻の「最終回談義」が面白かったので、当おnoteと興味の方向性が一緒の方に読んでほしいです!
「全伏線の回収をするのは当たり前」派への反論として、「なんで着地させないといけないの? 毎回毎回面白がってもらうことのほうが大切でしょ?」という主張があります。
面白い謎ばかり出して煽って煽って、結果ふろしきが畳めなくても、連載の最終回だけつまんなくても売れるからヨシ!という過激な意見でもあるので全面的に正しい主張という扱いではないけれど、編集者目線(商業的)ではそうだよね~というトーンで書かれています。
(方向性の違う漫画家の談義がそれぞれあり、どれも納得できるし一長一短で面白かったです!)

新吼えろペン8巻 145ページより

次のおたよりです。

ペチカお嬢様、ごきげんよう!
今日オジョ箱の返信で答えられていた「経験がないものを書く場合のリアリティ」について、わたくしは相談者様ではないのですが、記事、とても楽しみにしていますをお伝えしたく失礼しました。
まさになう!悩んでいたことだったので、わたくしもぜひ、お嬢様のお考えを伺いたいです。

(文面伏せ:過去読んだ意見など)
また、わたくし自身も過去、自分が詳しい分野に関して書き手の明らかな知識・取材不足が見受けられると、「詰めが甘い」と思ってしまったことが多々あるのです。そうした他人に対する厳しさ・完璧主義も、自分に返ってきているのかもしれません。

お便り主さんは経験がある人が多い分野を書く場合をあげていらっしゃいましたが、わたくしは特に恋愛や、子育て・子供描写などに対してそう感じてしまうことが多いです。(他のオタクのブロガーさんのところでも似たようなトピックで盛り上がっているのを見たことがあり、その時は「経験してないとかけないだろ派」「経験してなくても補える派」で結構意見が割れていました)

「面白さVS正確さ」のお記事、楽しみにしています!
長文失礼いたしました。読んでくださってありがとうございました!

オジョ箱

あたたかいメッセジ、ありがとうございますワ!

そ、そう……!本当にそう!
このままならなさ、全同意ですワ!

詰めの甘さからくる読書体験の損なわれ度は、どれくらいかしらん?と気になりました。多分人によりますよネ!
明らかにド間違いでないなら、わたくしは誤字脱字と同程度、つまりあまり気にせずスルーするけど……人によっては、超極端な例だと星5評価を星4に下げるくらいの重みがあるかもしれません。

……でもこれはしゃーない!しゃーないから!
特に個人のご趣味だったら、誰が悪いとかでもなく、しゃーないです。そもそもアマチュアに「一切間違うな」というのは無理筋で、プロでも無理。
詰めの甘い、というかちょっとアラのある作品を読んだときに「がっかりするな」というのも、そこまで人の心のはコントロールできません。
誤字脱字とか、言葉の誤用くらいの、しゃーない問題だと思います。

「経験してないとかけないだろ派」「経験してなくても補える派」について、こういう議論は、お互いの想定が違うこともありますよネ。

たとえば「育児エッセイ」だったら、限りなくウソくさくなるでしょう。エッセイといえば基本的にノンフィクションで、他の作家さんは経験ベースで書いてるから、比べられると不利。「真実っぽさ」を売りにするならとてつもなく難しいですネ。調べて書くなら相当の努力が必要。

でも、たとえば……「クレヨンしんちゃん」「スパイファミリー」のような作品だと、これは「ウソの幼児」でも全然いけると思います。実際、しんちゃんもアーニャもかなり早熟で、特に意味のない癇癪を起こしたりもしないけど、これに「リアリティがない」とつっこむのは明らかに野暮ですよネ。
ウリは「幼児のリアルさ」でなく、お話の面白さなので。

基本的には、みなさんはご趣味で、THE虚構のドキドキワクワクを中心に書いてらっしゃると思うので、エッセイやノンフィクションをうたうのでなければ、調べて書けばOKだと思いますヨ!

以後、いただいたおたより全部への回答を意識しながら、本論で色々検討していきますネ!

■「やらかしミス」と「しょうがないね」を分けてみる

色々切り口を変えてみましょう。
「リアリティ問題」の前に、まず「流石に調べようねレベル」は「ミス」。これはもうしゃーない。
誤字脱字と一緒で、「できるだけ減らす」ことを目指しつつも、個人でやってるなら「ある程度潰しきれなくてもしょうがない」です。出版社だって校閲(事実誤認や差別表現チェック)専門の部署がやってる専門技能ですしね。

強調したいのだけど、(わたくしにとっては)誤字脱字くらいのインパクトなので、そんなに凹む必要はありません!しょうがないから!お話の本質ってそこじゃないから!
小さな1ミスでお話全体の評価が落ちることは基本ないので、大丈夫です!

具体例があった方が分かりやすいので、以下、個人的にミスや「仕方ないね」を書いてみました。サンプル1、わたくしの主観です。

【さすがに調べよう!レベル】
・札幌から旭川まで徒歩20分移動
・カメラのフィルムを取り出して光にあてた後、問題なく現像
・犬にチョコを食べさせる
・鎌倉幕府ができたのは5世紀

調べたらすぐ分かること、常識レベルのことは……普通にミスですね。
わたくし個人の印象だと、「逆鱗に触れる、浮足立つ、世間ずれ」などよくある言葉の誤用と同じくらいのインパクトです。(いうてそれだけ、とも言える)(個人的には正確に使ってほしいけど、でもあえて指摘したりはしません)

【あ~知らなかったのねレベル】
・山のない県(国)の背景に山を書いている
・現代日本で思慮深いキャラが野鳥を勝手に保護する(法律違反)
・昭和の名家の人が畳のへりを踏んでる
・戦国時代に四角形の布団がある
・じゃがいも・トマトが中世ヨーロッパにある
・欧米人が頼みごとをするときに日本式のお辞儀をする・謝るときに土下座する

これくらいは、知らなかったのね、しょうがないねという同情的な小ミスだと思います。個人的には誤字脱字みたいな感じ。
だいたいその人の中では当たり前のことを、そうじゃない舞台に適用しちゃったケースでしょうか。
(外国の方の日本漫画ファンアートを見ると、たまに直毛キャラの髪がふんわりしていることがあり、ああ、アジア人の硬い髪質を知らないんだろうなと思ったりします)

自分も詳しくない分野はやっちゃうだろうし!知識問題ってほんとに知らないと解けなくて、調べる発想もなかったりしますものね。
気づかない人はスルーだし、気づいても「知らなかったのね~」で終わり、そんなに悪印象にもならないと思います。物語の本質はそこじゃないですからネ!

