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【何がそうさせるのだろう? 彼の日記 私の日記】

何がそうさせるのだろう?

年に1回は何かにつかれたように、同じ場所に何度も行く時期があった。

足利市、結城市、真岡市、益子町、栃木市

とくに何か目的があるとか、用事があるとかではまったくなくて、ただ、その場所に行き一晩泊まって帰ってくるだけだった。

美味しいお店を食べ歩くわけでも、可愛い雑貨屋さんに行くわけでもなかった。

現実逃避といえば身もふたもないけど、なぜあれほどまでに通ったのか今も理由がわからない。

彼の日記 私の日記

ただとくに足利、結城、益子には縁があったらしい。

7、8年前、足利、結城、益子にほぼ毎週行っていた。

ちゃんと観光もしたし、お土産やさんにも行ってお土産も買った。けっこうアグレッシブに動いたと思う。

「お気に入りのあまから家でハヤシライスを食べた。足利に来たときは必ず寄るようにしてる。食べるのはきまってハヤシライス。」

私の「日記」

足利では足利学校と鑁阿寺には必ず行った。

結城ではじっくり街並みを見てまわっていた。

益子では濱田庄司記念益子参考館には毎回行った。

休みのたびに訪れていた。

「[小旅行]
行道山浄因寺。足利にある古刹だ。開闢は和銅6年(713)年。行基上人の開創と伝わる。細い山道を登り、駐車場につく。そこから徒歩で長い石段を登る。途中、石仏が所狭しと林立している。右手を枕に西向きに寝ているという寝釈迦は見ることが出来なかったが、冬の訪れを堪能した。名草巨石群に行くよりも道は険しいが再訪する価値は名草より高いだろう。是非、寝釈迦を見てみたい。」

「夏は休みの日、ほとんど結城に行っていた。街というよりは町のイメージだ。ひかれるのはなぜだろう。」

「益子の内町工場でアジェをみたとき懐かしさが込み上げた。そこには、いないはずの私がいたからだ。」

彼の「日記」

当時はすれ違いながらも一時期何かに導かれるように2人はこの街に滞在していたことがわかった。

どの街も古(いにしえ)の記憶とリンクしていそうだ。

...っていうお話。


撮影場所:栃木県足利市 鑁阿寺
Photo by かしるい

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2015

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