ちなみにじゃがいもトマトは、現実でない、ファンタジー世界とか中世ヨーロッパ「」世界なら、個人的には全然アリと思います!「俺の中世にはじゃがいもがあるんだよ!」って感じで。

ここまでは、「正解を知っている人の方が多い」ケース。
ここからは、「正解を知っている人の方が少ない」ケースです。

Q、自分が経験がない物を書く場合、リアリティラインをどこまで求めるでしょうか。
A、わたくしの場合、以下の判断基準です。

■判断基準は「多数派が楽しめるか」

・そのスジのモン以外が楽しめればOK

【専門家・業界人にしか分からないレベル】
・特定の職業描写
・超細かい時代考証
・方言の言い回し などが、正確ではない

…………しょうがない!これはしょうがないです!
人口比数パーセントの「そのスジの者(モン)」にならなきゃ「100%正しく」はムリです!!
「そのスジでない、一般人(多数派)が楽しめる」で大丈夫です!エンタメとしてはマスを楽しませてるのでまあOK。

【「多数派」という判断基準】
たとえば、ニューヨークに行ったことのない人が、想像でNYが舞台の話を書きました。それをNYで売るなら、どうしてもどこか「トンデモNY」という扱いになるでしょう。(逆にウケるかもしれないけど)

しかしそれを日本で売るなら、その中のNY住んだことある率は……多分0.001%より少ないので、まあ……99.999%以上は違和感なく楽しめるカモ!?
ターゲット層の中の専門家率はひとつの判断指標ですネ。

もちろん、いちばん大事なのは中身!
たとえば「天空の城ラピュタ」はドイツ風、イタリア風、フランス風がまぜこぜになっていて、現地の方にとっては(話の面白さは別として背景の)違和感が強いらしいです。でも日本のメインターゲットは楽しんで、大ヒットしました。

そりゃ、可能なら正確に書きたいし、事実とズレるのであれば分かったうえで「分かりやすさのための嘘です」としたいけど!

専門分野の肌触りを求める策としては経験者に聞く&ニアリーの経験をするのが強い!
作家の三浦しをん先生お嬢様も、取材がしたいときはとにかく知り合いに言いまくる、業界人を紹介してもらうとおっしゃっています。
実際わたくしも、商業BL作家の方から「今度書く予定の題材で、〇〇系の会社ってどういう業務をしているんですか?一日のスケジュールは?」「この部署とこの部署の違いは?」というプチ取材を受けたことがあります。

インターネットで今色々なことができるから、Q&Aができるサイトや、受け付けてるなら質問箱とかもガンガン利用していいと思いますヨ!専門家や経験者に訊くのがいちばん近道です。

ガチな例だとゴールデンカムイの野田サトル先生お嬢様は、北海道育ちで北海道アイヌ協会さんに取材に行っていて、郷土資料や参考文献も多くあたっていて、ご自身のブログによると狩猟体験もされています。
リアルタッチの漫画なら作画資料もたくさんいりそうで、資料を集める中、現場に行ったり体験したりもありそうですネ!

ニアリーの経験は、エンタメ長編講座の「◆取材を元に細かく想像する」でも書いたけど、「ドラゴンの背に乗って移動するときの描写のために、ジェットコースターに乗る。中世ヨーロッパの描写のために、おグーグルマップでノイシュヴァンシュタイン城を歩いてみる」とかですネ。
あとは、「銃の分解と掃除をする描写のためにモデルガンを購入してやってみる」とか。

経験も大事、座学も大事。
書物やブログ、動画での情報収集もできる努力ですね!頑張る。できるだけ頑張る。
やりたい分野がテーマの、ハイクオリティな映画漫画小説などを、メモしながら3つ以上履修したら「だいたいこんな感じ」がインストールされるでしょう。

・一人一つの人生だから

……ただ、一人一つの人生だから、どうしても仕方ない部分は絶対あります。努力して調べて、それでも到達できない領域は、「一人一つの人生だから」と割り切りましょう。だって、実際専門家じゃないし。

作者がプロフェッショナルを目指すとしたらそれは「いい小説を書く」方向に心を砕くのが望ましくて、「専門家目線でのリアル」は専門家に監修を頼むのが、まあ理想ですよねェ……。餅は餅屋。

自分が受け取り手の場合、ヨソの人が書いたフィクションで、自分の業界の描写が甘いなんて、結構日常茶飯事じゃないですか。
あるいは、かなりの数が経験したであろう「学園もの」でも、「こんなこと自分の学園生活のリアルにはなかったよ」って描写いっぱいありますよネ。
たとえば「屋上への立ち入りができなかった」とか「生徒会にそんな権力ないよ」とか。
弁護士芸人お嬢様が逆転裁判に楽しくつっこみながらプレイする実況もあるし、公式でやるまでいったし。

フィクションは虚構を書くものなので、「いいリアリティ」が加点になることはあっても、「リアリティのなさ」がそんなにそんなに大減点になるケースは、あまりありません。大丈夫です!(いろいろ後述するけど)

・この言葉、使っていいの?

リアリティ問題と類似のトピックとして、言葉遣い問題もありますネ。

【時代語彙問題】
・江戸時代のキャラが「スタミナ」「スピード」という言葉を使っている?
・平安時代のキャラがドラマで現代語で喋っている?
・明治維新前にこれらの言葉を使っている?
「愛」「衛生」「社会」「存在」「権利」「自由」「個人」「近代」「恋愛」

【ファンタジー世界翻訳問題】
・古代中国がないのに「呉越同舟」「杜撰」「矛盾」という言葉がある?
・仏教がないのに「永遠」「覚悟」「油断」という言葉がある?
・ハンブルク(地名)がないのにハンバーグ(料理)がある?

…………江戸時代にカタカナ言葉を使わない、まではできるかもしれませんが、上記全部完璧に埋めてる作品ってあるのでしょうか!?
すごい!けど、まずないでしょう。気にしすぎると何もかも書けなくなります。

解決策としては、まず「俺の宇宙では音が鳴る」方式。
中世ヨーロッパ風ファンタジーが舞台の大人気ゲームメギド72では「コネル・ハンブルグさんが考案したハンバーグ」「呉都と越都の民が川で揉めていたが協力→『呉越同舟』という言葉ができた」など最高のこじつけパワー説明がされています。

いちばんよくある解決策は「現代日本人向けに翻訳しているから」という解釈ですネ。
「現地のことわざでは『チャスロンがポイシャする』ですが、現代日本人向けに意訳すると『呉越同舟』になります」という感じ。
「平安時代のドラマだけど、現代語で放送するよ!」「江戸時代のバトル漫画だけど、ターゲット層が分かりやすいように『スピード』『スタミナ』使うよ!」という判断もコレに入ります。

対策を紹介したけど、別にしなくてもいいです!
細部にこだわると「丁寧な出来」になり、それはいいことだけど、物語の面白さの本質は別にある派なので、わたくしはそう思います。

■いいウソとは

・嫌リアル回避はOK

「リアリティがない」はマイナスの作品評価で言われがちな文言でもありますが、「ない方がいいリアリティ」も存在します。商業的には。

たとえば高校生男女の恋愛を追った少女漫画で最後に両想いになったけど、十年後二人は別れて別々の人生を歩んでいます。なぜならリアルでは十代の恋愛なんてそんなもんだから……とか言われたら、「えええええええ!?」ってなりません!? りぼんを読んでいる小中学生女子の気持ちとしては!
(もちろんそういう作品はあってもいいのですが!「THEりぼんの王道」ではないですよネ)

ほかにも、ギャルゲーで全員にフられたよ……とか、可愛い/かっこいいキャラがゲップしたよ……とか、監禁中は排泄垂れ流しだったよ……とか、「半沢直樹」で逆転できなかったよ……とか、法廷もので裁判開始までものすごく時間がかかる上に、追加の証拠が遅すぎて受理されなかったよ……とか、物語への没入・進行を妨げる「嫌なリアル」は、大衆向けエンタメだとオミットされがち。

大衆向けなら「嫌リアル回避」はバンバンして大丈夫!!
また、物語的誇張も歓迎されます。

リアルじゃ絶対にありえない光景だけど「リーガルハイ」の古美門弁護士が法廷で大暴れするの、大好きでした!アレ見ると法廷・裁判ものって逆に自由だな!と感慨に襲われます。
(いきなり素人が弁護席に立ったり、ハッタリで乗り切ったり、逮捕の翌日裁判だったり、追加証拠がバンバン出てくる逆転裁判シリーズもそうですね!大好き)

不思議なもので、あそこまで大嘘だと「皆さん騙されないで!私は裁判関係者です。あの描写は実際にはありえません!」なんていうのもバカバカしくなってくると思います。

よって、リアリティラインを下げに下げ、素人すら嘘だと分かるファンタジーに寄りきってしまえば、「そもそもツッコミも野暮」ということになるでしょう。(例:宇宙は1枚のカードによって始まった)
えちえち主体の過激作品は基本そう。全部誇張と虚構です!!

……お、一つ切り口が見えてきましたネ!
逆にリアリティについてツッコミたくなるのは、「素人には嘘かどうか分からないライン」で「素人に本当の現場はこうなんだ!と誤解を与えてはいけないと、専門家が危機感を覚える場合」ではないでしょうか。後述します。

・許してもらえるウソ

ゴジラマイナスワンの監督お嬢様のインタビューが興味深かったです!
「高雄(重巡洋艦)は1946年に自沈となっているが、(『1年くらいはいいかな』と思い)作中では自沈を回避したことにして、1947年に出した」
もう自沈してるだろと突っ込まれないか?という質問に対して、「マニアも1年くらいなら許してくれるかな」「(過去の経験から)出したかったぽいやつを1年くらい前に出しても大丈夫」と語っています。

マニアの方も、「史実的正しさを優先して高雄を出さない」より「映画でかっこいい高雄が見たい」の欲望が勝つのではないでしょうか!?

嫌リアル・物語的誇張と似ているけど、「史実や時代考証を踏まえたうえで、エンタメに舵を切る」ケースですネ。

・ウソから出たリアル

思い出したのはスターウォーズ監督のルーカスお嬢様の逸話。「宇宙では音は出ないとつっこまれたとき、『俺の宇宙では出るんだよ』といった」話が有名です。

ちょっと調べたら、微妙に曲解されてるよ~というページが出てきたのでおシェアします。

「エンタメのためならリアリティなんか無視していい」という主張ではなく「自分なりのルールを作ったら、それと共に生きるべき」、「科学的に非科学をやる」と述べています。
すなわち作ったルールについて真摯に考え突き詰めることで、筋の通った描写をし、虚構の世界にリアリティを持たせる、という方向性だったんですネ!

つまり「音が出る宇宙」というルールを追加したなら、それが「科学的に成り立っている」ように全編を書くべし。

たとえば「オメガバース」をやるなら、今とまったく同じ現実世界にちょこっとスパイス追加程度で……でもいいけど、ルーカスお嬢様にならい「そういう科学・世界にする」をやるなら、「職場にヒート・ラット休暇が最近導入されたけどまだ誰も申請できてない」とか「薬局に抑制剤が売っているけど薬剤師の指導を受けないと買えない」とか「オメガを崇める新興宗教」とか「オメガの出す甘い匂いを再現した香水が発売後即回収になり裏社会で取引される」とか「アルファベータオメガの産み分けをする地蔵から民間信仰が分かる」とか「日本では昔は甲乙丙で読んでた」とか「『産婦人科』が別の名前になってる」とか、「この設定があるならこういう世界になるだろう」という厚みを持たせられそうですネ!

また冒頭で「RRRは身体能力のリアリティラインは低めだけど、人の感情や組織の動きとかは、かなり真に迫っています」と言いました。「動き」です。
メンタルぢからのリアリティはというと、「普通の人は絶望する過酷な状況で、主人公はまったく諦めない」みたいな方向性の精神力も、身体能力と一緒で超人的に盛られてます。
「いいウソ」でもあり、「『主人公はすげえ奴』という作中の法則(神話の英雄にも重ねられている)に殉じた、作中リアリティのある描写」ともいえます。

「いいウソ」と一言でまとめるのも乱暴ですが、皆が喜ぶウソならついていいし、なおかつそのウソに真剣に向き合うなら、作中リアリティが出る例でした!

こういう味付けは「ミス」ではなく「ウソ」。
「ミスだ(高雄は既に沈んでいる・宇宙に音はならない)」という批判は筋違いだし、言われても真に受けて「すみません!直します!」という必要はまったくありません。
「いいウソでしょ!」と胸を張りましょう。

■つっこまれるとしたら(非恋愛編)

前述した、「素人には嘘かどうか分からないライン」で「素人に本当の現場はこうなんだ!と誤解を与えてはいけないと、専門家が危機感を覚える場合」のツッコミ。
具体例を出してみます。

①よくない例:「ナントカ警察」の場合

……あまり歓迎されないニュアンスですが、パッと思いつくのはSNSの「この国のこの時代に〇〇は伝来してない!〇〇警察」「この構えは間違ってる!××警察」とかが有名かしらん?

どうして歓迎されてないかというと、野暮なツッコミの場合が多いからですネ。

これまた難しいトピックですが、「経験者が誤った描写にモヤモヤする」、これは仕方ないんです!個人の感情だから仕方ない。

次に、たとえば「××をテーマにしたノンフィクション作品」とか「これが××の正しい構えですよ~」と言っている作品が間違い放題なら、さすがに「間違ってるよ」は指摘・批判としてはアリ。

しかし、××がテーマでない、該当のシーンが4秒うつるだけみたいな作品について、「間違ってます!!××が間違ってるからこの作品はダメ!!」みたいに全否定したり、「直すべき」というのはさすがに野暮。
さすがにそれは……正義感の暴走というか、「その危機感は不要では?」という案件ですネ。
「木を見て森を見ず」で全体を非難するのはよくない「叩き」ですネ。(個人的に黙って避けるのはアリ)

こういうケースは罪でもないことを警察みたいに取り締まるから「ナントカ警察」と否定的なニュアンスで語られます。

②ありうる例:巨大コンテンツへの補足や自浄作用の場合

たとえば大勢が見ているドラマ・映画とかで「素人に本当の現場はこうなんだ!と誤解を与えてはいけないと、専門家が危機感を覚える場合」に専門家が注釈を入れるのは、アリかもしれません。

例を出すのが難しいけれど、「たとえば警察・病院・児童相談所・介護施設は全然相談を真面目に取り合ってくれなかった!最悪!頼らない!」という内容の作品が大ヒットした場合、実際真に受けた人が頼らなくなることもあるでしょう。
そんなとき、職員の方が「ウチではちゃんとお話を聞いていますから、どうか相談に来てください」と声明を出すのはアリだと思います。
リアリティがどうのこうのより、なんでしょう……、実際に命や人生にかかわることがあるかもしれない、ので……。

このように、社会に与える影響が大きい言説について、それを訂正しないでおくと被害をこうむる立場の人が反論するケースは、普通にあります。

個人の作品だったら……よほど悪質なデマや「これはノンフィクションです」と言いながらの嘘ではないかぎり、上記大規模作品でありそうなつっこまれケースはポップしないでしょう。

■恋愛えちえちは難しいけど書きやすい

・自分の経験棒で殴らない

メッセジお嬢様が気にしていたトピックですネ。
たしかに恋愛・えちえちは、特定職業や外国・非現代に比べると、人口に対する「経験者」「知っている人」の比率が多いので、難しいところではあります。

ただ……経験者も、知っているのは「自分のケース」のみ。
私、恋愛と性のプロフェッショナルです!!ありとあらゆるパターンを知り尽くしています!!自信あります!!!!という方は、人口の0.001%未満ではないでしょうか。
やっぱり、一人一つの人生ですからネ!

思い出したのは最近の議論。
「こういう下着のつけ方Aをする女はいない」「普通はつけ方Bじゃない?」→「こういうケースもあるよ!」「私はやり方Cだよ!」と、女性による様々な意見が寄せられ話題になっていました。
男性が言うならまだしも、同じ女性同士でも「こんなのいるわけない」というケースがあるのは印象的でした。実際は人それぞれで、AもBもCもDもいる。

色々な問題は置いておいて、「自分一人の常識を全員の常識にする」のはやはり危険。「自分はそうだけど、そうじゃない人もいるかも」という視点は持ちたいですネ!

恋愛やえちえち作品も同じで、「自分はこうだったけど、こうじゃない人もいるかもしれない」「このキャラはこういう言動なんだろうな」「こういう世界なんだな」と考えるフィルターが入るので、「自分の経験と異なるから、この作品の描写はおかしいよ!」と断言できることなんて、世の中にほぼないんです。
(じゃあ公の場所で何の悪口もいえない?Exactly(そのとおりでございます))

よって、「ありうる幅の範囲内」であれば、可能性が0でなければ現実に「なっとるやろがい!」というケースがありうるので、あまり気にしなくてOKです!
何十人何百人でつくった商業作品はともかく、個人の趣味の作品に「自分の経験棒」を振りかざす人はそうそういないし、棒で殴ってくるのはおかしいので、ブロックで防御しましょう。

問題は「ミス」のレベルについて。
たとえば、下着のつけ方でいえば……え~っと、なんだろ……ブラジャーを腰に巻いてたら、さすがに「それはミスだよ!!」ってなりますネ。
それはゴメン!ちょっと笑っちゃうかもしれませんが、作者を公の場で嘲笑したり、傷つけるような指摘の仕方はしちゃいけませんね。わたくしだったらミスには目をつぶり、作品全体の筋とか、萌え萌え描写とか、いいところを見ます。
ミスではあるけど微笑ましいレベルで、なんだろう……普段からの悪意がなければ「嘲笑」にはならないですヨ。そして悪意を持つ方が悪い!

ちょっと調べれば、そこまでド級のミスはしなくて済みます!
ブラジャーを腰にさえ巻かなければ、胸にさえつけていれば、ホックの止め方は前でも後ろでも大丈夫です!!

・理想化されやすい分野はウソをつき放題

恋愛えちえちは、たしかに経験者の数だけで見ると難しい分野かもしれません。
でも!エンタメ恋愛は理想化・誇張されやすいので、「リアリティ」との相性がすこぶる悪いのです。汚さとか情けなさとかが「作品の味を落とす残念さ」に接続しがちな分野なので、逆に生身の人間より「理想(ウソ)のキャラクター」に寄った方が無難
結果として、「リアリティのなさが歓迎されやすい分野」にもなっているのです!(自論)ほんともう、何十年もアツアツだったり、体液が2L出たり、もはやファンタジーですよネ……。

よって、リアルな肌触りを知らずとも、「フォクションでの理想化・誇張の定石」を知っていれば大丈夫!
特に誇張したえちえちは何もかもウソなので、大丈夫です!よくあるウソを組み合わせるだけで大丈夫です!

・資料も豊富

恋愛えちえちは「よくあるウソ」の資料も豊富だし、ちょっとはリアリティを入れたいな……という場合は、現実寄りのハウツーや体験談、日記でナマの経験をインプット可能です。
※愚痴吐き掲示板とかは見ない方がいいです

若年層のSNSとかは、こう……初恋や初交際のノロケとかがだいぶリアルなんじゃないでしょうか!?
カップルユーチューバーの雑談やショートストーリーとかも、日常のエピソードとかが吸えるんじゃないでしょうか!?

大人向け動画も……商業的に演じているのでなく、ホームビデオみたいな日常剥き出しのもなくはないですからネ。

リアリティを求めて調べてメモしていけば、むしろ他の専門職に比べて、圧倒的に情報が集まりやすいと思います!

語りながら思い出したので、文学的な語り口がすごく好きな、リアル・エッ性をおシェアします。

■つっこまれるのは「感情・論理」

・「経験者」が多すぎるので、不自然さがバレやすい

実はもっともつっこまれやすいと思うのは、感情・論理です。「キャラ解釈」「共感/感情移入できるかどうか」という言葉にも現れます。

専門家じゃなくても……というか「誰しも(自分の)専門家」な分野。それが感情と論理。感情を感じ、思考に基づき行動したことがあるならもう経験者です。
「このキャラ、この状況でこんな言動をするかな?」という違和感により読書体験の満足度をちょっと下げる、というのは、老若男女誰でもできます。

乱暴な話になるけど、人口比0.001~数%の有識者しか気づかないそのスジ独自の正確性よりは、よほど発生率が高い問題だと思います。
正解を外した「ミス」というより、「穴」「ヨレ」「飛躍」って感じ。

設定とかストーリーの流れはかなりウソでもいいんですが、キャラクターの感情・論理からくる言動が不自然なのは、読者は敏感に気づきます。

「このキャラ、この状況でこんな言動をするかな?」の例
・連続殺人事件の最中に、夜呼び出され、一人で森に行き、殺される
・「復讐はよくないよ」の一言で「わかった」と血みどろの復讐をやめる
・(特に説明なく)真冬にミニスカートで凍えない
・きわどい水着を着て、その姿を見せてから「この水着、ほぼ紐じゃないですかあ!」と恥ずかしがる

……なんか不穏な空気になったらごめんなさい。
リアリティだけで考えた場合、わたくしは上記の例に違和感を覚えます。自分だったら夜に一人で森に行かないし、一言で復讐もやめないし、真冬は着込むし、紐水着は着ないし見せないし。

しかし、あくまでもわたくし一人の感じ方なので、「いや、あーしは真冬でもミニスカだぜ」というキャラクターなら、真冬ミニスカはリアル!
どちらも「現実にありうる幅の範囲内」なので、もちろん「ミス」ではありません。批判の根拠にもなりません。

・作者の都合はダメ/読者サービスはいい

特に違和感がポップしやすいケースは、「作者にとって都合がいい挙動」です。
物語の進行や願望のために、こうだとスムーズだなあ、こういう言動をしてほしいな~という願望に沿わせた言動と、自然状態でなされる言動の差が大きければ大きいほど、違和感になります。

たとえば……センシティブな例なのですが、主人公が追い込まれる描写をしたいがために、「根拠の弱すぎるデマに、頭がいい・善良な設定の仲間キャラがころっと騙され、主人公を殴り暴言を吐く」とか。

「お話をこっち方面に進めたい」という作者の都合が優先され、設定と言動のつじつまが合わなくなってしまいました。

ただ、「ターゲット層の読者にとって都合がいい挙動(読者サービス)」は許されることが多いんです。
つまり、ターゲットが紐水着を見て嬉しい!という客層なら、「この水着、ほぼ紐じゃないですかあ!」は歓迎されます。
主人公が追い込まれるのが大好きな客層なら、多少の違和感は気にせず、その描写を楽しめます。
そうじゃない層、別のところを重んじる層、好きだけどそれはそれとして納得感がほしい層は、違和感を持つ可能性が高い。

結局、何を求めていて、何が気になるかは人それぞれなんですよ……ネ!
違和感全部は防げません。商業的にはやはり「ターゲット層の中の多数派を満足させる」がゴールになるでしょう。

・論理の穴を埋める/埋めない

上記、「不自然な例」に気づいて、穴を埋めたかったら、対処することもできます。

対処の例
・連続殺人事件の最中に、夜呼び出され、一人で森に行き、殺される
→実は犯人と共犯で、絶対殺されるわけがないとたかをくくっていた(が裏切られた)
・「復讐はよくないよ」の一言で「わかった」と血みどろの復讐をやめる
→それまでに復讐が辛すぎる積み重ねをしておいて、「やめどきを探していた」感じにする。
(特に説明なく)真冬にミニスカートで凍えない
→オシャレのために気合で耐えてることにする
・きわどい水着を着て、その姿を見せてから「この水着、ほぼ紐じゃないですかあ!」と恥ずかしがる
→すごく天然にする、あるいは「お約束コント」としてふざけていることにする

最初のは結構いい感じになりましたネ!
ただ、全部が全部、穴を埋めると魅力アップとは限りません。
ミニスカートが嬉しいターゲットが嬉しいなら、「冬でも寒くないというウソを押し通す!」という覚悟があってもいいと思います。

また、最後の「この水着、ほぼ紐じゃないですかあ!」は、定番化したお約束ですね。

「お約束」の例
・この水着、ほぼ紐じゃないですかあ!
・ちょっと目元を隠しただけで変装完了、誰にもバレずに別人扱い
・変身シーンは攻撃されない
・誰も不満のないハーレム
・「いっけな~い遅刻遅刻!」パンを咥えて走る
・アウトロー=トゲ肩パッドをつけたモヒカン
・宇宙で音が鳴る

「お約束」は仕方ない!不自然さよりも需要が勝つのがお約束。
ターゲットの嬉しさを優先した前例が数多くあり、もはや「フィクションの中の法則」みたいになっているから、説明不要だしつっこみが野暮になります。

もちろん、あえて「お約束っておかしいよな」とメスを入れるのも可能です!常識をズラすことで笑いが作れる!
このトピックは、準備中の「会話文の書き方」お記事で触れる(紹介する)つもりです。

追記 書けました!


・ストレス展開への不満は別トピックかも

気持ちよく納得できない、共感できない、感情移入できない→面白くないと感じる」という強火の意見は…………レアだけど、なくもないです。
お話がハッピーなら目立たないけど、相性がよくないストレス展開で出がちな声だと、個人的には思っています。

ストレスが多い、主人公側が苦しむ展開において、たまーにこういう漫画感想がポップします。「こんな理不尽なことをされ続けて、なんで黙って耐えてるの?共感できない。リアリティがない。自分だったらボコボコにしてやるのに」みたいな。

(見えるところで配慮のないことを言うのはよくないのは当然として)批判内容が合ってるかどうかは場合によります。

たとえば「理不尽に我慢するキャラ性」ならまったく筋違いの意見なので、「リアリティがない」はまったく的外れな指摘です。自分の感覚・性格と合わないだけなので、言葉選びを間違えていますね。

「他の理不尽にはキレてボコボコにしてたキャラ」なら、キャラの一貫性が損なわれてるので、内容としてはあながちドハズレではありません。
後者の場合、読者が納得するような「我慢する理由」を提示しないと、「納得できなさ」が不満として現れます。

キャラ性なら正解の方向が分かりやすいけど、たとえば戦争もので「主人公側がず~っと不利な戦況」。
「まるでご都合展開の逆のように、偶然ずっと主人公側が苦しみ続けるのは、リアリティがない」という批判につながることもあります。

この場合、言葉として表出しているのはリアリティの問題。たしかに都合の良すぎる幸運ばかりなのは「リアリティがない」と言われがちだけど、実は「不運ばかり」はフィクションでは許されがちなんです。(詳細はエンタメ長編記事「◇理由のいるラッキー、理由のいらないアンラッキー」参照)

この批判の根本原因は、おそらく「読者のフラストレーション」。「俺達は主人公に勝ってほしいんだ!むかつく敵をコテンパンにしてほしいんだ!」という欲求がなかなか叶えられないのでイライラして不満になり、不満を言い表す言葉として「リアリティ」が選ばれた感じ。

その方の要求は本当にリアリティなのか?というと、勝手な推測だけど多分違くて、「リアリティを重んじてほしい」ではなく、真の願いは「主人公側を勝たせてほしい」でしょう。

この要求を取り入れた方がいいのかどうかは…………商業なら担当さんと相談することですネ。「ターゲット層の何%がそう思っているのか?」「売り上げにつながるのか?」「作家の意向や全体のプロットの計画に影響するのか?」とか。
とはいえ、この世の全員を納得させるのは不可能だし、とくにアマチュアなら、読む側が「for me」な作品を選んで楽しむべきだし、気にしなくていいとは思いますヨ!

参考:アドバイスが最も適した解法とは限らない&人の意見をきくきかない

・100カノ式パワーソリューション

ちなみに「誰も不満のないハーレム」について、100カノ(君のことが大大大大大好きな100人の彼女)のソリューションは面白かったです!
「ハーレムもの」というジャンルは既に確立していて、説明の義務はないけれど、1話でこんな説明がされています。

100カノ式パワーソリューション
・今まで100回フられた主人公は、高校で運命の人と逢うと神に告げられる
・運命の人は目があっただけで強烈に一目ぼれし、その相手は100人いる
・女の子は即座に、男(主人公)は徐々に好きになる
・運命の人と両想いになり幸せになれなかったら、死ぬ(彼女側も)
→彼女100人だ!

都合がよすぎる!!しかし、最初に無理のあるウソ(設定)を押し通したからこそ、その後純粋に漫画を楽しめるんです。
「ほんとに100人になるのか!?どうやって紙面に収めるんだ!?作画担当の野澤先生の腕は大丈夫か!?」という作外のセントラルクエスチョンもありつつ、恋太郎と彼女たちの恋愛&恋太郎ファミリー内での、彼女たちの友情・絆が書かれていて、イイ……。

設定は大ウソ(めちゃくちゃ)だけど、この作品のいちばんすごいところは、「全員平等」そして「感情のウソはつかない」ことですネ。

「目があっただけで一目ぼれ」は流石に「お約束」だけど、恋太郎が彼女を大好きになるのも、それぞれの彼女が恋太郎を大好きになるのも、納得なんです!!
この、感情の動線すらウソになると、お話が成り立ちません。(彼女・恋太郎に惚れるだけの魅力がない、「こんな男に100人と平等に付き合う甲斐性がない」と判断される場合)

どの彼女もハイパー可愛くて魅力的だし、100人とつきあう男恋太郎も、ヤバイんです!

恋太郎は彼女が大好きすぎて、一人につき好きなところをどんだけでも語れるし、彼女のために眉や毛を剃って人間をやめることもできるし、彼女の缶バッチでアーマーを作って着るし、複雑骨折や心肺停止からも生き返るし、膝を伸ばして同時に全員に膝枕をすることもできるし、シン・ゴジラみたいにもなれるし、漫画のページを破って3000ページ分彼女を探すこともできるし、「無限の神」に抗って人間をやめることもできる。

公式ポストより
わりと初期の段階でこう

パワーある設定&ほぼ全員が愛の狂人、リアリティラインをあえてガン下げしたうえで、感情や行動原理のスジを力技で通す!という魅力あふれる作風。……書きながら数々の奇行を思い出し、スジが通っているか不安になってきましたが、やはり「愛の狂人の奇行コメディ」という芯が異様にしっかりしているので大丈夫ですネ。みんなおかしいんだけどおかしいまま一貫してる……。
100人とつきあうにふさわしい狂気、彼女愛を見せられ続けて、もう彼氏は恋太郎しかありえないんだ!と強制的に納得させられる感覚、ほかにはないのでオススメです!

脱線もしたので、おまとめです。

・「この状況でこのキャラ、こんな言動をするかな?作者の都合で動かしてないかな?」をよく考えよう
・不自然な点が気になるなら、論理を埋めて対策しよう
・ただし、読者が喜ぶことや「お約束」は「いいウソ」になることもある

■細部を書けば、ナイスリアリティ

経験者や専門家にしか分からないことは、経験者や専門家にしか分かりません。
自分がそうでないなら、取材や調査などの努力はしたうえで、できるだけ詳細に想像してみましょう。ド虚構のなかに一つや二つ、「細かさ」の提供ができれば臨場感がグッと上がります!ベースは虚構で大丈夫です!

うまい例がなかなか出てこないのですが、解像度上げの例は、こんな感じ。

・寝ているA。ロングヘアの毛先が口に入っているので、Bがそっと髪をよけてあげる(ロングヘアあるある)
・食後まったりいちゃいちゃしていたら、相手のお腹から小さい消化の音がする(人間あるある)
・「ウチの地域は引っ越ししたらもちをついて近所にふるまう」「この家では食事前にかけ軸に向かって祈る」「仕事場に入るときはいつも左足から」など風習・慣習を書く(人間あるある)
・薬剤師が、つい市販薬の成分を確認する。船乗りが、ついガチな紐の結び方をする。店員が、帰宅した家族につい「いらっしゃいませ」と言う(職業あるある)
・子供に触れるとき、明るい人は手のひらで触るけど、後ろめたい罪の自覚がある人は指の背で触る(性格によるふるまいの違い)
・吸血鬼もので、週何度も犬歯が埋まるくらい噛まれるのは痛そうだし、傷跡で肌がすごいことになりそうなので、「唾液に麻酔効果も治癒効果もある」ということにする(設定詰め)
・神経質なキャラは、みかんは丁寧に剥き、スジをとり、一袋ずつ食べる。大雑把なキャラは、みかんはガッ!と割って、ムシャア!と二口で食べる(キャラ解釈)
・焚き木の後は、山火事を防ぐため始末(消火)をしっかりする。薪を燃やし尽くして灰にするのが基本。大量の水蒸気で火傷のおそれがあるので、水をかける場合は一気にかけない(専門知識)

※すべてが「正しい」わけではないです

この立場、この状況、このキャラだったらどうするかな~!という細かい想像を入れると、キャラクター像に厚みが出ます。
一人一つの人生、脳みそ、価値観。なんとなく書くと、キャラクターのみかんの食べ方はついつい全員作者と同じになってしまうかもしれません。
実際は一つの脳みそが書いてるんだけど、作中では一人一つの脳みそがあるように見せたいですネ!これがナイスリアリティのコツ。

専門知識や、知らない職業のあるあるとかは、やはりそのスジのモンに訊いたり調べたりして、さらっと登場させましょう!
焚き木の例は、今調べました。
たとえば「昔ながらのRPGとか、野営をよくするよね?その後は?」→調べる→水をかけるのはよくないと分かる
→無知なキャラが水をかけて、アチアチの水蒸気でギャー!となる描写も書けるし、熟練のキャラが、薪が燃え終わる時間を計算して計画的にくべる描写も、これでできるようになりました。

ちょっと調べる習慣って、メチャクチャ大事なんですよネ。専門知識は後付けで大丈夫!ちょっと調べて、調べない状態とほんの少し知識量の差を作るだけで、結構いい感じのハッタリがききます。

また、大喜利よりだけど「あるある」はおコロモーが強いので参考になるカモ!(※そのままパクるとかはNG)

こういうのを見ると、「ありがち」のずらし・転用が面白さにつながるな~と勉強になります(一番おもんないコメント)。

「現実にはない状況」の「異様に細かいディティール」って、いいですよね。
フィクションだと「ダンジョン飯」がべらぼうに強くて、ダンジョンに生息するモンスターの生態や設定が本当に細かいんです!!

アニメ放送範囲内だと、たとえば
Q、どうしてダンジョンに宝箱があるの?
A、野菜の無人販売所の売上げだった、もしくは宝箱に擬態・巣にするカニみたいな魔物ミミックに寄生し、そいつを食べ尽くす「コイン虫」がびっしり入っているから

という設定がなされていて、知的好奇心がビシバシ刺激される感覚をず~っと味わえます。デイドリームアワーも冒険者ガイドも買いの一択です!!!!

大きなウソ(舞台設定やシナリオの流れが大胆)はつっこまれにくい。
細部のウソ(感情・言動のリアリティのなさ)はつっこまれやすい。

よって、「面白いフィクション」は、大きなウソをつき、細部の「ウソ感」を減らす(ありそうにする)のがオススメです!

■もし「リアリティがない」といわれたら?

仮に考証の不徹底があっても、これらが削ぐ没入度は、わたくしにとっては誤用や誤字脱字と同じくらいで、少ないです。
物語の本質は別のところにあるからそこで評価するし、「ここ間違ってた」と晒したり、★1評価にしたり、コメント欄を荒らしたりは絶対にしません。

誤りの指摘の是非は……人によりますが(趣味へのスタンス、募集しているか否かによる)そもそも「作品のちょいミス(誤り、欠点、足りないところ)」を嘲り笑うのは、0:100でその人が悪い!ので、気にする必要はまったくありません。
仮に「嘘ついてる!ありえねーw」と言われても、売れてたらヨシ!とわたくしは思います。ヒット作は上手いウソばっかり、「なんでこうなるの!?」も多いですヨ!

世界の誰一人に見下されたくない、というのはちょっと……おそらく不可能だし、「見下す」方はどれだけ偉いのでしょう?もしかすると、「こいつなんもしらねーな」と酷評を書いたのは10さいのおガキちゃんかもしれませんヨ。
時には「筋違いのおバカさんには何を言われても痒くない」と割り切るのもイイカモですね(実際にそんな批判をされる可能性はすご~く低いというのもあります)。

自分の作品を批判的(客観的)に見ることができる!のは「上手くなるため」の才能の一つですネ!でもそこにとらわれ過ぎると書けなくなってしまいます。ある程度「無理過ぎるウソ」はなくしつつ、「ここはウソでいい」と割り切れると健全です。
「自分の作品を楽しんでくれる人を楽しませたい」というモチベで書いてみるのはどうでしょう?

もし「ここ違うよ」と明確につっこまれた場合、「傷つかない言い方&たしかに取り入れたらよくなる&自分がアドバイス募集してた」場合は取り入れて修正などしてもいいでしょう。ちょっとでも違う場合、もしくは、本質とは全く関係ない、細部だけつつくダメなナントカ警察の場合は無視してOKです。

メッセジお嬢様が恐れているのは、「経験者からの失笑」だけど、これも性格が悪すぎるので無視して大丈夫!
えちえちも人それぞれなので、ちょっとリアルの下ネタですが、「1回10分」の人もいれば「1回2時間(聞いたことがある)」の方もいて、もうな~~んにも分かりません!!(日本平均は30分、世界平均は20分だとか。本当かどうかも分かりませんが)
ド級の虚構だと「48時間」とか「一週間」とかあるし!ウソつき放題です!!

山崎監督お嬢様の「やりたかったっぽいことならマニアも許してくれるかな」、これは恋愛とかにも転用可能。
「ハイパーかっこいいAは、Bを闇オークションで10億で競り落として一週間抱くんです!!!!これが書きたいんです!!!!」という気持ちが伝われば、「ありえない」なんて野暮なツッコミは筋違いのアホアホカーニバルでしてよ!

Q,露骨に嘘をついてる、と思われないためのコツなどありますでしょうか?
A、上記のように、コレに気を配ればいけると思います!
・大きなウソ、細部のリアリティ
・感情・論理はなるべく「作者の都合」感を出さないように
・ちょっと調べるOR細かい想像で細部を補強

■結論

・たぶんプラス>マイナスならOK

色々検討しても、やっぱり答えはコレかなと思います。

エロゲーに「そんな女いるわけねえ!」エンタメ宇宙戦闘に「宇宙だから音が鳴るわけねえ!」
たしかにそうだけど、そのマイナスを補ってあり余る、「ターゲット層が喜ぶというプラス」があるので、何もかも現実100%にする必要はまったくないんです。

あくまでターゲット層によるので、もちろん、「女性観がリアルなほど嬉しい人」「現実ベースの無音宇宙が嬉しい人」がターゲットなら、そっちを喜ばせるコンテンツを作るべきですネ。商業的には。

・趣味なら「自分の楽しさ」第一

今まで、資本主義的なおしごとの、商業的にはこうですね~という話をしてきました。

商業は、他人を喜ばせて売るのが仕事。
趣味は、自分が楽しいのが第一。

趣味で「まったくリアリティがない」をやっても全然いいです!
逆に「リアリティ・正確さを突き詰めるのが楽しい」なら無理してウソつく必要もありません。
メッセジお嬢様は、どちらをやりたいのかしらん?


かなり余談だけど、人の性格は複雑すぎて分析するのが困難。それでもある程度切り口を設けて分類してみようや、という見方があります。
正確さを重んじがちなのは、体癖診断だと「上下型」、MBTIだと「INTP?ISTJ?」(曖昧)な感じ。(人に批判されるのが怖い、も上下型っぽい)

分類や診断が実際正しいのかどうかはおいといて、「人口の1,2割がそのタイプなんだ」という気づきが大事なんです。逆に言うと、「人口の8,9割は自分とは違うタイプの人間である」ということ。

わたくしたちは人間という動物なので、どうしても「人それぞれ」といいつつ自分の価値観から外れたことを「変」「愚か」と決めつけるきらいがあります。しかし、事実として「自分が少数派で、他の人はまったく異なるルールで動いている」ということが分かると、視野が開けて生きやすくなります。
精神科医の名越先生お嬢様の金言を引用しますネ。

僕らは往々にして、「私の見方」にすぎないものを、「人類普遍の見方」と勘違いしてしまっています。たとえば、「こんなことされたら、怒るのが当たり前だろ!」といわれることがありますが、同じことをされても怒らない人も大勢います。あるいは同じ冗談でも言われて怒らない人がいれば、怒ってしまう人もいるのです。「自分の感覚世界は、何種類かある性格類型のひとつにすぎない」と知ることが、性格分類を学ぶ最大の意義です。言い換えると「自分の感性は少数派である」と認識することが大事なのです。  10種類に分類するならば、自分の感じ方は全体の10分の1であり、4種分類でも4分の1の少数派だということを受け入れざるをえなくなります。そして「自分が少数派である」ということを心の底から理解できると、それだけでも人は、他人に対してかなり謙虚になることができます。自分とは異なる他者の言動を、冷静に受け入れることができるようになるのです。

名越 康文「自分を支える心の技法」kindle位置: 1,721より

正しさを求める、でこちらの文化も思い出しました。

ドイツ人の料理マインドで興味深いのが、 「いかに美味しく作るか」 ではなく、 「いかに手順どおりレシピに忠実に作るか」 を優先する点と言える。これはつまり、料理の目的が 「美味しく」ではなく「正しく正確に」 食事を作ることにある、とも言えるだろう。

マライ・メントライン@職業はドイツ人@marei_de_ponさんより

わたくしは「おいしさ」を求める文化圏で育ったので、コレを見たときは「絶対的」が「相対的」になって、視野が広がり、面白い!!となりました。

……なにかっていうと、どう過ごしているのが心地いいかは性格とかやりたいことにとっても依存するので、「おいしさ(エンタメ性)より正確さ(リアリティ)だ!」なのか「正確さ(リアリティ)よりおいしさ(エンタメ性)だ!」なのか、はたまた「どっちも突き詰めるぜ!」なのか、人によって最適なバランスが異なるということですネ。

で、読む側のおスタンスも様々なので、書き手×読み手の相性次第でいくらでも評価は変わります。
全員を取りこぼさない、全員から最高評価をもらう、というのは多分ムリなので、感受性の方向が自分と同じ人に向けて作る、というのがいいと思います!

長々と当たり前のことを語ってきましたが、何か参考になるものがあればハピハピですワ!

■おまけ 恥と呪い

アニメ動画見てた最中に取り上げられたのではなく、電源オフのを取り上げられ、勝手にメディア欄見られ、勝手に動画再生されたゾ(恨)

皆さんも呪いには気をつけましょう。
おわり。

おしらせ

■追記 お返事いただきました

ペチカお嬢様
ごきげんよう。先日、「リアリティについてのお記事、楽しみにしています!」とお送りしたものです。文面を伏せておたよりを取り上げていただき、ありがとうございました。

記事、読みました。とっても励まされる内容でしたわ!
物語にとってどうであるか、ターゲット層にとってどうであるか……わたくしにはなかった視点でしたので、「なるほど!」となりました。

以下、ちょっと自分語りになってしまうのですが……。
「自分はどうして神経質に『リアリティ』にこだわってしまうのだろう」と思いながらお記事を読ませていただきました。
過去、読んだ作品にリアリティがなかったことで物語が読めなくなった(商業作品含む)などの経験にも原因があったのですが、ごく身近に、常にリアリティを気にしまくってケチをつける人がいたんですね。「こんなのありえない」「リアルじゃない」「ご都合主義」などなど。
今でこそ、フィクションやエンタメが理解できない人だったんだなと思えますが、幼少期から自分が「これが好き、こんな話を作りたい」と思った感動にまで全部ケチをつけられていたので、それがずっと傷になっていたんだと思います。(だったらケチがつかないように、どこからみても完璧な取材をしなきゃ……!みたいな。そんなの無理ですのにね…)
お嬢様の記事を読んで、そうして幼少期にエンタメやフィクションをバカにされまくって傷ついてきたわたくしが、救われたような気持ちがいたしました。

とくに、バーフバリやRRRの例えは「た、たしかに!」と目から鱗でしたわ。わたくしにもそういう、「設定にリアリティはないけれどリアルを感じる作品」がありました……!今度メモをとって、「どういうところにリアルを感じるのか?嘘でもいいのはどこか?」を調べてみたいと思いますわ!😊
創作意欲が湧いてくる、元気をいただける記事を、本当にありがとうございます。

お嬢様の今後の執筆生活にも、幸多からんことを。
ありがとうございました。

伏せのお嬢様ですね、あたたかいおたよりありがとうございますワ!

ヒィーッ!身近にそんな人が!
傷跡になって残るのも当然で、おいたわしや……。本当におつらいですよネ。特に幼少期の委縮は、無意識に行動を縛ってしまいがち……。

もしかしたら、同じような悩みをお持ちのお嬢様がたも、似た経験をしたのかもしれませんね。ひどい言葉は、たとえ自分に直接向けられたものでなくても、萎縮の原因になるんですよね……。

批判の言葉も無責任かつ適当なもので、「本当にリアリティが原因で面白くなくなってる作品なのか、リアリティさえ改善できればいいのか」と言うと……多分違くて、本音を翻訳すると「自分の好みじゃない」だけだったりすることもあります。
相手に的確にダメージを与えるため、要望を通すため、自分を少し上に見せるためなどなど、そのときどきで人は言葉を使い分けます。ただの「嫌い」を、筋の通った理知的な批判に見えるようにコーティングすることもあります。

世の全員が言葉に気を付け清く正しく美しく生きることができたらこの悲劇は防げるけど、世界はまだそこまで丸くないので、自分なりの評価軸、審美眼、適切な客観度で作品に向き合っていきたいですね。
大前提は「好きかどうか、楽しいかどうか」!!

メッセジお嬢様も、ハピハピなご趣味をエンジョイできるように、応援してますわネ~~!!!!

【おCM】


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